セイクリッド・カース

気高虚郎

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第5章:作戦準備

第65話:それぞれの戦い

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※ ※ ※ 都  正門前 ※ ※ ※



「並んで並んでー。落ち着いて行動してください。」

着替え、食糧、お金、貴重品を入れた鞄を背負った大人。
大事なおもちゃや人形を詰め込んだ鞄を背負った子供。
必需品の取捨選択を終えた民たちが都の門の前に並んでいる。
みんな疲れ切った顔だ。まさか避難訓練が夕方に始まるとは思わなかっただろう。

「パパー!もうお家帰りたいー!」

「抱っこしてあげるから我慢しなさい。」

座り込んで泣き出す我が子を父が抱きかかえる。
背中に荷物、腕には子供。親たる者の悲願、早く泣き止んでが通じればいいが。

「そこのお爺さんとお婆さん。うちの馬車に乗りますか?狭いですがね。」

「あなたは天使様の使いじゃわい。ありがとう。」

老人にとって荷物を抱えての歩行は重労働だ。
心優しい御者は老夫妻を苦役から解放するために、馬車のスペースを貸すのだった。

「思った以上にスムーズに進んでるな。」

穏やかな人々の列だ。
事前の告知が十分だった事もあり、民はすぐに準備を済ませてくれた。
我先にと逃げようとする者はおらず、マデリーン直々の説得ゆえ上層部も迅速に動いてくれた。これなら十分に間に合う。
安堵しながら列を眺めていると部下が駆けつけてきた。

「団長!アマンダですがとっくに都から逃げたみたいです!情報屋の金を持ち逃げしたみたいで、なんでも便利屋さんを見つけた報奨金らしいんですが…。」

「運がいい女だ。もうその件は放っておけ。」

アマンダ追跡に関する報告だが、今はそんな状況ではない。
持ち逃げした金も、伯爵にとってははした金だ。
情報屋は呆然自失で檻の中だし、解決した事にしよう。

「アリアンナ邸へ援軍は行ったのか?」

「はい!精鋭たちが向かいました。しかしトランは良かったんですか?あいつは馬の扱いがまだ…。」

「根性だけはある奴だ。何かやってくれるさ。」

相手は魔王。勝ち目など元々ない。
技を磨こうが、戦略を立てようが最後は通じなくなる。
だが気合さえあれば奇跡が起こるかもしれない。トランの馬力が鍵になるのを祈るばかりだ。

「報告ご苦労だった。じゃあお前も…。」

「おーい!」

今度は大男が大声を上げてこちらに走ってくる。
この状況なのに手ぶらで、知っている顔だ。

「酒場の親父じゃないか。避難はどうしたんだ?」

「とっくにやってる!」

彼の家族や貴重品は既に、騎士団が避難訓練用に設置したキャンプにある。
ゆえあって酒場の店主は誰よりも早く避難できたからだ。

「じゃあなんでわざわざここに来たんだよ?」

「この避難訓練は何のためにやってるんだ!?ただの訓練じゃないだろ!?」

店主は昨日、酒場にやって来たバズラから忠告されたのだ。今日中に都から逃げ出せと。
祭りの日に助言をくれたことへのお礼らしい。
そして都中に広めることを頼まれた避難訓練が、このタイミングで始まった。
何かあると思わない方がおかしいだろう。

「なんかヤバいことでもあるのか!?散々、酒と飯やったんだから教えてくれよ!」

「デカい声を出すな。お前は避難誘導に加わってくれ。」

「は、はい!」

軍紀に反しても、仁義に反することはできない。それが団長という男。
機密漏洩の現場を目撃させないよう部下を外して、男同士の話し合いだ。
周囲に聞こえないように声を潜めて。

「現在、極秘の作戦が進行している。国、いや世界の今後を左右するかもしれないほどに重要なものだ。」

「極秘作戦?じゃあこの避難訓練は…。」

「ああ。人々がパニックにならないように訓練という形で行ってるんだ。明日の夜明けに成否が分かる。もし作戦が失敗すればそのままメルディアーナ王都への避難に移行する。」

「失敗したらお前ら騎士団はどうするんだ?」

その可能性について考慮したくはなかった。
だがせねば作戦とは言えない。

「このリワイゼに座して敵に備える。守りを徹底的に固め、一日でも長くこの都を守る。そして我が国がその敵を迎え撃つ準備が出来る時間を稼ぐ。それが俺たちの役目だ。」

それが騎士団の役割。
伯爵の救出に総力は割けない。ゆえにアリアンナ邸には精鋭のみを送ったのだ。

「そんなに恐ろしい敵なのか?」

「でなきゃ避難なんてしない。」

よほど怖いのだろう。
団長の目には恐れが見える。そしてそれを制そうとする覚悟も。

「あんたは家族の元に戻れ。世界が混沌に陥っても守り抜け。」

「ああ。」

答えを聞けて迷いはない。店主も腹を括る時が来た。
世界がどうなろうとも愛する者のそばにいなければ。

「死ぬんじゃねえぞ!明日、都が平和だったらうちの店に来い!部下と好きなだけ飲み食いしやがれ!俺の奢りだ!」

「店が潰れちまう前に勘弁してやるよ!」

団長と店主は誓いを立て、己の戦場へと向かった。



※※ ※  アリアンナ邸 庭園  ※   ※   ※



「どうすればいいんだ…?」

ブレゴは夜の庭園を歩いていた。
寝られるわけがない。明日、自分は罪なき者の血で床を汚すのだ。

「ようやくまともな人生を歩めると思ったのによ。」

ブレゴのいた盗賊団は伯爵率いるチンピラ達に捕縛され、仲間に入った。
戦う訓練を受けてもついていけなかったが、伯爵は別の才能を見出してくれた。
ブレゴの神話への知識に感銘し、読み書きを教えてくれたのだ。
お陰で自信を抱けた。振られはしたがアマンダにアタックする勇気を持てた。
これなら人生をやり直せるはずだった。

「みんな殺されちまうだろうな。」

伯爵は心優しいが容赦ない人だった。現にブレゴのいた盗賊団は、ブレゴを除いた全員が掟破りで制裁された。
今の狂人と化した伯爵なら、無慈悲なる粛正で都は血で染まるだろう。
今からでも遅くはない、逃げてしまおうか。その前に大事な人に危険を知らせるべきか。

「せめてアマンダにだけでも…、ん?」

己の未練がましさに嫌気がさしていた時だった。
それが見えたのは。

「なんだあれ…?」

黒い塔のように見えた。
それは庭園内にそびえ立って蛇のようにうねって揺れ動き、目に見える速さで大きくなっている。

「竜巻か!?」

肌に触れる空気の動きで気付いた。
体感と目視で判断するに、塔の正体は気流だ。
しかしただの自然現象ではない。気流はインクのようにどす黒く、漆黒の渦を構成している。
満月の光に照らされ、まるで闇そのものだ。

「何がどうなって…、バズラー!」

こんな超常現象に対応できるはずがない。おそらくバズラにも。
だとしても報告しないわけにはいかない。
睡眠についている仲間たちに助けを求めにブレゴは走るのだった。
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