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第1話 初めましては、たぶん嘘
すべてはここから始まった。
そう思える場所が、人生にいくつあるだろう。
駅前のコンビニでもなく、教室の窓際でもなく、誰かと初めて目が合った瞬間でもない。
僕にとってそれは、深夜二時十七分、スマホの通知欄に浮かんだ、たった一行のメッセージだった。
「この世界、たぶん一回だけバグってる」
送り主は知らないアカウント。
名前は「null」。
アイコンは真っ黒で、プロフィールも空白。
どう見ても怪しい。普通なら即ブロックだ。
けれど、その日の僕は、たまたま眠れなかった。
受験も将来も人間関係も、全部が中途半端で、何かひとつでも現実からずれたものに触れたかった。
だから返信してしまった。
「なにそれ」
既読は一秒でついた。
「君、今日の17時23分に一度死んでるよ」
背中が冷たくなった。
ふざけているにしては、気味が悪い。
僕は今日の夕方を思い返した。学校帰り、横断歩道でイヤホンをつけたまま車道に出そうになって、友達に腕を引かれた。たしかに危なかった。でも、“死んでる”は言い過ぎだ。
「恐ろしい。誰のこと?」
「説明すると長い。でも信じて。世界はまれに分岐する」
そのあと送られてきた文章は、陰謀論にしては妙に整っていた。
人は重大な選択や偶然でいくつもの可能性に分かれること。
そのほとんどは自然に収束するけれど、極まれに、消えるはずの別ルートの記憶や感情だけが残ること。
それを彼らは「ノイズ」と呼んでいること。
そして今、僕の周囲で、そのノイズが増えているらしい。
僕は笑い飛ばしたかった。
けれど、できなかった。
なぜなら、最近ずっと変なことが続いていたからだ。
初めて行くはずのカフェの匂いを知っていたり。
見たことのないはずの女の子の泣き顔を夢で何度も見たり。
クラスメイトとの会話に、何度も“やり直した感覚”が混ざったり。
なにより、昨日の放課後。
屋上に続く立入禁止の扉の前で、僕は確かに誰かに言われたのだ。
「やっと見つけた」
振り返っても、そこには誰もいなかったのに。
スマホが震えた。
「明日、放課後。旧校舎の視聴覚室に来て」
「行かなかったら?」
「君はたぶん、また彼女を失う」
心臓が一拍遅れた。
「彼女って誰」
返信はしばらく来なかった。
画面の向こうで誰かが迷っている気配だけがあった。
そして、数分後。
「まだこの世界では、君は彼女のことを知らない」
翌日、授業は一ミリも頭に入らなかった。
昼休み、教室のざわめきも、友達の笑い声も、全部うわの空だった。
ただひとつ、気になることがあった。
窓際の席に座る転校生。
先週来たばかりの、朝比奈 澪。
白すぎるくらい白い肌、あまり笑わない横顔、でも誰かが話しかけるとちゃんと優しく返す声。
クラスでは少し浮いているのに、本人はそれを気にしていないように見えた。
僕は彼女を知らない。
知らないはずなのに。
目が合うたび、胸が苦しくなった。
まるで長いこと会えなかった人を、やっと見つけたみたいに。
放課後、旧校舎に向かう廊下は薄暗く、今どきの学校には似合わない静けさに包まれていた。
視聴覚室の扉は少しだけ開いていた。
中をのぞくと、夕陽の差し込む教室の真ん中に、一人の女子が立っていた。
朝比奈 澪だった。
「……なんで」
彼女は静かに振り返った。
その目を見た瞬間、頭の奥で何かが弾けた。
見たこともない記憶が雪崩みたいに流れ込んできた。
夏祭りの夜。
二人で食べた青いアイス。
人気のない踏切。
雨のバス停。
「来年も一緒にいようね」と笑った声。
そして、赤いブレーキランプ。
割れる音。
届かなかった手。
僕はその場に膝をついた。
息ができない。
知らないはずの思い出が、喪失の痛みごと胸をえぐってくる。
「思い出した?」
澪の声は、優しかった。
泣くのをこらえるみたいに、少し震えていた。
「……誰、なんだよ」
「ひどいなあ。三回目だよ、それ言うの」
彼女は笑った。笑ったのに、その目には透明な涙が浮かんでいた。
「別の世界で、私は君の恋人だった」
「は……?」
「そして、たぶん三回、死んだ」
現実感が消えていく。
意味がわからないはずなのに、心のどこかが理解してしまっている。
ああ、そうか。
僕が夢で見ていた泣き顔は、彼女のものだったんだ。
「一回目は事故。二回目は病気。三回目は、君をかばって」
「やめろ」
聞きたくないのに、聞かなくちゃいけない気がした。
澪は窓の外を見た。
夕陽が彼女の横顔を赤く染める。
「世界はそのたびに少しずつ巻き戻った。でも完全には戻らなかった。君が私を忘れて、私は君を覚えたままになった」
「そんなの……」
「不公平でしょ?」
彼女はそう言って、少しだけ笑った。
たぶんその瞬間、僕は恋に落ちたんじゃない。
もっと厄介で、もっと深い場所に引きずり込まれた。
最初から好きだった誰かを、思い出してしまっただけだ。
「じゃあ、今回は?」
「今回は、たぶん最後」
「最後?」
「ノイズが増えすぎてる。この世界が持たない。ちゃんと収束しないと、どっちも壊れる」
彼女が言うには、この世界には“余分な記憶”が混ざりすぎていた。
僕の違和感も、デジャヴも、彼女の記憶も、そのせいだという。
そして収束の条件はひとつ。
本来この世界に存在しないつながりを、どちらかが手放すこと。
つまり。
「君が私を忘れるか」
彼女は一拍置いて、僕を見た。
「私がここから消えるか」
あまりにも勝手だ。
思い出させておいて、好きにさせておいて、そこから選べというのか。
「そんなの選べるわけないだろ」
「でも選ばなきゃ、君まで壊れる」
スマホが震えた。
あの「null」からだった。
「早く決めて。17時23分が境界」
時計を見る。
あと五分。
澪は僕の前まで来て、そっと手を伸ばした。
触れられた瞬間、また記憶が流れ込む。
彼女と笑った日々。
けんかした日。
未来の話をした夜。
どうしようもなく好きだった感情。
それなのに、最後の記憶だけがいつも赤くにじんで終わる。
「ねえ」
澪が小さく言った。
「今度こそ、君は生きて」
その言葉で、全部わかった。
彼女は最初から自分が消えるつもりだったのだ。
僕に選ばせるふりをして、僕が迷っている間に、ひとりで終わらせるつもりだった。
ふざけるなと思った。
「嫌だ」
「え?」
「なんで毎回、君だけがいなくなる前提なんだよ」
澪が目を見開く。
その一瞬で、僕は彼女の手を強く握った。
「収束とか、世界の都合とか知らない」
「でも——」
「何回やり直しても、結局また好きになるなら、それが答えだろ」
17時23分。
校舎全体が一瞬だけ揺れた。
窓の外の景色が、ノイズの走る映像みたいに歪む。
遠くで誰かの悲鳴。
蛍光灯が明滅する。
視聴覚室の空気がひび割れるみたいに震えた。
スマホに最後のメッセージが届く。
「それを選ぶんだ」
次の瞬間、真っ白な光が世界を飲み込んだ。
――目を開けると、春の風が吹いていた。
教室だった。
朝のホームルーム前。
クラスメイトの話し声。
黒板に書かれた日付。
何もかも、いつも通り。
夢だったのかと思った。
でも胸の奥には、泣いたあとのみたいな痛みが残っている。
そのとき、教室のドアが開いた。
担任の声がする。
「今日から転校生が来ます」
息が止まった。
入ってきたのは、朝比奈 澪だった。
教室が少しざわつく。
彼女は前に立って、名前を書いて、そしてクラスを見渡した。
その目が、まっすぐ僕で止まる。
数秒。
ほんの数秒だけ。
彼女は誰にも気づかれないくらい小さく笑って、こう言った。
「初めまして」
――たぶん、嘘だ。
でもそれでいいのかもしれない。
全部を覚えていなくても、
全部を証明できなくても、
もう一度ここから始められるなら。
僕はたぶん、この先も何度だって彼女を好きになる。
そして今度こそ、
失わない未来を選ぶ。
すべてはここから始まった。
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