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第5章:作戦準備
第52話:前夜
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※ ※ ※ 都 教会 ※ ※ ※
疲れ果てていたロレインは銀行から、教会の一室までなんとか辿り着き、ベッドに寝そべった。
後はもう寝るだけだ。
「おやすみなさい。」
フィリップは主の姿を見守って、部屋から立ち去ろうとした。
しかし誰かさんに裾を引っ張られて阻止されてしまった。
「爺や、目を閉じたらネズミが睨んでくるの。怖くて眠れないわ。」
ロレインの目には確かな恐怖が宿っていた。
とても怖い想いをしたのだろう。
こんなに怖がる主を見捨てるようでは執事失格だ。
バズラ達に都で泊ってくるかもしれないと伝えておいて良かった。今晩は主の隣にいてあげられる。
「心配ありません。私の手を握っていてください。」
ロレインは彼の手を強く握りしめた。
かつて母の手を、父の手を握りしめた時のように。
「ずっとそばにいてくれる?」
「もちろんです。」
フィリップもまた彼女の手を握り返した。
かつてお仕置き部屋にいたティモシーに同じことをしてあげたかったと思いながら。
「フィリップ。私もその子の手を握りましょうか?」
眠る少女の手を握る老人にマデリーンは小声で話しかけた。
握る手は多い方がいいはずだ。
「その必要はありません。」
ロレインは既に眠っている。
とても安心した顔で。
「良かった。ロレインはもう何日も眠っていませんでしたからね。武器を作る実験は重荷だったようです。実験は成功しましたが申し訳ないことをしました。」
「作戦の為には他に適任はおりませんでした。たとえお嬢様が傷ついたとしても私たちで支えてあげましょう。」
傷ついても隣に誰かがいてくれればいい。
それが一番、大事なのだから。
「では友に会いに行きましょうか。彼が待っていますよ。」
「しかし、お嬢様が放してくれなくて。困りましたね。」
眠りについてもなおフィリップの手を握り続けるロレイン。
これではどこにも行けそうにない。
だがそれも大丈夫。ここには身体を統べるプロがいる。
「私に任せてください。少しの間だけ我慢してもらいましょう。」
統身道の達人、マデリーンなら手を放してもらうぐらいお安い御用だ。
「バルマン。会いに来ましたよ。」
過酷な時代を生きた旧き友に会いに、地下の薄暗い部屋へフィリップとマデリーンはやって来た。
今晩は特別に2人がバルマンの看病だ。
「作戦は順調です。便利屋様はめきめきと腕を上げ、お嬢様は心に傷を負ってまで務めを全うしてくれました。あなたの愛弟子の娘は素晴らしい主に成長しましたよ。」
返事が出来ないだけで、きっと聞いてるはずだ。
フィリップとマデリーンはそう信じて、近況を報告するのであった。
「思い出しますね。薄暗い地下で3人で息を潜めていた頃を。」
この地下の雰囲気はあの日々をつい最近の頃のように感じさせてくれる。
実際はもう何十年も昔の話なのだが。
「ええ。あなた達に演技の仕方を教えましたね、嘘の見破り方も。特にマデリーンの上達ぶりは目覚ましかった。」
「人を欺く聖職者など存在してはいけない。若い頃はそう信じていました。しかし地位を守るために人々を先導して無辜の民を焼く司祭を見た後では、もうどうだってよくなっていました。」
嬉々として火刑を処す司祭、火刑を讃える為に歌われた聖歌、犠牲者の悲鳴。
戦争で傷ついた人々に寄り添おうとしていたマデリーンの心は完全に打ち砕かれ、信仰さえも捨て去ろうとしていた。だが偶然出会った魔術師と出会い、彼を救うことこそが神の導きなのだと思った。
そのためには演技も嘘のつき方も憶えられた。
「素晴らしい役者を育てられたものです。1人は都を代表する学者になり、1人は司祭になったのですから。」
バルマンとマデリーンは都を救うことに大きく貢献した。
その2人に演技という生き延びる術を与えたのは自分だ。
そう思うとフィリップは自分がとても誇らしく感じる。
「それだけではありません。あなたは“春の陽だまり”を作ったではありませんか。」
「それなんですが、ここ1年間ほとんど演技指導も台本の提供もしてあげられていないのが申し訳なくて。この作戦が終わったら、彼らにもっと時間を注ぎましょうかね。その時はアリアンナ家には頼りになる人が来ることですし。」
そういってフィリップは冗談交じりに隣を見た。
彼女なら十分、代わりを務めてくれるだろう。
「その時はみんなで旅行にでも行きましょう。今のうちに行先を決めておきましょうか。」
その後、フィリップとマデリーンはひとしきり候補地を話すのであった。
「楽しい時間でした。では私はお暇します。」
もう十分に語らった。
今晩はここでお別れだ。
フィリップには務めがある。寝ているロレインの傍にいてあげねば。
マデリーンにも務めがある。いつ危機が来るかも分からぬバルマンを見守らねば。
「フィリップ、教えてください。」
去ろうとするフィリップにマデリーンは問いかけた。
ずっと聞きたかったことがある。
「どうしてあの時、私たちを通告せずに守ってくれたの?」
フィリップは当時の事を思い返した。
下されていた捜索の命。そして見つけたお尋ね者の魔術師、そして彼を匿った神学生。
報告しなければ殺されていた。それでも彼らを守った理由。
「あの時の都は嘘と疑念でいっぱいで主さえも信じられず、神様を見失っていました。」
裏切り合い、密告し合い、騙し合う。
容易に誰かに心を開けば、火刑に処された。誰かを信じる事など出来るはずがなかった。
「しかしあの時に出会ったあなたとバルマンの間には大きな絆がありました。その絆に神様を見出したのです。だから私も…、仲間に入れてほしかったんです。」
なんという些細な理由だろう。
フィリップとマデリーンは笑い合った。
こんな理由で今の都が出来ているなんて。
「必ずや作戦を成功させましょう。旦那様とお嬢様、そして奥様のために。」
「ええ。この地で生きる人々のために。」
2人の握手は固く握られた。
その手にはお互いの生き様がこもっていた。
疲れ果てていたロレインは銀行から、教会の一室までなんとか辿り着き、ベッドに寝そべった。
後はもう寝るだけだ。
「おやすみなさい。」
フィリップは主の姿を見守って、部屋から立ち去ろうとした。
しかし誰かさんに裾を引っ張られて阻止されてしまった。
「爺や、目を閉じたらネズミが睨んでくるの。怖くて眠れないわ。」
ロレインの目には確かな恐怖が宿っていた。
とても怖い想いをしたのだろう。
こんなに怖がる主を見捨てるようでは執事失格だ。
バズラ達に都で泊ってくるかもしれないと伝えておいて良かった。今晩は主の隣にいてあげられる。
「心配ありません。私の手を握っていてください。」
ロレインは彼の手を強く握りしめた。
かつて母の手を、父の手を握りしめた時のように。
「ずっとそばにいてくれる?」
「もちろんです。」
フィリップもまた彼女の手を握り返した。
かつてお仕置き部屋にいたティモシーに同じことをしてあげたかったと思いながら。
「フィリップ。私もその子の手を握りましょうか?」
眠る少女の手を握る老人にマデリーンは小声で話しかけた。
握る手は多い方がいいはずだ。
「その必要はありません。」
ロレインは既に眠っている。
とても安心した顔で。
「良かった。ロレインはもう何日も眠っていませんでしたからね。武器を作る実験は重荷だったようです。実験は成功しましたが申し訳ないことをしました。」
「作戦の為には他に適任はおりませんでした。たとえお嬢様が傷ついたとしても私たちで支えてあげましょう。」
傷ついても隣に誰かがいてくれればいい。
それが一番、大事なのだから。
「では友に会いに行きましょうか。彼が待っていますよ。」
「しかし、お嬢様が放してくれなくて。困りましたね。」
眠りについてもなおフィリップの手を握り続けるロレイン。
これではどこにも行けそうにない。
だがそれも大丈夫。ここには身体を統べるプロがいる。
「私に任せてください。少しの間だけ我慢してもらいましょう。」
統身道の達人、マデリーンなら手を放してもらうぐらいお安い御用だ。
「バルマン。会いに来ましたよ。」
過酷な時代を生きた旧き友に会いに、地下の薄暗い部屋へフィリップとマデリーンはやって来た。
今晩は特別に2人がバルマンの看病だ。
「作戦は順調です。便利屋様はめきめきと腕を上げ、お嬢様は心に傷を負ってまで務めを全うしてくれました。あなたの愛弟子の娘は素晴らしい主に成長しましたよ。」
返事が出来ないだけで、きっと聞いてるはずだ。
フィリップとマデリーンはそう信じて、近況を報告するのであった。
「思い出しますね。薄暗い地下で3人で息を潜めていた頃を。」
この地下の雰囲気はあの日々をつい最近の頃のように感じさせてくれる。
実際はもう何十年も昔の話なのだが。
「ええ。あなた達に演技の仕方を教えましたね、嘘の見破り方も。特にマデリーンの上達ぶりは目覚ましかった。」
「人を欺く聖職者など存在してはいけない。若い頃はそう信じていました。しかし地位を守るために人々を先導して無辜の民を焼く司祭を見た後では、もうどうだってよくなっていました。」
嬉々として火刑を処す司祭、火刑を讃える為に歌われた聖歌、犠牲者の悲鳴。
戦争で傷ついた人々に寄り添おうとしていたマデリーンの心は完全に打ち砕かれ、信仰さえも捨て去ろうとしていた。だが偶然出会った魔術師と出会い、彼を救うことこそが神の導きなのだと思った。
そのためには演技も嘘のつき方も憶えられた。
「素晴らしい役者を育てられたものです。1人は都を代表する学者になり、1人は司祭になったのですから。」
バルマンとマデリーンは都を救うことに大きく貢献した。
その2人に演技という生き延びる術を与えたのは自分だ。
そう思うとフィリップは自分がとても誇らしく感じる。
「それだけではありません。あなたは“春の陽だまり”を作ったではありませんか。」
「それなんですが、ここ1年間ほとんど演技指導も台本の提供もしてあげられていないのが申し訳なくて。この作戦が終わったら、彼らにもっと時間を注ぎましょうかね。その時はアリアンナ家には頼りになる人が来ることですし。」
そういってフィリップは冗談交じりに隣を見た。
彼女なら十分、代わりを務めてくれるだろう。
「その時はみんなで旅行にでも行きましょう。今のうちに行先を決めておきましょうか。」
その後、フィリップとマデリーンはひとしきり候補地を話すのであった。
「楽しい時間でした。では私はお暇します。」
もう十分に語らった。
今晩はここでお別れだ。
フィリップには務めがある。寝ているロレインの傍にいてあげねば。
マデリーンにも務めがある。いつ危機が来るかも分からぬバルマンを見守らねば。
「フィリップ、教えてください。」
去ろうとするフィリップにマデリーンは問いかけた。
ずっと聞きたかったことがある。
「どうしてあの時、私たちを通告せずに守ってくれたの?」
フィリップは当時の事を思い返した。
下されていた捜索の命。そして見つけたお尋ね者の魔術師、そして彼を匿った神学生。
報告しなければ殺されていた。それでも彼らを守った理由。
「あの時の都は嘘と疑念でいっぱいで主さえも信じられず、神様を見失っていました。」
裏切り合い、密告し合い、騙し合う。
容易に誰かに心を開けば、火刑に処された。誰かを信じる事など出来るはずがなかった。
「しかしあの時に出会ったあなたとバルマンの間には大きな絆がありました。その絆に神様を見出したのです。だから私も…、仲間に入れてほしかったんです。」
なんという些細な理由だろう。
フィリップとマデリーンは笑い合った。
こんな理由で今の都が出来ているなんて。
「必ずや作戦を成功させましょう。旦那様とお嬢様、そして奥様のために。」
「ええ。この地で生きる人々のために。」
2人の握手は固く握られた。
その手にはお互いの生き様がこもっていた。
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