上 下
25 / 27

25話:広瀬社長の葬儀と健一が次期の社長

しおりを挟む
 達夫は、我に返って、まず「妻有の里」人達に連絡するように妻の夢子に言った。そうして2人で手分けして電話かけまくった。1時間位して連絡するべき所は連絡し終わり、次に以前、葬儀で世話になった会社に電話をして、葬儀場の手配をお願いして、打ち合わせの時間と場所を伝えた。

 奥さんの広瀬裕恵さんと夢子とその場所に行き、葬儀の打ち合わせをした。4日後の11時に立川葬儀場を予約してもらい奥さんの裕恵さんの代わりに事務処理を代行することを了解してもらった。何から何まですみませんねと裕恵さんが泣くのを見て、こちらこそ、いろいろお世話になったので恩返しは当たり前ですと言った。

 3日後の1月31日、午後4時から広瀬政夫さんの家でお通夜をして裕恵さんが来る方一人一人挨拶した。事務的なことを夢子が手伝い、その晩は、広瀬さんのお宅に泊まり翌日の告別式に出かけた。10時半過ぎに立川葬儀場に入り、記帳簿、返礼品などを点検していると11時になり続々と葬儀の参列者達が一斉に入ってきた。

そこで「妻有の里」の若手に名前を聞いて席に案内するように指示し安田達夫が挨拶して回った。百人以上が来て、故人の人脈の多さが忍ばれた。そうて型どおり葬式は進行してお墓に行く時、夢子に行ってもらい、達夫は帰られる方々に「妻有の里」の代表として、お礼と感謝を述べた。

 中には、東京都知事の名代の秘書さんが来て名前を記帳していったのには驚かされた。そして17時に全てが終了して広瀬裕恵さんに、お礼を言われたので、また何かあったら相談して下さいねと安田達夫が言い、自宅へ帰った。帰ると達夫は夢子と相談して当面、2人で協力して「妻有の里」の今後の体勢を考えようと言った。

 広瀬裕恵さんは会社の事にあまり関わっていなかったので当面、安田達夫が「妻有の里」の社長と専務を決めて、新体制で経営できる様にするしかないと考えた。夢子が社長は副社長の山村英彦さん副社長は工場長の張本武雄さんが良いと言うので、達夫も、それで行こうと決めた。

 翌朝9時から「妻有の里」で緊急会議を開いて安田達夫と夢子から人事を発表すると、すんなりと社長に元副社長の山村英彦さん副社長は工場長の張本武雄と決まり誰も異議を唱える者はいなくて決定した。社長の山村英彦さんに財務情報や経営状態については時間をかけて、覚えてくれれば良いと達夫が言った。

 副社長の張本武雄さんには会社で決定した事を、みんなに伝える役目をして下さいと話した。2人ともわかりましたと言い、とりあえず慣れるまで達夫から指示したり説明したりしますと言うと助かりますと喜んでくれた。2021年になっても海外から、東京や日本に来る人は多く簡易ホテルの中食の需要は衰えなかった。

 そのため順調に販売を伸ばしていき投資の回収も順調に進んだ。そして達夫は夢子に、これから投資の回収が終わったり現在の状況を維持して給料を払い続ける事に専念していければ良いのではないかと話すと、それしかないでしょと言う事になり達夫は社長の山村英彦さんと副社長の元工場長の張本武雄に、この話を伝えた。


 この話を聞いた長男の健一が心配して国立の実家に戻ってきて何か手伝わなくて良いかと聞くので達夫は唐突に会社の社長をしないかと言うと笑いながら何を藪から棒にと言った。もっと詳しく説明してと言うので今までの「妻有の里」と達夫の退職後の話をすると、そーか、それは大変でしたねと理解してくれた。

 達夫が、健一の今の仕事はについて聞くと転勤が多く、実は、困っていたと言い息子の大学進学を考えると東京に戻りたいが、現在、札幌支店の課長であり自由がきかないと打ち明けた。もし健一が良ければ「妻有の里」社長の話を、彼らに打診してみようかというと、そうだね、一度聞いてもらえますかと言った。

 その結果を電話するよと答えた。健一が、父が新事業して城ヶ島のレストランを峰子にやらせて、御殿場のレストランを健二にやらせて成功しているという情報は聞いていたので自分だけが地方のスマートフォンの販売課長をしてるのが、情けなくなっていたんだと言った。

 健一の息子が札幌の高校で優秀な成績で東京の大学に入れたいのだが1人で生活させるのは心配でと困っていたというのが本音だった。達夫が、わかった早急に話をして連絡するよと言うと健一は帰っていった。翌日、山村英彦さんに、その話をすると、実は、私は店の実務、人事が得意でやってきたので数字は苦手ですと言った。
 
 達夫さんの長男さんは、東京都立大学情報工学を出たエリートと聞いてるし、社長にふさわしいですよと、ほっとしたように言ので、それで良いんですねと言うと、今のままの副社長で人事や人の配置、店の問題解決に専念してやっていきたいと言ってくれたので安心した。次に張本武雄さんにも、この話をすると同意した。

 工場長として増えた多くの工場の作業効率を上げたりアドバイスする方があっていますと言い喜んでくれた。山村秀彦さんも同意してくれたので、今のままで、新しく安田健一を新社長にすると言うことで良いですねと念を押すと結構ですと言った。この話をすぐに健一に伝えると喜んでくれた。

 国立の家の離れが空いてるから4人で住むには十分だと言った。家賃はいくらかというので4人で4万円で良いよと言うと、それは助かると言ってくれた。この話を峰子と健二に伝えると喜んでくれ峰子が「妻有の里」を安田家の若手で、乗っ取るのねと笑った。それを聞き達夫が、経営は、そんなに甘くないぞと言った。

 わかってる、冗談よ言い長男が健一が東京に戻ってきて同じ会社で仕事をする事を兄弟で喜んでくれているようで達夫は、次の若者世代へ交代ができたことに感謝した。2021年3月3日に安田健一の家族4人が国立に引っ越して来た。健一の長男、健太郎は札幌でトップの札幌北高校でも上位の成績のようだ。

 健一が健太郎と都立国立高校へ行くと欠員があった様ですんなりと高校1年に転入できて2人は喜んで帰ってきた。将来は、父、健一と同じ情報系に進みたいと考え、東大か東工大をめざしているらしい。翌日、「妻有の里」の立川の店に安田達夫と健一が訪ねていき山村副社長に会い挨拶をすると山村が店の事は任せて下さい。

 経理と経営を宜しくお願いしますと肩をたたいた。達夫が、職員全員に長男の健一を紹介してから八幡山の食品工場へ行き工場長の張本武雄さんに面会すると工場の事は任せて下さい、そのかわり会社がもっと儲かるように知恵を絞って下さいと肩をたたかれた。
しおりを挟む

処理中です...