半分ほど人間を辞めて、空飛ぶ舟でだらだら旅をする、渡り鳥と呼ばれる少女のお話

ツクヨミアイ

文字の大きさ
1 / 9

第0話 渡り鳥

しおりを挟む
 空には、名前のない風がある。

 東から吹いて、西へ去る風。
 北から吹いて、また北へ戻る風。
 冷たかったり、甘かったり。
 誰かのため息や、遠くの鐘の音、気まぐれに咲いた花の香りなんかも、気づかないうちにさらっていってしまう。

 そして時々、風は、ぼくに何かを囁いてくる。
 ことばじゃなくて、音でもなくて──ただ、心の奥をそっと撫でるような、あの感じ。

 

 そんな風が、今、また近づいてきている気がする。
 すぐそこまで。

 

 ぼくはルア。
 風読みのルア。

 空を泳ぐ舟に乗って、世界を股に掛ける“配達人”であり、旅人である。

 

 ぼくは現在、まだ訪れたことのない町へ向かっていた。

 配達人となり、それなりの年月を生きてきたぼくだけど、世界は広い。まだ訪れたことのない場所など、数え切れないくらいにある。今向かっているのは、そのうちのひとつだ。



 誰が言ったか、人呼んで“始まりの風が吹く町”──そんな名前のついた町。



一年に一度、春になると、盛大なお祭りをするらしい。

 

 ……うん、実に良い。どうせ旅をするなら、そういう面白い場所じゃないとね。風の吹きすさぶ荒野とか、住民同士がギスギスした村とか、そういうのは勘弁である。心当たりが幾つかあるけれど、ホントもう、二度と行きたくない。

 

「ただ、どうせなら、アシャも連れてきたかったなあ」

 ひと息ついて、冷めかけた風花茶のカップを、ベッド横のサイドテーブルに戻す。
 ほんのりミントと蜂蜜が香って、舌に微かなしびれが残った。

 この空飛ぶ舟“エアリアル号”に、今はぼくひとりだけ。

 数日間一緒に仕事をした同僚は、一月ほど前に既に舟を降りていた。本人はまだ残りたかったようだけど、本来の業務は本部での内勤であり、そちらの仕事もそろそろ溜まっているから、と。

 気ままに旅をするぼくと違い、若手ながら役職に就いている彼女は、とても忙しいのであった。合掌。

 とまあ、そんなわけで今現在、冷めつつあるお茶の香りとぼくの吐息だけが、のんびりと船内を満たしている。

 

 しばらくそんな感じで、のんびりと空の旅を満喫していたぼくだが、船体の航行速度が下がった感覚を覚え、ようやくベッドから腰を上げた。

 甲板へ出て前方を眺める。

 雲海の向こう──そのさらに先に、地面が見えてきた。どうやら、もうすぐらしい。

 

「そろそろ降下準備、と。シルフィ、お願い」

 呼びかけると、船体がゆっくりと降下を始めた。風速は安定、視界良好。舟の制御は、この舟の見えない住人がやってくれるから、舵輪に手をかける必要すらない。いや、そんなものはないんだけども。

 ただ、ここまで順調すぎて、逆に落ち着かないくらいである。

 

 いつもこうして、静かな時間が訪れるたびに、どこかで「このあと何か来るんじゃ?」って勘ぐってしまう。ただそうやって身構えた時には、死神は来ないものだ。そんなことを誰かが言っていた気がする。



 ああ、今更ながら、シルフィとは、この舟に宿る目に見えない存在──精霊のことだ。

 姿は見えず声も聞こえないが、気配はある。このエアリアル号を召喚した時からの付き合いで、ぼくの号令にはきちんと従ってくれる、まことありがたいやつである。
 
 どういった理屈や原理かはさっぱりだけど、シルフィはこのエアリアル号と共に存在し、ぼくの航行を全面的にサポートしてくれているのだった。


 

「そういえば、父さんもこの町に来たことがあったって言ってたな」

 脳裏に浮かぶのは、強面の大男。
 ぼくの父であり師である男が、一度だけここを訪れたことがあるらしい。

 彼は、町のことを何も語らなかった。ただ一言、「一度、あの祭りは見とけ」って、それだけ。

 それがただの見ものであるが故か。それとも違う何か、か。多分、あの人のことだ。あまり深くは考えていないんじゃなあないかと思う。

 

──まあ、それはそれとして。

 

 目を上げると、町の輪郭がはっきりしてきた。
 丘の上に、小さな家々。風見鶏のある石の塔。そして広場には、揺れる布の影。

 あれは……祭りの飾り? いや、風祭りというのだったか。

 

「──とても良い風が、吹いてるんだね」

 まだ降り立ってもいないのに、空気の匂いが違って感じた。

 

 エアリアル号が、ゆっくりと高度を下げ始める。

 旅の始まりは、いつだって穏やかな風に包まれている。
 それが嵐の前の静けさなのか、何かを繋ぐ序章なのかは──風だけが、知っている。



 ぼくはルア。

 風読みのルア。

 想いの結晶を探し、空へと届ける配達人。
 
 そして眼下に見えるこの町からは、その欠片の気配を風が運んできていたのだった。


     


*****

とある村の男性



 配達人? ああ、この間、随分久しぶりに見たよ。前に見たのは、まだおれがガキの頃だったから、つい驚いちまった。

 ああ、知ってるよ。『配達人の妨げになってはならない』だろ? 常識だ。この村の奴ならみぃんな知ってる。小せえ頃から散々聞かされてきたからなあ。

 ......この間来た配達人かい? 白っぽい髪に外套を羽織った、まだ若そうなのだったよ。ただ、ただよ、配達人てのは歳を取らねえんだろう? てことは、あれでいて、おれよりも年上って可能性もあらぁな。いったいいくつなんだか。

 まあ、話してみれば普通の奴だったよ。教会の場所を訊かれたから教えてやったんだが、やり取りと言えばそんなもんだ。特別なことは何もねえ。仕事終わりに酒場に寄ったら、果実酒をいくつか買っていったらしいことを聞いたがな。そんだけだ。

 またいつか、会えるかどうかは分からんなあ。

 それこそ、“風に”聞いてみな。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

魔法が使えない落ちこぼれ貴族の三男は、天才錬金術師のたまごでした

茜カナコ
ファンタジー
魔法使いよりも錬金術士の方が少ない世界。 貴族は生まれつき魔力を持っていることが多いが錬金術を使えるものは、ほとんどいない。 母も魔力が弱く、父から「できそこないの妻」と馬鹿にされ、こき使われている。 バレット男爵家の三男として生まれた僕は、魔力がなく、家でおちこぼれとしてぞんざいに扱われている。 しかし、僕には錬金術の才能があることに気づき、この家を出ると決めた。

いまさら謝罪など

あかね
ファンタジー
殿下。謝罪したところでもう遅いのです。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

追放されたので田舎でスローライフするはずが、いつの間にか最強領主になっていた件

言諮 アイ
ファンタジー
「お前のような無能はいらない!」 ──そう言われ、レオンは王都から盛大に追放された。 だが彼は思った。 「やった!最高のスローライフの始まりだ!!」 そして辺境の村に移住し、畑を耕し、温泉を掘り当て、牧場を開き、ついでに商売を始めたら…… 気づけば村が巨大都市になっていた。 農業改革を進めたら周囲の貴族が土下座し、交易を始めたら王国経済をぶっ壊し、温泉を作ったら各国の王族が観光に押し寄せる。 「俺はただ、のんびり暮らしたいだけなんだが……?」 一方、レオンを追放した王国は、バカ王のせいで経済崩壊&敵国に占領寸前! 慌てて「レオン様、助けてください!!」と泣きついてくるが…… 「ん? ちょっと待て。俺に無能って言ったの、どこのどいつだっけ?」 もはや世界最強の領主となったレオンは、 「好き勝手やった報い? しらんな」と華麗にスルーし、 今日ものんびり温泉につかるのだった。 ついでに「真の愛」まで手に入れて、レオンの楽園ライフは続く──!

ちゃんと忠告をしましたよ?

柚木ゆず
ファンタジー
 ある日の、放課後のことでした。王立リザエンドワール学院に籍を置く私フィーナは、生徒会長を務められているジュリアルス侯爵令嬢アゼット様に呼び出されました。 「生徒会の仲間である貴方様に、婚約祝いをお渡したくてこうしておりますの」  アゼット様はそのように仰られていますが、そちらは嘘ですよね? 私は最愛の方に護っていただいているので、貴方様に悪意があると気付けるのですよ。  アゼット様。まだ間に合います。  今なら、引き返せますよ? ※現在体調の影響により、感想欄を一時的に閉じさせていただいております。

【完結】偽物聖女として追放される予定ですが、続編の知識を活かして仕返しします

ユユ
ファンタジー
聖女と認定され 王子妃になったのに 11年後、もう一人 聖女認定された。 王子は同じ聖女なら美人がいいと 元の聖女を偽物として追放した。 後に二人に天罰が降る。 これが この体に入る前の世界で読んだ Web小説の本編。 だけど、読者からの激しいクレームに遭い 救済続編が書かれた。 その激しいクレームを入れた 読者の一人が私だった。 異世界の追放予定の聖女の中に 入り込んだ私は小説の知識を 活用して対策をした。 大人しく追放なんてさせない! * 作り話です。 * 長くはしないつもりなのでサクサクいきます。 * 短編にしましたが、うっかり長くなったらごめんなさい。 * 掲載は3日に一度。

田舎農家の俺、拾ったトカゲが『始祖竜』だった件〜女神がくれたスキル【絶対飼育】で育てたら、魔王がコスメ欲しさに竜王が胃薬借りに通い詰めだした

月神世一
ファンタジー
​「くそっ、魔王はまたトカゲの抜け殻を美容液にしようとしてるし、女神は酒のつまみばかり要求してくる! 俺はただ静かに農業がしたいだけなのに!」 ​ ​ブラック企業で過労死した日本人、カイト。 彼の願いはただ一つ、「誰にも邪魔されない静かな場所で農業をすること」。 ​女神ルチアナからチートスキル【絶対飼育】を貰い、異世界マンルシア大陸の辺境で念願の農場を開いたカイトだったが、ある日、庭から虹色の卵を発掘してしまう。 ​孵化したのは、可愛らしいトカゲ……ではなく、神話の時代に世界を滅亡させた『始祖竜』の幼体だった! ​しかし、カイトはスキル【絶対飼育】のおかげで、その破壊神を「ポチ」と名付けたペットとして完璧に飼い慣らしてしまう。 ​ポチのくしゃみ一発で、敵の軍勢は老衰で塵に!? ​ポチの抜け殻は、魔王が喉から手が出るほど欲しがる究極の美容成分に!? ​世界を滅ぼすほどの力を持つポチと、その魔素を浴びて育った規格外の農作物を求め、理知的で美人の魔王、疲労困憊の竜王、いい加減な女神が次々にカイトの家に押しかけてくる! ​「世界の管理者」すら手が出せない最強の農場主、カイト。 これは、世界の運命と、美味しい野菜と、ペットの散歩に追われる、史上最も騒がしいスローライフ物語である!

処理中です...