セイクリッド・カース

気高虚郎

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第99話:メッセンジャー

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※ ※ ※ 避難キャンプ ※ ※ ※



空が白み始めた避難キャンプ。
ここで夜を明かしている民は思い思いの時間を過ごしていた。


「よーし、みんな!都に戻ったら宴の続きだ!アマンダが置いてってくれた金はまだまだあるからね!」

「おおー!」

“踊る花畑”の女性たちはまだまだパーティーを続けるようだ。
きっと客もわんさか来るだろう。


「お爺ちゃん。帰ったらボートに乗せてくれる?」

「まずは修理せんといかんな。突然の洪水で壊れちゃってのう。」

船頭の老人は孫と語らっている。
水害に遭ったばかりだというのに穏やかそうだ。


「どうだ、婆さん?せっかく近くまで来たんだし、都を観光していくってのは?」

「それは良いね。アロマを買い込もうじゃないか。」

ある老夫婦は、ラフィの情報を提供した事への報奨金で羽を伸ばす計画を立てていた。
久々の観光にワクワクしているようだ。
皆、平穏な時間を過ごしていた。



「う~ん…。」

平穏じゃないのが、内幕を知る騎士達の待機場。
部外者なはずの酒場の店主まで来て、ソワソワと歩き回りながら唸り続けている。

「うるせえな。俺らよりも鼻息荒くして、熊みたいにうろついてんじゃねえよ。」

騎士達もうめく店主にはイライラしている。
アウェイクニング作戦の結果を待っていて緊張状態だというのに。

「けど、もう少しで夜明けだろ。都で狼煙が上がってこのまま戻るか、王都に逃げるか分かるんだろ。こうしてなきゃ落ち着かねえんだよ。」

「全く。団長が教えなければ…。」

団長から作戦の事を聞いた店主は、家族を不安がらせないように騎士達の元へ来てる。
団員たちも団長の決定ならと容認したが、さすがにうるさすぎる。

「確か白い狼煙が成功で、赤い狼煙が…。」

「おーい!」

待機所に1人の騎士が血相を変えて走って来た。
緊急事態のようだ。

「どうしたんだ!?何があった!?」

騎士達は一斉に臨戦態勢を取って備えた。
襲撃か、喧嘩か、作戦の結果が分かったのか。
だがどれも違った。

「チキニーが…!とにかく檻の所に来てくれ!」

あのネズミの怪物にとんでもないことが起こっている。
騎士達と店主は、檻へと息を切らして走った。




檻に着くと、恐ろしい緊急事態が起こっていた。

「チキニーがいない!?」

チキニーを入れていたはずの猛獣用の檻が、もぬけの殻になっていた。
いくら檻の中を覗こうとも、影も形も見えない。

「一体どこに行ったんだ!?」

あの怪物が解き放たれれば、避難キャンプを襲って大惨事になる。
だが鍵が開いてもいなければ、檻には破られた痕跡もない。
まるで檻の隙間から抜け出たかのようだ。

「おー、よしよし。」

緊急事態を尻目に、横の檻からペットを愛でるような声が聞こえた。
ギャング共を入れている檻だ。

「おい、お前ら!あの檻に入ってた化け物はどうした!?」

店主と騎士達は檻に入っているギャングに問いただした。
だが彼らは一緒に入れられている情報屋の手に夢中のようだ。

「おい、聞いてんのか!?あの化け物は…。」

「静かにしろよ。この子が怯えてるだろ。」

情報屋は掌の中を見せた。
小さな生き物が蠢いている。

「ネズミ?」

「あんた酒場の店主か。世話になったから教えてやるよ。こいつがそのチキニーさ。」

チキニーはそれはそれは恐ろしい怪物だと聞いていた。
だがたった今、チキニーと呼ばれたのはただのネズミだった。

「ええ?これが化け物なのか!?」

「ああ。あの化け物がちっこくなって、普通のネズミになっちまったんだ。檻から抜け出てきたのを飯の鶏肉やってたら懐かれちまった。」

かわいいネズミだ。
これがおぞましい化け物だったとは信じられない。
まるで魔法が解けたかのようだ。

「あんたも撫でてみるか。かわいいぜ。」

「どれどれ…。おー、よしよし。」

店主もギャング達もすっかり可愛いネズミに夢中だ。
騎士達も加わろうとしたが、彼らに懐くことはなかった。

「いてっ!チキニーのやつ、噛みつきやがった!」

「ははは。ざまあみやがれ。」



※※ ※ 都 街門 ※ ※ ※



「まだ来ないのか…?」

騎士団が待つ街門の待合所。
団長は祈る思いで、アリアンナ邸からの連絡を待ち続けた。
しかしもう夜明け。刻限は近い。
団員たちからも諦めの声が出始めている。

「致し方ありません。作戦は失敗のようです。皆さん、ご覚悟を。これより魔王との戦いが始まります。私に出来るのは共に死ぬことだけであることをお許し下さい。」

待合所に集合しているマデリーンも決断を下さねばならない。
長かった夜が終わり、来てほしくない時が来た。
魔王相手に時間を稼ぐ決死の戦いの宣告だ。

「はい。我々、騎士団も使命に命を捧げます。」

マデリーンの宣告に団長が答えると、団員たちは一斉に頷いた。
共に戦えることが光栄なぐらいに勇敢な騎士達だ。
だが彼女が上げる狼煙の色を伝えようとした瞬間、その時は来た。

「赤い狼煙をあげてください。民を王都に…。」

「お待ちください、司祭様!誰か来ます!」

街門の上に立つ見張り番の騎士は見た。
1頭の軍馬に乗って、都に来る2人の騎士を。

「あれは…、トランとロスーです!」

「あいつら帰って来たのか!」

団長の顔がほころぶ。
騎士団は門を上げて生存者たちを都に迎えるのだった。



「お前たち、よく戻って来た!」

団長は温かく出迎えた。
どのような報告であれ、部下が生きている。
生きてくれていただけで嬉しいのだ。
まずはトランが口を開いた。

「狼煙は!?」

「まだ上がっていない!アウェイクニング作戦はどうなった!?」

トランは安堵した。
全速力で馬を飛ばした甲斐があり、間に合ったようだ。
そしてトランは恐る恐る口にした。まだ自分でも信じられないほどの歴史的大事件を。

「バルベリスは…、討ち取られました…。」

「なんだと!?」

トランの報告を聞けたのは近づいた団長だけ。
しかし、その内容は耳を疑うものだった。

「もう一度報告するんだ!みんなに聞こえるように!」

聞き間違えで、部下たちをぬか喜びさせるわけにはいかない。
なにより自分の耳がおかしくなったんじゃないか確かめるために。
トランは大きく息を吸い、2度目の報告を行った。

「今一度申し上げます!魔王バルベリスは撃ち滅ぼされました!」

「うおおおおおおおおおおおお!」

トランの報告という火によって、騎士団の爆発したかのように歓喜した。
喜ぶことでいっぱいだ。死ななくていい事、魔王が倒された事、民の平和が守られた事。
騎士達は叫び、涙を流し、走り回り、嵐のように歓喜を表現した。

「聞いてください、団長!俺、魔王を跪かせたんです!」

トランは自分の大殊勲を団長に伝えた。
彼はバルベリスに屈辱を味わわせ、討伐に大いに貢献したのだ。

「他にも凄い事がいっぱいあったんです!俺の、俺達の名は必ず歴史に…!」

「良くやったな。」

団長は舞い上がったトランの胸を優しく叩き、落ち着かせると一言だけかけた。
今はただ歓喜に浸ればいい。

「また後で聞かせてくれ。お前たちの英雄譚を。」

「は、はい!」

話す時が待ち遠しい。
丸1日かけても話足りない事ほどあるのだから。



「本当にバルベリスが…?いやしかし…。」

騎士達による歓喜の渦の中でマデリーンだけはまだ疑わしく思っていた。
巧みな策を練るバルベリスのこと。これも作戦の内かもしれないと。

「どうやら魔王が討たれたらしいのう。」

「バルマン!平気なんですか!?」

バルベリスの魔力に毒されてほとんど動けないはずのバルマンが街門まで来ていた。
その顔は憑き物がとれたかのように晴れやかだった。

「ああ。わしを蝕んでいた邪悪な魔力が消えた。ほれ。」

バルマンは袖をまくって、腕を見せた。
目覚めたバルマンの体に浮かんでいた禍々しい模様が消えていた。
生気が無くなっていた体にも、血色が戻っている。

「バルベリスが消えた証拠じゃ。おぬしも喜ぶがいい。」

「ですがどうやって…。」

俄かには信じられなかった。
だが2人の騎士の帰還と報告、支配を受けていたバルマンの言葉からして真実だ。

「司祭様、教授。」

2人の老人に元に、もう1人の生還者がやって来た。
トランと共に偉業を成した相棒、ロスーだ。

「お伝えせねばならない事があります。」

彼の顔は重苦しかった。
トランは吉報を担当した。なら自分は悲報を伝えねばならないという責任を負っている。

「まさかロレインが…!」

「いえ、お嬢様はご無事です。しかし俺たち以外の騎士は全員、使命に殉じました。」

2人以外の全員。
ロスーは彼らの死を伝える義務を果たした。

「そうだったのですね…。あなたたちだけでも生きていてくれて何よりです。」

「ありがとうございます。ですが…、まだあるのです。」

だが悲しい報告はまだある。
この2人の老人にとっては特に。
ロスーは意を決して報告を行った。

「執事さんが…、亡くなられました。」

2人の友人。
アリアンナ家の忠臣である執事フィリップの死を。

「そんな!フィリップ…。」

マデリーンは崩れ落ちた。
これまで多くの別れを経験し、もうこれ以上傷つくことはないと思っていた。
なのにまだこれほどまでに打ちひしがれる喪失が彼女にはあった。

「よく言ってくれたのう…。ありがとう。」

バルマンは同じ痛みを受けつつも、泣き崩れるマデリーンを支えて代わりにロスーに礼を言った。
死を伝えるメッセンジャーとなるのは、勇気ある行いだったに違いない。

「う…、う…。」

「教えてくれ。あやつの最期を。」

胸にうずく痛みを抱えながら、ロスーは心した。
相棒から聞いたフィリップの死に様を、そして生き様を生涯の親友たちに余すことなく伝える事を。

「あの方は最後の瞬間まで…、アリアンナ家の忠臣でした…。」



その後、白い狼煙が上がって避難していた民は都に戻って来た。
そして都の日常が再開された。
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