瀬戸内の勝負師

ハリマオ65

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28話:クルザーーヨットの購入と練習、小豆島へ

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 そして2005年10月12日、小山田聡のクラウンで溝口さんと久光さん、健二と漁協の小型船舶1級を持ってる加藤君の5人で出かけた。神戸のマリーナのヨットの会社に到着すると、先週会った担当者と3人の仲間が、きていた。久光さんが、船を見せてくれと言い、じっくりと外側をチェックし、船内に入り、備品のチェックをして、ベッド、冷蔵庫、エアコン、トイレを船内を見た。

 確かに未使用品だと言い、大きいなと言うと、44フィート・ヨット、縦・横7.7mだと答えた。続けてエンジンは69馬力のエンジン2機で138馬力、搭載人員20人と言うと驚いていた。最後に、乗って帰れるかと聞くと、入金さえ確認が取れれば、OKと言った。すると溝口さんが、名刺を渡すと、岡山の漁協の組合長さんですかと言った。金は、車で銀行で処理すれば直ぐ入金できるなと小山田聡に聞くとできますと答えた。

 それならば、宜しい、最後に、ガソリン満タンにして欲しいと言うと、買っていただけるなら、満タン100L入れますと店長が言った。それでは、小山田君、入金してくれた前と言い、健二と小山田が車で銀行へ行き、入金の手続きを取りに言った。20分くらいで帰って来て、処理完了というと、ボート屋の店長さんが、確かに、入金されましたと言い、大型カラマランヨットの鍵をくれた。

 その後、握手して、店長がありがとうございましたと礼を言った。その後、小山田聡がクラウンを運転し、その他の4人は、クルーザーヨットで岡山に帰った。クルーザーの購入代金7000万円を支払い、小山田聡の預貯金が37700万円となり、投資残金15700万円をとなった。その後、小山田聡が、健二に、岡山県内でヨットクルーズ・ツアーの企画をしないかと提案した。

 すると、面白いかも知れないと言い、岡山だけでなく、神戸、大阪、岡山、広島、高松でも企画したいものだと言うと、健二は顔をほころばせていた。10月18日、午前6時に岡山を出て、小豆島を抜けて明石海峡大橋渡って、神戸空港で折り返して、岡山に帰ってきた。岡山には、16時過ぎに到着した。翌週10月25日、健二と若手ヨットマン3人の4人で、朝6時に岡山の港はでた。

 そして、9時間かけて、15時過ぎに長府の港に到着した。そして、ヨットで一泊して、翌朝、再び、朝6時に長府港を出港、16時前に岡山に帰ってきた。瀬戸内海は外海とは違い、波も、それ程、高くないヨットの運転に支障がなかった。しかし、多くの船が行き会っているので最低4人以上でクルーズした方が安全だと思われた。景色はと言うと、明石海峡大橋、瀬戸内海の島々はきれいだった。

 小山田聡が購入したクルーザーヨットは、漁業協同組合の漁船の置き場の近くに係留して保管してもらう様になった。しかし漁業協同組合の船の係留所も老朽化が激しいので、新しいクレーンと施設をきれいにするのに1億円かかると聞き、小山田が観光用クルーザーヨットの会社を建てるさせてもらう条件で1億円の拠出を決めた。そのため、小山田聡の預貯金が27700万円と投資残金15700万円となり、預貯金を33400万円と投資資金を10000万円とした。

 11月3日その日は天気の良く、岡山から近い小豆島に出かけた。、その後、広島県の島を巡ってくるショートクルーズをして、健二が、漁業の若者を指導して、クルーザーヨットの小型船舶2級の免許をとれるように、訓練してあげていた。そして、漁業協同組合の隣に小山田クルーズ・カンパニーという遊覧ヨットと小型船舶1,2級の取得の学校を
設立した。

 そして2005年12月を迎えて、集会場で、近所の仲間達が、忘年会を開く日が増え、余った飲み物、お菓子、食べ物を寄付してくれた。そして、小山田家の健一と姫子が12月23日に、自宅に帰ってきた。翌日、カニ、魚の刺身、イイダコの煮付けとクリスマスケーキでクリスマスパーティーを開いた。やがて2005年が終わり2006年を迎え、近所の神社に初詣でに行き、家内安全、ヨット航海の安全を祈ってきた。

 2006年1月2日、新しく購入した44フィートのカタマラン型クルーザーヨットに家族5人と漁業協同組合の小型船舶1,2級の取得者5人の合計10人で、朝9時に岡山の港から小豆島を一回りして、14時に港に帰って来た。カタマラン「双胴船」は、想像以上に船内が広く、狭さを感じる事もなくエンジンも2機で138馬力と強力で20ノット時速40キロ弱で快適なクルーズだった。
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