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第6話:立山輝一が翠嵐高校に合格

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 1989年は正月に鎌倉へ行き鶴岡八幡宮に初詣して家族の健康を祈願した。夏は家族3人で秦野へ行って1泊して、朝、バスにのって、ヤビツ峠から丹沢の登山を始めて、二ノ塔、三ノ塔、行者岳、木ノ又、標高1491mの塔ノ岳山頂でゆっくり休んだ。

 その後、天神平、駒止茶屋経由で大倉へ下りて、かなりの強行軍であった。輝一は、泣き言、言わずに、ひたすら歩いた。それにひき換え奥さんは、きつい、きついと良い荷物を持ってと立山哲男に全部背負わせて、登って、塔ノ岳山頂に着いたときには、ふらふらだと言い、もう一歩も歩けないと泣き言を言った。

 しかし下り始めると、まっすぐに下りるだけで比較的楽だったので良かったが、安心して怪我するケースが多いので、立山哲男が下りで怪我する人が多いから十分注意しろと言い続けて大倉というバス停に着き大倉からバスで渋沢へ下り海老名から相鉄線で横浜経由で金沢へ帰った。

 そうして1989年が終わった。ソニー株を1989年12月20日4千円で1万5千万株、6千万円で売り、税引き後利益3234万円となり、残高が6214万円となった。1990年は、立山輝一が中学に入学する年で家から徒歩5分の金沢中学校へ入学した。

 中学に入ると奥さんが輝一が望むなら塾に入っても良いよと言ったが二年になってから決めると輝一が言い、負けず嫌いの性格であり、数学、英語、理科、社会が得意で、国語はいまいちであった。それでも学年で10番前後と善戦していたが、2年になって、国語だけ塾に入ると言いだした。

 塾に通い始めて、暗記に重点を置いて、勉強して、中二の2学期には、学園6位まで上がり中学三年を迎え目標を翠嵐高校に置いて一生懸命勉強した。三年で学年3位になり、念願の横浜駅近く三ツ沢にある神奈川県立翠嵐高校に合格できた。

 1991年の正月休みに、立山哲男は奥さんに、遂に1億円の大台を一時、突破したと言い十分な金ができたら、この仕事をやめて、ゆっくりと海の近くで魚釣りして近くの綺麗な湧水の水をくんで質素な生活でも良いから充実して人生を送りたいと話すと奥さんが、なに爺さん臭いことを言ってんのよと笑われた。

 でも、その気持ちわかるわ、何か都会にいて、あくせく働いてるよりは、もっとゆっくりとした時間をゆったりと過ごしたい気持ちになるときもあると多少理解してくれた。その時には、正式に結婚して欲しいというと、立山が
木村泉さんに言うと、そーね、そーしたいねと同意してくれた。

 1991年12月15日に2740円で3万株、8220万円で売り、税引き後利益2800万円となり残高が15740万円となった。1992年10月8日、トヨタ株を1300円で4万株、5200万円で購入し、残高が
2156万円。1994年11月12日に2千円で4万株、8千万円で売って、税引き後利益2156万円となった。そうして残高が8370万円に増えた。。
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