セイクリッド・カース

気高虚郎

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第5章:作戦準備

第47話:苦き夢

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※ ※ ※  酒場  ※ ※ ※



夜の酒場。
そこは人々のありとあらゆる感情が酒によってぶちまけられる坩堝。

「うおおおおーん!」

「今日も泣いてんのか。若いんだからそろそろ立ち直れよ。」

店主は見かねて泣き上戸に声をかけた。
酒を飲んで泣いてるのは辻馬車の若者。
先日の祭りの夜から毎晩この店で飲んで泣いている。

「けど祭りの夜に告白して振られるなんて惨めすぎる…。お爺さんを助けたりとかしたのに…。」

「良き行いをしたんだ。いつか良き報いが来る。祭りの夜じゃなかったってだけだ。」

「来るならあの時が良かったー!!!」

店主の慰めを聞いた若者はカップを机に叩きつけ、なおも大声でわめき続ける。
周囲の客からも文句が飛んできている。このままでは袋叩きにされかねない。

「良いか、若造。仕事しろ。忙しくなれ。そうすりゃ耐え難い失恋もすぐに過去の想い出になる。なんだったら仕事を紹介してやるよ。危険な仕事もあるだろうが金になる。」

「本当ですか!?人だって物だって何処にでも運びます!紹介してください!」

若者の号泣のトーンはようやく収まった。
彼の未来は救われた。

「うるせえぞ!女なんぞにガタガタ抜かしてんじゃねえ!」

「今はあんたの方が迷惑だ。静かにしてくれ。」

次に店主が近寄った怒れる酒乱はベテランの鍛冶屋“赤鼻”だ。
仕事一筋の職人だ。

「今の仕事でとんでもなく貴重な物を扱ってて、神経が参ってんだよ。飲まなきゃやってらんねえ。」

「貴重って、銀とか金か?」

「その程度だったら良かったんだけどな。」

鍛冶屋は大きな仕事を託されてるようだ。
金や銀がその程度とは、どれほどの品を扱ってるというのだろうか。

「親父、頼みがある!」

突如、酒場に響いた野太い声に酒場にいる全員が一斉に入り口に目をやった。
いるのは騎士団の団長。この都で最も強い男だ。

「一体、何の用だ?」




団長と店主は静かな厨房へと移った。
ここなら国家機密だって共有できる。

「で、頼みってなんだ?ツケを貯めまくったお前がどの面して俺に頼み事を…。」

団長は袋を差し出した。
店主が手に取ると小さな袋にしてはずっしりとした重みだ。
中身を確認すると大金貨10枚。古い家なら購入できる額だ。

「銀行でおろしてきた。俺らが飲み食いしたツケに色をつけてある。」

この額、団長の態度。
本気の頼みという証だ。

「昨日、抜き打ちの避難訓練を行うという告知をしたが不十分でな。この店は都でも一番の酒場だ。この店の伝手で避難訓練の事を都に広めてほしい。都中の人々がいついかなる時でも、二度とこの都に戻らずとも良い備えが出来る程に。」

「な、なんで避難訓練とやらのためにここまで?」

戦争、災害。避難訓練をする理由など幾らでもある。
しかし、都に奇跡が起こって間もない時期にやるべき事なのだろうか。

「いずれ話す。だが今は黙って頼みを聞いてくれ。この通りだ。」

プライドの高い団長がここまで縋りつくとは。
この心意気に応じねば男が廃る。

「任せときな。」

「ありがとう。」

大男2人の固い握手が交わされた。
男の約束だ。

「良かった…。あの方の出る幕はないようだな。」

「あの方?」




「司祭様―!俺の告白に神のご加護を、って仰ってたじゃないですか!振られちまいましたよー!」

「気の毒に。ですがいずれ縁は巡ります。縁に身を委ねなさい。」

あの方は酔っぱらった若者を慰めていた。
都中から尊敬を集める人が。

「司祭様!?」

店主は唖然としながら、酒場の席についたマデリーンが酔っ払いたちの人生相談を聞く姿を眺めていた。
間違っても、こんな店に来る方ではない。

「俺が断られた時の為に来てくださったんだ。あの方の頼みを聞けない奴はこの都にはいないからな。」

「司祭様が出張るほどなんて、その避難訓練って一体…。」

都の最高権力者、受け取った大金。
この避難訓練にはどれだけの秘密があるというのだ。

「真実を話したいが、知ればあんたにも危険が及ぶかもしれない。既に被害者も出てるんだ。」

団長は被害者の姿を思い浮かべた。
教会の暗い部屋で目を覚まさない老人の姿を。




※ ※ ※   幻   ※ ※ ※




ここは夢。どこにも存在しない場所。
夢と知らない師匠と、夢を作った弟子が存在しない空き地で師匠と弟子が実験を行っていた。

「これも駄目か…。」

弟子は肩を落とした。
またしても精霊さんを救う事が出来なかった。

「おお、これが死神もどき…。」

師匠は初めて見る精霊の姿に驚嘆していた。人間の骸骨に黒いローブを纏った姿。図鑑で見たままの姿だ。
その精霊は空間の狭間へすごすごと消え去った。

「死神もどきにネズミさんの魂だけ吸い取ってもらおうと思ったのに、ネズミさんの肉体が強すぎて無理だって…。」

死神もどきは、死神を騙って人々の魂を吸い取る妖魔だ。
非常に危険な怪物である。

「アビー、お前は召喚術も使えたのか。」

我が弟子の才にバルマンは身震いした。
自分の専門である探知と浄化を中心に教えていたが、アビーは呪いや召喚といったあらゆる分野に精通している。

「手間はかかるけど召喚は出来るの。意味なかったけど。どれもこれも失敗ばっかり。」

肉体に精霊の魂こそが真の主だと誤認させる方法。
呪術でネズミの魂を追い出す方法。
どれも失敗だ。

「お前の魔術は凄いけどもっと閃きが必要だな。発想の方向性を変えてみるか。しかし、どうしてこんなことになったんだ?」

「精霊さんにとっておきの体をあげたくて特製の魔法陣を使った儀式をしてたの。この儀式を何度もやればネズミさんの魂は弱まって精霊さんに取り込まれるはずだったの。けど悪い人が魔法陣を壊しちゃった。今から魔法陣を作っても間に合わないわ。」

なんて悪い人だ。
きっと素っ裸で、人の家を爆破するような奴なのだろう。

「こんなに魔術の勉強してるなんて偉いぞ。当然か、天使に会わなきゃいけないんだからな。」

「うん。私の夢をみんなが応援してくれてるもん。」

なんて無垢な笑顔だ。
そしてこの笑顔を見る度に罪悪感が、バルマンの心に突き刺さる。
今この瞬間も。

「なあ…、聞いてくれるか?お前に言わなきゃいけないことがあるんだ。とてもガッカリするだろうけど。」

「なに、師匠?」

もしかしたら死神もどきをけしかけられるかもしれない。
だがこれ以上、黙っている事は出来なかった。

「虹の天使なんだけど…、色んな説があるんだ。伝説や神話を調べてるうちに天使には異教の神や、土着の精霊が混じっているっていう可能性が高いことが分かってきたんだ。」

「ええ!?」

魔王たちと戦った天使の軍団。
先人たち、そして自分の調査でその全てが天使ではないという確信を得ているのだ。

「虹の天使って言葉には、虹になって世界を救ったってだけじゃなくて多くの存在が協力して脅威と戦ったっていう意味もあるって説もあってな。だからお前が探してる“夜の羽根”の天使も土着の神かもしれないんだ。」

「そんな…。」

アビーの瞳に涙がたまっていく。
バルマンは目を逸らすことなく、その瞳を見つめた。

「嘘だったの、天使様のこと…!?師匠なんて大っ嫌い!」

「アビー!」

少女はネズミを抱えて走り出した。
師匠の言葉に振り返ることはなく、空き地に呆然とした青年だけが残された。

「ごめんな…。」



※※ ※  アリアンナ邸 お仕置き部屋 ※ ※ ※



「こんなものか。」

バルベリスは幻から帰還した。
これ以上やったら老いた学者の精神が持たない。

「ふう…。愚かな師だ。」

バルマンの愚行を笑うのだった。
あんなデマで才ある魔術師の人生を狂わせるとは。

「おやおや、どうしたんだ?怯えているのか、人々から恐れられてるはずのお前が?」

「はっ、はっ、はっ…!」

薄暗い部屋の隅っこで震える骸骨姿の精霊へと目をやった。
先ほど召喚した死神もどきだ。

「手間ばかりかけさせおって。この役立たずが。」

「しかし“甘き夢”よ…。その体は強すぎて…!もっと人手が必要です!」

バルベリスはゆっくりと近づき、その髑髏頭を鷲掴みにした。
霊体とは本来、触れられる存在ではないが膨大な魔力を持つ彼の前ではその法則は意味をなさない。

「少しは役に立て。一服の時間を提供するとかな。」

「あ、ああ…!や、やめ…!」

髑髏頭が握りつぶされ、骨型の霊体が崩れ去った。
まき散らされた霊気をたっぷりと吸い込んで、肺を満たす。
堪らない。死神もどきの霊気の苦い味わいが脳髄まで染み渡る。

「お前の言う通り、人手は必要だな。そのせいであんな老いぼれに頼る始末だ。」

魔王と呼ばれ、多くの部下に恵まれていた時代が懐かしい。
彼らによる優秀なサポートがあったからこそ“混沌の時代”で君臨出来たのだ。
注目を集めぬよう伯爵には、単独で儀式を続けさせたが理想通りの肉体とは言えない。
そのせいかダルザスやバルマンを支配した儀式に仕込んだ招待状も伯爵には効果がない。
だが肉体の強化は十分出来た。

「喜ぶがいい、世界よ。もうすぐ神が帰還するのだから。」

必ずあるはずだ。
この体を完全に手中にする方法が。そうすれば止められる者はこの時代にはいない。
復活するのは魔王などではない、神だ。
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