上 下
23 / 32

22話:子供達の教育環境、受験

しおりを挟む
 橋本駅まで1時間で来られると言うと、笑みがこぼれ安心して下さいと言った。そうか、娘が、ちょっと前に生まれたと思ったのにと、言い目が潤んだ。しかし俺たちは老いていくだけだが孫達には無限の可能性がある未来が待ってると言い明るい顔になった。

 我々、親は、最高の環境を与えてやる義務があると竜二が言うと良く言った。そうだ、その通りだと言い、竜二の手をがっちりと握って頼んだぞと言うと矢島さんの目から涙がこぼれ落ちた。

 そして、竜二が、買った広い土地に加藤夫妻と私たち夫婦の2軒の住宅を建てると言うと建築会社は決めたかと聞いた。そこで、まだですと言うと矢島社長がうちで本格的木造住宅を建てやろうかと言うので、是非、お願いしますと告げた。

 わかった、以前、一緒に行った設計部長と奥さん達の要望を聞いて、設計図を書いて良い住宅を建ててあげようと言ってくれた。竜二が、お願いしますと言い矢島社長が竜二とがっちりと握手した。

 後は、頼んだぞと言い、矢島社長が、俺もそろそろ引退だから、よろしく頼んだぞ言い、また目が潤んだ。最後に、電化製品関係は、俺から君達へのプレゼントとして買ってやると言ってくれた。

 その後、2週間で両夫妻と設計部長と話し合い設計図が完成した。やがて1989年が終わり1990年があけた。建築開始が1月8日となった。その頃、矢島工務店の大勢の関係者が8人乗りワゴン2台で相模湖町を出発して日吉近郊の古い農家へ向かった。

 そして古家の解体工事をして、大型トラックで廃材や不要品を、次々に大型トラックに積み込み搬出作業をして2日で、土地が、むき出しになった。5日で、整地し1週間で上下水道、電気配線の点検をして、8日目、1月15日、更地にした。

 その後、地鎮祭を開き、加藤夫妻と山倉夫妻、矢島夫妻、工事関係者の総勢12名が出席した。これが終わり、鍬入れ式をいて、2軒の新築工事が開始され、5月末日、完成予定。

 ちなみに、敷地面積は、両方の土地とも約100坪330平米での建坪40坪の総2階建て。今後、必要なら、もう2軒まで家を建てられる土地の広さ。そして、建築費用を前払いすると竜二が、矢島社長に言うと4千万円と言われた。

 もし足らないと申し訳ないので5千万円を入金しておきますので残ったら戻して下さいと告げた。矢島工務店の口座番号を聞き、指定の銀行から直ぐ、5千万円を送金した。その結果、竜二の資産残金が12700万円となった。

  一方、受験生の方は加藤和男は中学3年生になり、いつも学年のベストスリーに入り、数学は常にトップで慶応高校も入れる程の秀才。山倉肇は英語は得意でクラストップた。しかし、数学、国語,理科、社会が、今ひとつ。

 クラスでベスト5で、慶応高校は難しいと言われ、法政二校の合格確率も70%で、もう一息だった。それでも1989年10月から橋本の進学塾に入れて頑張るように言い聞かせた。すると、徐々に主要5科目の成績を上げた。

 その後11月の模擬試験では法政二校の合格確率が75%を越えた。そして1月の最後の模擬試験で合格確率80%の判定が出て法政二校の受験を決意。その後、加藤和男は慶応高校、

 山倉肇が、法政二校を受験して合格を勝ち取った。1991年2月10日、日吉近くの3階建ての新居が完成し2月15日に3階建ての新居に入居した。家の前のバス停からに日吉駅まで10分足らず。

 自転車で自宅から10分,徒歩でも20分で着くとわかった。その後、新横浜へ行ったり東横線で渋谷、橫浜に出かけた。新横浜行きのバスも出ていて20分足らずで着くので新横浜から橫浜線で橋本まで30分で着いた。

 また、日吉から東横線で菊名駅まで急行で7分、菊名から橫浜線で橋本まで35分で着くこともわかった。子供達は、この便利さんに感激して、竜二と加藤さんの長女も繁華街に遊びに行こうと,母と打ち合わせ出かけた。

 そして、彼女たちは高校受験となるので,日吉の進学塾に1990年春から入り、勉強に励み始めた。特に加藤さんの長女の加藤福子さんは英語、数学が兄にも負けない位の成績で絶対に三田の慶應義塾女子高校をめざすと断言。
しおりを挟む

処理中です...