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第一章 寄す処(よすが)を失くした乙女、小樽へ行く
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「履き心地はどうかな。いくつか試してもらって構わないよ」
着物と同様、紫苑に用意してもらった草履に足を通し、地面を数歩歩いてみせる。
「いえ、この草履でちょうどいいです。ありがとうございます」
「よかった。それじゃあ、早速行こうか」
「あ、は、はい……っ」
とはいえこんな美貌の持ち主の隣を、どんな顔をして歩けばいいのかわからない。
ひとまず紫苑と半歩分離れた斜め後方を、紬はそそくさと歩くことにした。
紫苑の屋敷及び店舗は、どうやら駅と運河の中間辺りにある、中通りの先に位置していた。
先ほどは全身ずぶ濡れだったこともあり余裕はなかったが、こんなに人目のつく道を歩いてきたのか。自分の晒した醜態を改めて理解し、頬に熱が集まる。
「さてと。紬さんはこの街に来るのは初めてなんだっけ」
「あ、一応中学生時代に一度、修学旅行で来ています。でもそれも相当前なので、正直どこもあまり鮮明には覚えていなくて」
「それじゃあ、紬さんみたいな可愛らしい女性が楽しめそうなところから紹介しようかな」
至極嬉しそうに笑みを浮かべる紫苑に、紬はそっと目を細める。
先ほどまでは美しさ街際だっていた紫苑に、僅かながら親しみのわく愛らしさが見てとれた。
久しぶりの着物に少しまごつくが、紫苑が用意してくれた草履は思った以上に歩きやすかった。鼻緒も太く柔らかなものをわざわざ選んでくれたようで、靴を新調すると決まって豆を潰す紬には驚きの履き心地だ。
きめ細やかな心配りに胸を温めていた紬は、すぐに開けてきた街並みにはっと息をのんだ。
「わあ! 古くからの建物がこんなにたくさん……!」
たどり着いたその通りに並ぶ建物に、紬は思わず目を輝かせた。そんな紬に、紫苑は満足そうに微笑んだ。
「小樽は昔『北のウォール街』って呼ばれていてね。この交差点は特に金融系の建物が陣取っていて、今もその時の建物が大切に残っているんだ」
「『北のウォール街』……」
ところどころ海外のデザインが施された、重厚な石造りの建物の数々があちこちに見られる。
目の前の外壁に手を当てると、永きに渡ってこの地に息づいてきた建物の記憶が流れ込んでくるようだった。胸がいっぱいになり、そっと感嘆の息を零す。
「紬さんは、歴史ある建物が好きなんだね」
「はい。建物だけじゃなくても、在りし日を感じられる全てのものに、妙に惹かれてしまうんです。自分の知らない時をしっかりと歩んできたんだなあって思うだけで、胸の奥がぎゅっとなります」
思うがままを口にしたあと、はっと口元を手で覆う。
こういう趣向を口にすると、決まって反応に困った表情を向けられてきたからだ。
「素敵な考え方だね」
「え……」
建物の外壁に触れていた紬の手の隣に、気づけば一回り大きな手があった。
「そんな考えを持つ紬さんに目にしてもらえて、この建物も喜んでいるよ。きっとね」
ふわり、と紫苑の佇む方向からお香の香りが流れてくる。
肩の長さに切りそろえられた髪が春風に撫でられ、紬の胸がりんと鳴った。
***
北のウォール街をあとにした紬たちは、瑞々しい緑の蔦が店舗を彩る「小樽大正硝子館」、小樽運河へと繋がる於古発川の橋を越え、ノスタルジックな佇まいのカフェ「小樽浪漫館」を堪能する。
そして道なりに足を踏み入れたのは、大正レトロな雰囲気をまとった通り──「堺町商店街」だった。
「すごい。ガラス細工のお店が、本当にたくさんありますね」
「ガラスは小樽の名産のひとつなんだ。当時の家庭を灯す石油ランプや、ニシン漁で使用する浮き玉を作ることで産業が栄えたんだって」
紫苑に促され、一軒のガラス細工の店舗に入っていく。
色とりどりのガラス細工はどれも照明の光を内部に含み、星のように瞬いている。自分一人きりならばきっと長い時間その光景に見入っていたことだろう。
しかし今はわざわざ小樽の街のガイドをかってでてくれた紫苑が店先で待っている。「ゆっくり見ていていいよ」と言ってもらえたが、流石にそこまで甘えるわけにはいかなかった。
「あ、このかんざし可愛い」
着物と同様、紫苑に用意してもらった草履に足を通し、地面を数歩歩いてみせる。
「いえ、この草履でちょうどいいです。ありがとうございます」
「よかった。それじゃあ、早速行こうか」
「あ、は、はい……っ」
とはいえこんな美貌の持ち主の隣を、どんな顔をして歩けばいいのかわからない。
ひとまず紫苑と半歩分離れた斜め後方を、紬はそそくさと歩くことにした。
紫苑の屋敷及び店舗は、どうやら駅と運河の中間辺りにある、中通りの先に位置していた。
先ほどは全身ずぶ濡れだったこともあり余裕はなかったが、こんなに人目のつく道を歩いてきたのか。自分の晒した醜態を改めて理解し、頬に熱が集まる。
「さてと。紬さんはこの街に来るのは初めてなんだっけ」
「あ、一応中学生時代に一度、修学旅行で来ています。でもそれも相当前なので、正直どこもあまり鮮明には覚えていなくて」
「それじゃあ、紬さんみたいな可愛らしい女性が楽しめそうなところから紹介しようかな」
至極嬉しそうに笑みを浮かべる紫苑に、紬はそっと目を細める。
先ほどまでは美しさ街際だっていた紫苑に、僅かながら親しみのわく愛らしさが見てとれた。
久しぶりの着物に少しまごつくが、紫苑が用意してくれた草履は思った以上に歩きやすかった。鼻緒も太く柔らかなものをわざわざ選んでくれたようで、靴を新調すると決まって豆を潰す紬には驚きの履き心地だ。
きめ細やかな心配りに胸を温めていた紬は、すぐに開けてきた街並みにはっと息をのんだ。
「わあ! 古くからの建物がこんなにたくさん……!」
たどり着いたその通りに並ぶ建物に、紬は思わず目を輝かせた。そんな紬に、紫苑は満足そうに微笑んだ。
「小樽は昔『北のウォール街』って呼ばれていてね。この交差点は特に金融系の建物が陣取っていて、今もその時の建物が大切に残っているんだ」
「『北のウォール街』……」
ところどころ海外のデザインが施された、重厚な石造りの建物の数々があちこちに見られる。
目の前の外壁に手を当てると、永きに渡ってこの地に息づいてきた建物の記憶が流れ込んでくるようだった。胸がいっぱいになり、そっと感嘆の息を零す。
「紬さんは、歴史ある建物が好きなんだね」
「はい。建物だけじゃなくても、在りし日を感じられる全てのものに、妙に惹かれてしまうんです。自分の知らない時をしっかりと歩んできたんだなあって思うだけで、胸の奥がぎゅっとなります」
思うがままを口にしたあと、はっと口元を手で覆う。
こういう趣向を口にすると、決まって反応に困った表情を向けられてきたからだ。
「素敵な考え方だね」
「え……」
建物の外壁に触れていた紬の手の隣に、気づけば一回り大きな手があった。
「そんな考えを持つ紬さんに目にしてもらえて、この建物も喜んでいるよ。きっとね」
ふわり、と紫苑の佇む方向からお香の香りが流れてくる。
肩の長さに切りそろえられた髪が春風に撫でられ、紬の胸がりんと鳴った。
***
北のウォール街をあとにした紬たちは、瑞々しい緑の蔦が店舗を彩る「小樽大正硝子館」、小樽運河へと繋がる於古発川の橋を越え、ノスタルジックな佇まいのカフェ「小樽浪漫館」を堪能する。
そして道なりに足を踏み入れたのは、大正レトロな雰囲気をまとった通り──「堺町商店街」だった。
「すごい。ガラス細工のお店が、本当にたくさんありますね」
「ガラスは小樽の名産のひとつなんだ。当時の家庭を灯す石油ランプや、ニシン漁で使用する浮き玉を作ることで産業が栄えたんだって」
紫苑に促され、一軒のガラス細工の店舗に入っていく。
色とりどりのガラス細工はどれも照明の光を内部に含み、星のように瞬いている。自分一人きりならばきっと長い時間その光景に見入っていたことだろう。
しかし今はわざわざ小樽の街のガイドをかってでてくれた紫苑が店先で待っている。「ゆっくり見ていていいよ」と言ってもらえたが、流石にそこまで甘えるわけにはいかなかった。
「あ、このかんざし可愛い」
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