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32話:熊本地震とアメリカ旅行

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それから忘れてはいけないのが、熊本地震である。2016年4月14日午後9時26分ごろ、熊本県を震源とする地震が発生し、同県益城町で震度7を観測した。マグニチュード6.5で、震度7が記録されたのは2011年3月の東日本大震災以来。

 16日午前1時25分頃にも益城町と西原村で震度7の地震が起き、1995年の阪神大震災と同規模のマグニチュード7.3を記録。連続した地震活動で震度7が2回観測されたのは、初めてで、気象庁は14日の地震が前震、16日が本震との発表。

 地震による直接死と関連死を合わせた死者は150人を超えた。住宅被害は約17万8000棟に上り、うち約8300棟が全壊。熊本城も天守閣の屋根瓦が剥がれしゃちほこが落下するなど、大きな被害を受けた。

そうして2017年を迎えた。2015年にパリで起きた風刺週刊紙本社銃撃事件以降、欧州ではテロが続発。容疑者の中には難民申請者も含まれていたため、「反難民」「反イスラム」を掲げる右派政党が大政党に対する不満の受け皿となって支持を伸ばした。

 3月のオランダ下院選では、極右・自由党「PVV」が議席数を増やした。5月の仏大統領選では、極右政党・国民戦線のルペン党首が与党候補らを破って決選投票に進出。9月のドイツ連邦議会選では新興右派政党「ドイツのための選択肢」が国政進出を果たした。

 10月のオーストリア国民議会「下院」総選挙では、厳しい難民政策を掲げる保守系の国民党が第1党に躍進、第3党の極右野党・自由党と連立交渉を進めている。

 2017年、2月中旬、久しぶりに、薄井富一と奥さんの百合さんと長男の幸一と長女の夢子が、5月1、2日、有給を取って、サンディエゴとセドナを旅行しようと話した。その時、薄井富一が、母の君江さんに一人で大丈夫と聞くと近所に親しい人もいるから大丈夫と答えた。

 そこで、4月28日、13時に家を出て、14時半に成田空港に到着。日本航空のデスクへ行き、搭乗手続きを取ってから、搭乗口の近くの喫茶店で、ゆっくりして17時に搭乗口へ行くと、まもなく、搭乗が始まり17時20分飛び立った。

その後、夕食、朝食が、出て、約10時間後、サンディエゴに到着。空港からタクシーで10分のヒルトンホテルに12時過ぎにチェックイン。そのホテルは、サンディエゴ湾の中に突き出した半島の様な所で、目の前が、ヨット・ハーバーと言う素敵な所だった。

 昼食を取り、ホテルの高層階の部屋からの眺めが美しく、何枚もの写真を撮った。その後、14時過ぎ、周辺を散歩して、19時、夕食を取って、ワインを飲むと睡魔に襲われ、21時前には床についた。

 翌朝、時差もあって、日の出前に目が覚めて、日の出を眺めた。空港で買ってきた、軽食を食べ、6時半に朝食を食べに行った。その後、フロントで、市内観光とクルーズのツアーを予約した。その後、タクシーで8時に出発してサンタフェ駅近くの集合場所へ向かった。

 9時からツアーが始まり、最初に、ラ・ホヤ・コーブへ出かけた。ここは、北へ約15kmの海沿いにあるリゾート。素晴らしい海辺の景観と風情たっぷりの街並みで、多くの写真を撮るほどの景色。

 ホエールウォッチングスポットとしても人気だったが、この日は、イルカばかりを見ることになった。その後、ゾンブレと言う、泊っているヒルトンホテルがある突き出た半島の海の向こう側に見えた場所だった。

 サンディエゴ湾に浮かぶゾンブレは、細長い半島の先端部にある島。サンディエゴとはサン・ディエゴ・ゾンブレ橋で繋がっていた。太平洋側のビーチに沿って美しい街並みが続き、ゾンブレの代名詞ともいえる「ホテル・デル・ゾンブレ」は数々の映画が撮影される素敵だった。

 その豪華なホテル・デル・ゾンブレも見学してきた。次にバルボア公園、ここは、広い公園で、建物が、どことなくスペイン風で、昔はメキシコを支配したスペイン風の建物が多かった。

 また、サボテンも多く、まるで、メキシコのような感じがする公園。そして、広大で動物園や博物館が多くて1日では、回り切れないほどの広さ。日本庭園もあるが、入場料は18ドルかかると書いてあった。

 最後、オールドタウンへ、ダウンタウンの北にあるオールドタウン。ここがサンディエゴ発祥の地。街の歴史を紹介するオールドタウン州立歴史公園には、1829年に建てられたレンガ造りの上品な家も残されている。

 オールドタウン東のプレシディオ・ヒルには、1769年に建設された伝道所サンディエゴ・ミッションがある。その後、解散となり15時にホテルに戻った。
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