セイクリッド・カース

気高虚郎

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第4章:幾多の呼び名を持つ者

第41話:祭りの日 夕方~夜

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※ ※ ※ 都  中州 ※ ※ ※



夕陽に照らされた美しい都にさらなる化粧が施されていた。
祭りではしゃぐ人々、散らばる紙吹雪。
家々を彩る飾り付け。串焼きやお菓子、ご馳走が売られるフリーマーケット

「お母さん、キャンディ買って!」

「さっき串焼きを食べたでしょ。けどいいわよ。」

子供たちは大喜びだ。
今日は美味しい物をお腹いっぱい食べていい日なのだ。




「助けてー。」

白いフードを被り、悪霊に化けた大人が子供たちを追いかける。さあヒーローのお出ましだ。

「子供たちよ、もう心配ない!私に任せろ!」

都を救った英雄、騎士団が模擬剣を悪霊の仮装に振り下ろした。悪霊たちは悲鳴をあげて倒れ、喝采が上がる。重い鎧を来てる騎士にさらに子供たちが跳びかかる。それでも彼らは歯を食いしばって耐えた。彼らはヒーローなのだ。




ちょっと前まで危険地帯だった中州だったが、天使の歌声で舞い上がった人々によって瞬く間に祭りの開催地となったのだ。
天使の歌も奇跡なら、この復興ぶりもまた奇跡といえよう。

「みんな楽しそう…。」

1人の少女が豪邸の屋根から祭りの様子を眺めながら、子供時代を振り返っていた。
彼女は金銭も愛も欠けることがなかった。欲しい服も食べ物もすぐに手に入った。
抱っこしてって頼めばいつでも父や母やフィリップの腕が自分を抱きしめてくれた。
それらを甘受してきた報いだろうか。普通の家庭が本来は抱える苦難を今さらになって受けとめているのかもしれない。

「私はどうすればいいの…?」

世界中の誰もこの状況を切り抜けられる答えなど見つけられないだろう。
いるとすれば神か、それに近いものぐらいだ。

「どうか大地に降りて、お父様をお救い下さい。お願いします。」

ロレインは立ち上がり、神が座すであろう天を見上げた。
そして目をつぶり、思い切り叫んだ。

「天使様―!」

精一杯、叫んだつもりだが夕焼け空に変化はまるでない。
ではもう一度。

「天使様―!!」

またしても空に変化はない。
声も気持ちもまだ足りないようだ。では今度こそ、心を込めて、腹から声を出して。

「天使様ー!!!降りてきてー!」

「何を叫んでるんだ、ロレイン?」

「ひゃっ!?」

ロレインは顔を真っ赤にして、自分を呼んだ声の方を振り向いた。
自分が立つ屋根、そしてそこには彼もいた。

「どうしてここに!?」

「メインイベントを見に来たら、知っている顔が屋根にいたのを見つけたんだ。」

日が沈みそうな中、屋根の上で首を傾げる便利屋は絵画のような美しさだった。彼には吸血鬼や妖魔のような危うさは感じられない。まるで暖炉のような暖かみだ。




マデリーンがくれた幻コインによって便利屋はひたすら食うわ買うわで遊びまくっていた。
串焼き、蜜たっぷりの飴、菓子パン、サンドイッチ、輪投げやらで得た賞品。
戦利品を詰め込んだ袋から、ロレインも分けてもらったりんご飴を噛み潰すのであった。

「そろそろメインイベントが始まるわ。見てて。」

「あの組み木、凄い高さだ。」

広大な川に建てられた足場にそびえ立つ巨大な組み木。
都の大工たちによる会心の作だ。
その高さは陸地に建つ豪邸のさらに屋根に座る2人すら見下すほどだ。
川辺にすし詰めになるほど集まった人々は、一斉にその塔に注目していた。

「皆様、それではメインイベントの“沈む灯台”が始まります!余りの凄さに口を開きすぎて、恋人の前で涎を垂らさないようお気を付けください!」

ジョーク交じりに1人の女性が川岸に建つ特設の櫓からイベントのスタートを人々に呼びかけた。彼女は盛大な拍手を受けながら、弓矢を取り出した。

「火矢か。」

櫓から放たれた火矢が組み木の塔に命中した。
塔についた火はその範囲を広げ、ゆっくりと組み木を覆っていく。
やがて組み木の塔はその全てが猛火に覆いつくされた。

「すごい…。」

便利屋は唖然としながら燃え上がる塔を見つめた。
何という迫力。天にも届きそうな炎の渦に息を呑む。
太古から人類を進歩させ、滅ぼしてきた火の持つ畏怖が本能へと訴えかける。
ただ見ているだけで魂までも炎に飲み込まれてしまいそうだ。

「まばたきしちゃだめよ。」

ロレインはメインイベントに圧倒される彼に簡潔なアドバイスを送った。
今からはまばたきすら後悔へと繋がる。
膨れ上がり続ける炎。都ごと燃やすのではないかというほど勢いが止まらない。
やがて眺める人々すら恐怖を感じたその時だった。

「うわあっ!」

組み木の塔がついに限界を迎えた。
燃え上がる塔は瞬く間に縦に崩れ、川に飲み込まれのだ。
その身に纏っていた膨大な炎の熱量による蒸発、そして大量の木材が沈んだことによる衝撃で川が見えなくなるほどの蒸気と水飛沫に覆われた。

「想像以上だ…。」

メインイベントの見事なるフィニッシュに観衆からは拍手と喝采が上がった。
かつて大地は炎に覆われ、救い主の灯台は天使の手で湖に沈められた。
この“沈む灯台”は滅びの炎と、聖涙教の象徴たる灯台から着想を受けた都を代表する催しだ。
燃えようとも横に倒れれない計算された木の組み合わせ方。フィニッシュに合わせて崩れるように建てられた水上の足場。大工たちの完璧な仕事の結果だ。
便利屋はその人間の卓越した技術に圧倒されるのであった。

「いやあ、壮大なイベントだったよ。」

「まだ終わってないわ。霧を見て。天使さまがいるから。」

彼女が言うにはイベントはまだ続いている。
便利屋は困惑しながら川を覆っている蒸気と飛沫が起こした霧に奇跡を見た。

「あれは…。」

霧の中に大きな人の影が浮かんでいる。さらにその影を丸い虹が囲んでいた。後光を背負った神々しい影。まるで天使のようだ。

「手を振ってみて。」

言われるがままに手を振るとその影もまたこちらに向かって手を振った。

「あれは誰なんだ…!君も魔法を使えたのか?」

ロレインの知ってるかのような口ぶりに戸惑いを隠せない。
あの影が魔法で呼び出した人知を超えた存在に思える。

「あれはあなたよ。あなたが手を振ってるからあれも手を振るの。」

「えぇっと…、どういうことなんだ?」

ますます訳が分からない。
今でもあれは魔法の類にしか思えない。

「光には色が沢山あるんだけど、それがすべて混ざると白い光になるの。その白い光が霧や水滴に当たるといろんな色の光にばらける。そして虹が出来る。」

まず科学の話からだ。
あれが奇跡ではないと説明するために。

「あなたの背後に差し込んだ夕陽の光が、霧でばらけたの。そしてあなた自身の影が霧に映し出され、影の周りを虹に似た光の輪が包んだ。魔法でもなんでもない、自然現象よ。」

ブロッケン現象と呼ばれるものだ。太陽光を遮らない場所、晴れた天候、眼下に霧があること。それらの条件が重なった時にしか見れない珍しい現象だ。
イベント、夕陽が差し込む位置、イベントの時間帯。
この屋根はそれらの条件が重なった奇跡の特等席なのだ。

「どうして知ってたんだ?ここならあれが見れるって。」

「まだお父様とお母さまが子供のころ、この豪邸のパーティーで2人は出会ったの。寂しそうだったお父様をお母さまは元気づけてあげようと思って、この屋根までお父様を連れて来たんだって。そしてこの光景を見つけたの。私にも見せてくれたわ。」

「だから君はここに来たんだな。」

父と母の想い出の場所。彼女は今、どちらも失いつつある。
想い出にすがりたくもなるだろう。

「お母さまは魔物によって住んでいた村を滅ぼされたの。たった一人で山を迷っていた時にこの現象を見て、天使様だと思って行ったら仕事帰りの教授と司祭様に出会って助けられた。そして教授の弟子になってお父様と巡り合ったの。」

発掘の出資者を求めたバルマンに連れられてアビーはパーティーに参加した。
すぐに大人の世界に退屈したアビーが見つけた同じ年頃の少年、それがアリアンナ家の跡取りとして顔を出したティモシーだったのだ。

「お父様はずっと独りぼっちだった。おばあ様はお父様が幼いうちに吟遊詩人と駆け落ちして出ていった。おじい様は厳しくてすぐにお仕置き部屋に閉じこめられたって。」

ティモシーの母親は母であることよりも女であることを望み、アリアンナ家を立ち去った。
そして先代は深い戦傷を抱えていて先が長くなかった。その逸る気持ちゆえにティモシーへの厳しさにつながったのだ。

「毎日が辛いことばかり。けどお母さまに出会ってから毎日が輝き始めたってお父様は話してくれた。」

「だからあそこまで奥さんのことを…。」

ようやく納得した。
あれほどの権力と財力を持つ貴族がなぜ他に愛人を囲っていないのかを。

「何故、お父様は辛い目にばかり遭うの?何故、魔王はここまでして肉体を欲するの?体があれば病気になるし、怪我だってするじゃない。」

「辛いことがあったら心がバラバラになりそうって言うだろ。肉体を持たない精霊はそのままバラバラになって消えてしまうんだ。だから包んでくれる体がいるんだ。」

耐え難い喪失、理想と現実の差異。自分の心の在り様を保てなくなった時、人の心は傷つき、引き裂かれる。膝をついて絶望に打ちひしがれ、生きる気力を失う。
だが肉体に刻まれた生存本能が再び立ち上がらせる。

「涙は辛い世界を生きるための聖なる試練。けど体が無ければ涙を流せない。だから肉体を求めるのね。」

「そういうことだ。」

肉体は魂を閉じ込める牢獄でもあり、魂を守る家でもある。精霊は常に自身の崩壊の危機を抱えているのだ。

「魔王がお父様の肉体を手に入れた以上、いつまでも膝を抱えてばかりいられないわ。今後の話をさせて。」

川を覆う霧が晴れ、見えるは燃えカスとなった残骸。
夕陽は沈み、夜が訪れた。もう霧の中の天使はいない。
いい加減に現実を見つめる頃だろう。彼女はアリアンナ家の後継者なのだから。

「バルべリスの資料を読んだ上での予想だけど、魔王はアリアンナ家の財力と権力を利用して戦乱を巻き起こす。アリアンナ家が、お父様の名が魔王の依り代として歴史に刻まれるなんて耐えられないわ。協力してくれる?」

「ああ。出来る限りの事をしよう。」

魔王は反乱を起こしてこの国を乗っ取るだろう。
そして隣国に戦争をしかけて侵略する。それを繰り返して新たな帝国を築くだろう。
野望を阻止するのはアリアンナ家の義務。ロレインの顔から決意が伝わってくる。

「名前を教えて。あなたはこの中州を救ってくれた恩人で、これからもっと大きな作戦に関わることになる。歴史に名を刻むに足る人よ。それなのに便利屋じゃ締まらないわ。」

「そしたら俺の銅像が建てられ、吟遊詩人が俺の歌を詠うのか?おれはただの旅人だ。歴史に名を刻むつもりなんてない。」

最大限の敬意を払っているというのに名前すら教えてくれない便利屋。
ロレインもさすがにカチンときた。

「勝手にしてちょうだい。だったらあなたの名は『ドコカノ・ダレカサン』で語り継がせてもらうから。」

「勘弁してくれ。大量の本を読んだが、そんなヘンテコな名前…。」

便利屋が魔術に関する書物を読んだ記憶を思い起こした時だった。
突如、彼は石像のように動かなくなってしまった。

「どうしたの?」

固まってしまった彼をロレインが不安気に見つめた。
そして数秒後、便利屋の口が動いた。

「スラフ。それが俺の名前だ。」

「セラフ(天使)?天使様?」

便利屋は覚悟を決めた。
最後までこの依頼をやり通してみせる。

「セラフ(Seraph)じゃない。スラフ(Sraf)。君の依頼を果たす意思表明として名乗る。伯爵を救う方法を思いついたんだ。」
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