セイクリッド・カース

気高虚郎

文字の大きさ
上 下
51 / 106
第5章:作戦準備

第46話:罪の礎

しおりを挟む
※ ※ ※  修練場  ※ ※ ※

「トラン、準備はいいな?」

「は、はい!」

馬に乗ったトランが団長の言葉に答える。
自信無さげな声だ。

「はじめ!」

団長の掛け声の直後、トランは馬に鞭を入れた。
馬は颯爽と駆け出し、修練場に引かれたコースを走る。
トランは馬を駆りながら弓を構えて用意された的に狙いを定めた。
しかし激しく揺れる馬上。的を狙うどころか、乗り続けることすら難しい。

「おわあああ!」

弓を放つ前にトランは馬上で体勢を崩した。
弓や的などそっちのけで馬に必死にしがみついて、落馬を阻止するのであった。

「大丈夫か!?」

仲間たちは直ちに馬に駆け寄り、トランを地面に下ろした。
下手をすれば命を落としていたかもしれないミスから生還し、トランは胸をなでおろした。

「トラン、休憩しろ。このまま続けると危険だ。」

落馬しかけるという醜態を晒したトランに団長は穏やかに休憩を促す。
しかし厚意を無碍にするかのように彼は団長を睨んだ。

「団長。何故、弓の訓練なんですか?剣や槍ではいけないのですか?」

「話しただろ。相手は剣を指だけで折れる魔王だ。まともに斬り結べはしない。我々が取れる最良の戦法がこれなんだ。」

それが納得できない。ずっと騎士の誇りを持ち、真正面から敵に立ち向かう修行をしてきた。
何故、こんな訓練でヘトヘトにならねばいけない。

「命を引き換えに魔王の体に剣を突き刺す覚悟ならある!馬に乗って遠くから矢をチクチク刺すなんて情けないじゃないですか!?」

「我らは狂戦士ではない!死んで楽園に行くためではなく、民を守るために戦っているのだ!うぬぼれるな!」

団長の説教で集まる仲間たちからの注目。
トランは意気消沈して座り込んだ。
そして団長も仲間たちも無言で騎射の訓練に戻るのだった。

「なにやってんだ、俺は…。」

周囲の視線に晒されてトランはやっと気づいた。
情けないのはこんな事で、団長相手に不満を垂らす自分だ。
皆が真剣に訓練に励んでいるというのに。

「すっきりしたか?相手は魔王だし、これまでのようにはいかないからな。」

へたり込むトランの傍にロスーが来た。
今こそ相棒の出番だ。

「みんな考えてた事だ。よく言ってくれた、と思ってるやつもいるさ。恥なんて晒してなんぼさ。あの人なんて何度も負けてるじゃないか。」

ロスーが指差す場所では少年と老人が戦っていた。
戦っているというより一方的にやられてるという方が正しい。
老人によって紙切れのように宙を舞い、地面に落とされる。
その繰り返しだ。

「あの人は負ける姿も、泥だらけの姿も綺麗なんだよ。」




「30本、終わりです。」

マデリーンは30戦目が終わると動きを止めた。
これ以上は戦わない。出来ないのだ。

「申し訳ありません。後遺症がなければ、もっと修行に付き合えるのですが…。」

マデリーンはバルベリスによって生死を彷徨う状態に追い込まれ、後遺症が残った。
ゆえに長時間の戦いはできない。
30本の試合を、1日に数回。それが限界だ。

「いえ。何百回もだらだら投げられるよりも、貴重な30本に全力を尽くす方がいい…。ですが…、この手合わせに意味はあるんですか?」

地面で痛みに耐えて、寝転びながら便利屋はマデリーンへと問うた。
急に統身道を授けると言い放ち、やることと言えばひたすら勝負ばかりだ。

「統身道の神髄は、流れを捉えることです。己と相手の肉体の流れを把握することで清流のように躱し、微小な経絡の流れを捉える。あなたは私の油断を見抜き、さらには捻った腕を流れるようにほどいて1本を取りました。まぐれとは思えません。」

武器や魔術を使わない純粋な勝負において、マデリーンは負け知らずだった。
だが彼はその伝説を破ったのだ。偶然ではない。

「天賦の才か、これまでの経験か、はたまた守護霊か。いずれにせよ、あなたには統身道の基礎が出来ている。それを伸ばし、たとえ数点でも経絡を打てるようになれば大きな戦力になります。手取り足取り教える時間はありません。私との勝負で流れを捉える術を体得してください。」

この修行は勝率が限りなく低い賭けだ。
作戦までに便利屋が使えるようになれば大勝ちなのだ。

「なにかヒントはありませんか。流れを掴むコツとか。」

「心を無にしてください。己を鎮めるほど、流れを把握しやすくなります。」

掴みどころの無い助言を伝えるとマデリーンは去っていった。
作戦準備をしているのはここだけではない。彼女は他の様子も見に行かねばならないのだ。

「心を無って…。」

易々というが無心の境地はマデリーンのような熟達者でないと到達できない。
便利屋みたいな若造では到底、無理だ。

「心を無にする方法…、そうだ!」





「これでいいのか、便利屋さん?」

「ありがとう。」

修練場に運ばれたのは人が入れるサイズの大きな樽だ。そして中には水がたっぷりと入っている。便利屋の頼みとあれば断れず、騎士団総出で準備した。

「じゃあ、早速。」

「何を、ってうわああああああ!」

その場にいる全員が見とれた。
便利屋は服を脱ぎだし、全裸を晒したのだ。
全身を包む透き通るような肌、すらりと伸びたしなやかな手足、質感の良さそうな尻。
生命が込められた芸術品に欲情どころか心が清められるかのようだ。
彼は周囲の視線を気に留めることなく、樽に溜まった水に飛び込むのだった。

「ええい、覗くな!彼は修行中だ!お前らもさっさと自分の修行に戻らんか!」

団長は樽を覗こうとする騎士たちをひっぺがし、騎射の修行へと戻す。
精神もまた立派な方だ。

「しかしですね、団長。弓矢なんかで魔王の肉体を貫けるんですか?技術だけじゃどうにもならないですよ。」

「貫ける矢なら鋭意製作中だ。お嬢様に任せろ。」



※ ※ ※  実験部屋  ※ ※ ※



少女は杖を抱えながら、自問自答していた。

「鋼の斧による試し切りは終わりました。効果なしです。」

何故、自分はこんな所にいるのだろう。

「剣、槍、矢。やはり鋼の武器による殺傷は期待できませんね。聖水の用意を。」

どうしてこんな残酷な事をしているのだろう。

「聖水に浸した鋼のナイフ。参ります。」

そもそもなぜこんなことを…。

「あああああああああああああ!」

けたたましい人ならざる声が、少女を自分の世界から引き戻した。
周りを見ると、ここは実験部屋だ。
部屋には作戦に関わる修道士がいる。
中心には机、その上にネズミの魔物が鎖で縛り上げられていた。
その魔物に助祭がナイフを突き刺している。

「私は…、何を…?」

ロレインは我に返り、今行われていることの確認を始めた。
確か自分の役目は…。

「離れてください!」

助祭は周囲に注意を喚起した。
魔物は激しく暴れ、鎖による拘束から抜け出そうとしている。

「ロレイン様!魔物を鎮めてください!」

鎮める。
その言葉を聞き、足元の魔法陣を見てロレインはようやく自分がここにいる理由を想い出した。

「早く!」

ロレインがもたつく間に魔物は拘束から抜け出し、自由の身だ。
魔物は机の上で、自分を傷つけた憎き助祭へと牙を剥き、飛び掛かる姿勢を取った。
この部屋は血の海になるまで後わずか。

「荒ぶる魂よ、鎮まれ!」

ロレインが詠唱を叫んで杖を床で突いたその瞬間、魔法陣は輝きを放った。
数瞬の輝きの後、部屋は静寂を取り戻す。
魔物は机の上でぐったりと横たわっていた。

「ふう…。鋼でも聖水に浸せば効果があると十分に証明できましたね。」

「す、すみませんでした!」

この部屋では魔王討伐に作られた武器が、ネズミの魔物に効果があるか試している。
儀式の再現によって作られたこの魔物に通用するなら同じ儀式で作られた魔王の肉体にも通用するはず。どの素材が効くか、改良点はあるかを見定めているのだ。
魔物が暴れ出した際、魂を鎮めて大人しくさせるのがロレインの役目だ。

「体調が優れないのであれば、おっしゃってください。あなた無しでこの実験はできません。中断しましょう。再開後は銀の武器による実験を始めます。」

「は、はい…。」

ロレイン自身が分かっていないのだ。
一時の油断も出来ない実験のはずなのに、なぜボーッとしていたのか。

「お嬢様、少し話をしましょう。」

壮年の修道士はそういってロレインを部屋の外へと連れ出した。





教会の外で2人はベンチに腰かけた。
爽やかな風が吹き、足元には花が咲く。気分転換には最適な場所だ。

「申し訳ありません。こ私が言い出したことなのに。」

「無理もないわ。あんな悲鳴を聞いたらね。」

この作戦はロレインの依頼から始まった。
だというのに今は本人が支えられている状態だ。

「でも、でも…。もうあのネズミを苦しめる事に意味を見出せない…。私は父を殺すかもしれない武器を作っているんですよ…!」

ロレインは顔を手で覆って泣き出した。
魔王を殺す事は父を殺す事と同じ。彼女は親殺しに加担してるとも言えるのだから。

「領主様を救うこの作戦は、同時に殺す作戦でもあるの。魔王を殺す武器を作らないのであれば、この作戦は許可されなかったはずよ。」

アウェイクニング作戦は成功率が低く、失敗した時のリスクも甚大だ。
そのリカバーのために武器は作られている。魔王を野に放つ訳にはいかない。

「神様が、救い主様におっしゃった“草木でさえ争う”という言葉を憶えてる?私たちの足元に生えている花も、果てしない闘争の末にここに根付く権利を得たの。私たちが生きている事だってそう。この前、教授を心停止から救った薬だって多くの実験の末に生まれた物なの。」

生命が生まれる事。
それは親が奪い、争い、勝ち取った権利だ。
ゆえに神は、生命は罪に塗れていると言ったのだ。

「あなたは今、世界の礎に触れているの。平和な世界は罪の礎で支えられている。罪に塗れてでも私はこの都に生きる人々を守るわ。お嬢様、あなたにその覚悟はある?」

「もちろんです…。魔王の依り代という永劫の汚名から、お父様を救ってみせます。」

自分が最初に言い放った言葉を返されるとは。全く情けない。
たとえ殺す事になれど、それは歴史に残るであろう汚名から救う事でもある。
ロレインは初志を想い出した。罪に塗れてでも父を救ってみせる。
2人はベンチから立ち上がり、実験部屋へと戻った
しおりを挟む

処理中です...