セイクリッド・カース

気高虚郎

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第5章:作戦準備

第61話:最後の障害

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※ ※ ※  アリアンナ邸 庭園  ※ ※ ※




バルベリスは庭園を歩きながら夜空を見上げ、この準備にかけた200年を振り返っていた。

「ようやくここまで来たか…。」

人にとっては長すぎる時だが、彼にとってはそうでもない。
バルベリスは悠久の時を越え、人類の進歩を何万年も見守って来た。
金属で道具を作り、農業を憶え、言語を扱えるようになるまでにかかった年月に比べれば、盤石な準備を整えるための200年などあっという間だった。

「破綻しそうだった計画をよくここまで修正出来たものだ。」

この計画には障害がいくつもあったが、最初はダルザスだった。
情緒不安定な奴で、魔王に選ばれたと舞い上がったせいで魔術師会から追放された。
過激な思想を抱く悪しき魔術師ダルザスは庇護を失い、依り代になる事を望んでいたパトリック家共々、アリアンナ家に言いがかりをつけられて滅ぼされてしまった。
自分の存在を隠すためには彼らを見捨てる他なかった。
協力者たちを失ったせいで計画は大幅に遅れ、バルベリス単独で呪いという体でアリアンナ家の血筋の間引きを行ったが、加減が分からずに何度も断絶の危機を迎えた。

「お前も大変だったな。50年前はまさに危機だった。」

バルベリスは先々代の石像を見上げ、次の大きな障害を思い起こした。
ひとまず間引きを100年で終えて、血筋の者が増えるのを50年待ったが今度は戦争だ。
戦況の旗色は悪く、アリアンナ家は危機を迎えていた。
計画を早めて幼かったサムソン・アリアンナに儀式をさせて仕上がりを確認したところ、暴走に陥ってあの惨劇が起こったのだ。
だがこの最大の危機も乗り切った。正気を失った先々代に助言を与えて暴君に変えることで、戦争に勝利をもたらしたのだ。

「誇らしいだろう。自分の子孫が、私の依り代に選ばれてな。」

このティモシー・アリアンナは屈強な肉体、明晰な頭脳を持っていたが精神は脆弱だった。
虐待によって不安定な子供時代を送った彼は、妻を失った事で付け込む隙を与えてくれた。
まさに理想の依り代なのだ。

「お前の孫が世界を塗りつぶす様を見守るがいい。」

バルベリスは石像に背を向け、目的地へと向かった。




目的地が見えた。
庭園に描いておいた大きな魔法陣だ。
この魔法陣はバルベリスの悠久の知恵、そしてあの下僕のアイデアによって作られた唯一無二のものだ。

「さあ、始めよう。」

200年に渡る計画の成就まであと少し。栄光の時代が始まるのだ。
魔法陣の中央へと歩を進めた。

「ん?」

しかしまだ障害が残っているようだ。
魔法陣に異変が起こっている。大きな箱が中央に置かれているのだ。

「棺か?」

棺。
旅立つ死者を納めるための箱。
何故こんなところに置いてある。

「うっ!?」

近づいて確認した瞬間、絶句した。
蓋がなかったからすぐに分かった。
胸に刺し傷のある男が棺で寝ていることに。

「なっ、どうなっている!?」

棺、棺、棺。
思わず目を逸らしたが、逃げ場はなかった。
気付けば取り囲むかのように、周囲に大量の棺が置かれている。

「どこだ、姿を現せ!」

さっきまで影も形も無かった大量の棺が突然、現れるはずがない。
これはトリックだ。もしくは魔術によって作られた幻。
困惑する姿を、どこかでほくそ笑んで見ているのだ。

「くだらん真似を…!うっ!?」

虚勢すら吐けずに彼は固まった。
棺の男が立ち上がってこちらを見ている。
胸の刺し傷から血を流しながら、虚ろな目で。
その目は2つではなかった。取り囲む大量の棺、その全てから男たちが立ちあがっていた。
1人は歯が一本も無かった。1人は小指と親指が無かった。1人は足に親指しかなかった。
彼らは一斉に見ていた。怒りも、恐れも、悲しみも、何も宿らない虚無なる瞳で。

「私が憎いのか!?何か言ってみろ。かかってきたらどうだ?」

彼らは何も言わない。微動だにもしない。見ているだけだ。
ただの視線が罵声や暴力を越えて、恐怖を駆り立てる。

「失せろ!」

バルベリスは幻に掌を向け、猛烈なる火炎を放った。
鉄をも溶かす熱、象すら呑み込む激しさで。
そのまま彼は回転し、自分を囲む幻全てを炎で包み込んだ。

「クソ!」

炎が消えても変化はない。
彼らは火炎をまるで意に介さず、視線を向けていた。
当たり前の事。幻は斬ることも、砕くことも、焼くことも出来ないのだから。

「腰抜けの器が!」

今の火炎放射でバルベリスは我に返った。
これはトリックではない、魔術にかけられてもいない。依り代が原因だ。
この幻は全て儀式によって殺された贄となったチンピラ達。
魔法陣、儀式の直前という状況にティモシー・アリアンナの肉体が反応し、罪の意識を呼び起こして幻覚を見せているのだ。

「この程度を殺したぐらいで恐怖にうなされおって…。」

口惜しい。
覇道を歩んできたバルベリスが、これまでに殺してきた命は数十万はくだらない。
戦士も、罪人も、無辜の命も犠牲にしてきた。
それが100人程度の、死んで当然の連中の幻に苦しまなければならないとは。
脆弱すぎる精神が仇となっている。この乱れた精神では儀式を行う事など不可能だ。

「消え去るがいい、幻よ…。」

この手の悪夢の消し方は心得ている。
悪夢に反応しない事、気の迷いと思う事、息を整える事。
目を閉じ、深呼吸して、心を落ち着ける。
そうすればすぐに精神を平静にできる。
何も恐れることはない。幻は何も言わないし、触れることも出来ないのだから。

「う?」

幻は何も言わない。触れても来ない。
なのに何故か、たった今背中に何かが触れた。
触れたというより、チクリと刺さった感触が。
バルベリスはすぐさま閉じていた目を開け、後ろを振り返った。

「貴様は!?」

「良い夜だな、魔王様。」

そいつを見たのは僅かな時間だった。
だがその姿は脳裏に焼き付いていた。
月に照らされ、さらなる神秘を帯びていた。
風に流れる流麗な髪、星空と見紛うほどに鮮やかな瞳、雪のように白い肌。
長い年月で数えるほどにしか見た事のないその美貌。
計画最後の障害だった賊が目の前にいた。

「何故…?」

迅速な対応によって始末したはずの賊。
あの棺や男たちのように幻ではないのか。
だが先ほど触れたのであれば、生きてここにいるということだ。

「がっ…?ぐあ…!」

「あんたに用はない、引っ込んでてくれ。」

賊が生きていることへの疑問、トラウマへの恐怖。
それらは直ちに思考の隅へと追いやられた。
新たな問題が発生したからだ、呼吸が出来ないという緊急の案件が。
バルベリスは胸を抑え、次の対応を検討するも新たに息を吸えぬ状態では良いアイデアなど浮かびはしない。
トラウマ、賊、呼吸困難。数々の問題に対処しきれぬまま、彼の視界は暗転した。
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