瀬戸内の勝負師

ハリマオ65

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13話:健一の首都圏の大学受験1

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  姫子は、1997年、中学1年の2学期にクラスベスト10に入り、将来は、兄と同じ、岡山朝日高校へ入るのを目標に、夜遅くまで勉強を続けた。中学1年の最後のテストで、クラスベスト3に入り、大喜びしていた。そして、最終目標、学年ベスト5以上を目指し、岡山朝日高校へ入ると決めていた。それというのは、テレビやラジオで聞く、東京・橫浜の情報に憧れ、そっちの大学に絶対入りたいと思っていたからだ。

 この年、株の方では、1997年8月4日、朝、ソニー株が12200の気配値が出てると証券会社から電話で知り、全株、1万株、成行売りを入れて、12200円で売れた。その結果、税引き後利益が11800万円となり、普通預金に3800万円を送金し、投資資金8000万円と預金を4700万円とした。この時点で、総資産が12700万円となった。そのためには、岡山朝日高校へ入学する事が、必須条件だったのだ。

 やがて、健一が高校をどこを受けるか、決める1998年があけた。もちろん、岡山朝日高校を受けると言い、受験票を手に入れた。そして、受験し、3月に2人とも合格した。その時、一緒に、受験結果を見に行った両親の方が感激していて、健一は、受かって当然のような顔をしていた。健二は、隣町の倉敷工業高校に合格し通い始めた。健一は、合格祝いに、岡山駅近くのレストランで食事をした時も、大学の話ばかりだった。

 大学に合格後、下宿をどこにするとか、早稲田大学理工学部か、できれば橫浜国立大学工学部、いや東京工業大学に入りたいと夢を膨らませていた。先の話ばかりしていた。それを聞き、母が、夢物語ばかり語ってないで、岡山朝日高校で良い成績を取ることが先決だと言った。それを聞いて、健一は、静かになった。これを聞いた姫子は、私も兄たちと同じ進学塾に行きたいと言うので父が了解すると、母と一緒に行き入学してきた。

 そして、毎週、土日、岡山駅近くの進学塾に、休まず通い、1997年の冬には、学年ベスト5に常に顔を出すようになった。やがて1998年を迎えた。健一が、高校にあがると岡山でも有名な大学予備校に入りたいと言い父が許可した。1998年11月2日、朝、ソニー株が7500円の気配値が出ているのを証券会社の担当者から聞き、成り行きで1万株の買いを入れた。すると、7500万円で、すぐ買え、投資残金が500万円となった。

 自家用車のクラウンが古くなり、新型クラウンを300万円で購入し、総資産が5000万円となった。健二が、倉敷工業高校に合格した時、父に、合格祝いは、良い釣り竿を買ってくれと言ったので、一緒に行って、釣り竿を選んで買ってやった。岡山朝日高校に入り 健一は、高校受験の時にも増して、夜遅くまで勉強をした。つられて、姫子も勉強し1999年秋の一斉テストで、ついに、学年トップの成績をとり、姫子自身も感動して涙を流した。

 その後も学年ベスト3に、入り続けていた。そうして2000年があけ、4月を迎えると、健一が高校3年生、姫子が中学3年生となった。しかし、健二は、相変わらず、釣りと漁協に行っていた。その後も、健一、姫子は、競い合うように、勉強を続けたが、母が、ここから上をめざすには、勉強の時間よりも効率が大事だと言った。そのためには、集中力をつけなさいと言った。そして、いたずらに夜遅くまで起きて、勉強するよりも、早寝、早起きで、体調を整えながら、勉強する事。

 加えて、座禅をして、集中力をつけ、リラックスするための体操も覚えなさいとアドバイスした。その話を黙って聞いていた、父は、母に、すごいねと言うと、私も実は、自分の父にさんざん、言われてきたことなのよと言った。これを聞いた、聡は、なんだ、お父さんの受け売りかと笑っ高いと言われた。健一は、早稲田大学理工学部、橫浜国大の合格確率が80%、東工大、70から75%と言われと母に報告した。やがて2000年9月11日、アメリカ同時多発テロ事件が起きて、騒然とした。

 しかし、子供達は、すぐに、気を取り直して、受験勉強を続けて、2000年12月を迎え、健一は、大学受験前の予備校の最終試験で、早稲田大学理工学部、橫浜国大の合格確率は80%以上、東工大は75%以上と言われと母に報告した。すると、母が、息子達に、どこを受けるつもりと聞くと、数日後、早稲田大学と橫浜国立大学理工学部を受験したいと言った。その後、2001年があけた。
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