無情の魔女は、恋をする

くろぬか

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1章

第5話 魔女の館、満杯

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 「どうしてこうなったんですか」

 「こっちの台詞よ。その荷物は何?」

 朝から静かに怒りの感情を浮かべながら、二人して睨み合っていた。
 本日は随分と朝早くから我が家に訪れたトレック。
 物凄く真剣な表情を浮かべているか思えば、「今日からここに住んで良いですか!?」とかふざけた事を言いだしたのである。
 あり得ないだろう、普通に考えて。
 世間から後ろ指差される存在と一緒に暮らす? 完全に馬鹿のやる事だ。
 というのが、私が怒っている理由。
 そして彼が怒っている理由は……テーブルの上に置かれた、お金が入っていた筈の麻袋。
 つまり私のお財布。
 昨日までは白金貨が入っていたのに、今ではすっからかんのぺったこんになっていたので、彼の雷が落ちた訳だ。

 「昨日言いましたよね? 買い物は俺がしますって。なのに、何で注意したその日に破産してくるんですか? 一体何に使えばあの数の白金貨が消えるんですか? 明日からどうやって生きていくつもりですか?」

 ごもっともです。

 「そ、それには色々事情があって……でも不要なモノを買ったとか、また高い金額を騙し取られた訳ではないわ」

 視線を逸らしながら、モゴモゴと言い訳してみるが。
 当たり前だが、本来なら彼に洋服代や食費を返すのが先だ。
 私の行動は筋が通っていないし、彼の怒りも至極当然のモノと言えるだろう。

 「じゃぁ、何を買ったか説明して下さい。こんな金額を出すくらいです、ここより豪華な家でも買ったんですか? そっちにまだ資産があるなら良いですが、分かってます? エレーヌさん、今無一文ですよ?」

 ペラペラになった私の財布を揺らしながら、彼は更に怒る。

 「お、お金なら……前回の依頼の報酬がまだだから、その内入って来るわ。使ったのは前金、残り半分は国の兵が調査を終えたら支払われるはずよ」

 「なるほど、またあの金額入って来るなら確かに安心です。でもこの金遣いは安心出来ません。それで? 何に、使ったんですか?」

 ズイッと顔を近づけて来るトレック。
 おかしいな、普段は結構軽い調子というか、常に笑っている様な感じだったのに。
 昨日からやけに圧が強い。

 「ちょっと、お酒を……」

 「はい?」

 「いや、お酒だけじゃなくて。色々と」

 「ほほぉ?」

 全然納得していませんって顔で、未だお財布を揺らしているトレック。
 この子、普段は優しいけど怒ると怖いタイプだったのか。
 意外な一面を知ってしまった気分だったが、今はそれどころじゃない。

 「そ、そっちこそ。その荷物は何? まさかとは思うけど、ここに住むって本気じゃないわよね? そんな事をしてみなさい、明日から貴方だって迫害されかねないのよ? 今すぐ家に帰りなさい」

 反撃なら今しかない、なんて思って口を開いてみた訳だが。
 彼の反撃はもっと早かった。

 「帰るのは無理ですね、正式に血縁関係を断つ書類まで作ってしまいましたし。それに前からエレーヌさんも、住めるモノなら住んでみろって感じの雰囲気で適当に返事してましたよね? だから来てみました。そもそも、男が女性の家に押しかけて来た事に対して文句を言われると思っていましたが……そっちじゃ無いんですか?」

 なんだか少し心配そうな目で見られてしまい、どう反応して良いのかこちらも困ってしまう。
 というか、もう絶縁して来てしまったのか。
 相変わらず行動力の塊みたいな子だ。
 そんな事を聞いてしまったら、今から追い出すのも可哀そうになってしまうではないか。
 更には彼の言う通り、以前からチラホラ匂わせる発言をしていたのは確かだ。
 その度にハイハイまた言ってるよこの子、程度で生返事を返していた記憶も残っている。
 不味い、退路が無くなっていく。

 「……えぇっと」

 「はい」

 「今、その“男が女の家に”って言う所の文句を考えているから、少しまって頂戴」

 「もう良いです、そんな質問を投げかけた俺が馬鹿でした」

 えらく呆れた視線を向けられてしまい、流石にムッと来た。
 だってそもそも私は魔女だ。
 男女と言われても、“そういう対象”に見られない事なんて百も承知なのだ。
 だからこそ、彼がどういうつもりでこの家に住もうとしているのか全く理解出来ないのだが。

 「トレック、貴方……一体何を企んでいるの?」

 「急に俺が物語の悪役になったみたいな台詞止めて下さい」

 「……えぇと、じゃぁ。洗濯物は一緒にしないで、とか?」

 「反抗期の娘さんか何かですか? というかソレもう住む事認めちゃってますけど。許可が無い限りエレーヌさんの物には触れませんよ、当然じゃないですか」

 後は、なんだろうか?
 ご飯は作ってくれるだろうし、多分寝床も自分でどうにかするだろう。
 やはり魔女と暮らすという弊害以外、文句を言えない気がするのだが。
 むしろ洗濯もやってくれるならお願いしたいくらいだ。

 「本気でココに住むつもり? この先、普通に買い物だって出来ないかもしれないし。魔女と暮らしているなんて知られれば、仕事に困る事だってあるのよ?」

 「仕事と買い物に関しては伝手がありますから、お気になさらず。もしも本当に迷惑だっていうならすぐにでも出て行きます。でも、以前から言っている様に俺は貴女の傍に居たいです。恩返しがしたいです。だから、一緒に暮らす事を許してくれませんか? 家事から雑用まで何だってやります。だから、俺をココに置いてくれませんか?」

 これが普通の女性の家だったら、間違いなく追い出される事案だとは思うが。
 生憎と、この家には私しか居ない。
 だからこそ、大きな……それはもう大きなため息を吐いた。

 「本当に、普通に生きていけるくらいに、トレックには影響が出ないのね?」

 「えぇ、大丈夫です。この為だけに、ひたすらコネを作って回りましたから」

 「褒めればいいのか、怒れば良いのか分からないわ」

 多分口論では彼には勝てないのだろう。
 もはや何を言っていいのかも分からなくなり、目を瞑って椅子の背もたれに体重を預けた。

 「二階、突き当りが私の部屋。それ以外は好きに使っていいわ、掃除とかしてないから酷い有様になっているかもしれないけど」

 「ありがとうございます!」

 それだけ言って、彼は荷物を持って階段を駆け上がって行った。
 全く、何がそんなに嬉しいんだか。
 びっくりするほど嬉しそうな声を上げて、今日から魔女の館に居候する少年。
 いや、もう二十歳なら男性というべきか。
 なんだかいつまで経っても“少年”という感覚が抜けない。
 とにかく、不思議な同居人が出来た事だけは確かだ。

 「どうなる事やら」

 ポツリと呟いてから、ぼうっと天井を見つめた。
 果たして彼がどの部屋を使うのか。
 もしかしたら今見上げている天井の先に、トレックが居るのかもしれない。
 そう考えると、何だが可笑しい。
 私以外が、この家に居る事が。
 早く慣れないと、ずっと違和感を抱いたまま過ごす事になりそうだ。
 なんて事を思いながら、フッと小さく口元を緩めてみれば。

 「汚ったなぁ!?」

 二階から、凄い声が響き渡って来たのであった。

 ――――

 「修繕の依頼を出しました、明日には下見に来てくれると思います」

 「すみませんでした」

 無表情のまま頭を下げる彼女だったが、やけに肩を竦めている事から、多分相当反省しているのだろう。
 結果から言おう。
 どの部屋でも好きに使えと言われたが、どの部屋も使えなかった。
 掃除してないとは言っていたが、まさか数年……下手すれば十数年足を踏み込んだ形跡もないとは思わなかった。
 何も無いガランとした部屋だったからまだ良かったモノの、埃は積もりに積もり、湿気で床も傷んでいる始末。
 多分あのまま使おうとしたら床が抜ける、部屋によっては普通に腐っていたし。
 もしも昔の家具なんかが置きっぱなしだったら、今頃一階と二階が貫通していたかもしれない。
 この人、本当に自身が生活する場所しか手を加えていない様だ。
 初日からだいぶ前途多難な感じになってしまっているが……これからどうなる事やら。
 一度扉を開いたら何だか家中がカビ臭くなってしまったので、窓全開で換気し現在は庭先でご飯の準備中。

 「まぁ、とりあえず食べましょう。適当なサンドイッチですけど」

 「十分豪華よ、私にとっては」

 それだけ言って、彼女は差し出したサンドイッチに齧り付いた。
 そして。

 「んふふ」

 良く分からない笑い声を洩らし、口元を緩ませている。
 全く、ご飯の時だけは表情が柔らかくなる癖は相変わらずだ。
 普段からもう少し表情豊かになれば、“無情の魔女”なんて呼ばれない気がするのだが。

 「美味しいですか? ただのベーコンサンドですけど」

 「美味しいわ、ありがとう」

 声を掛けた瞬間いつもの無表情に戻り、キリッとばかりに声を返して来る彼女を見ていると……なんだろう。
 警戒しているけどご飯には寄って来る野良猫みたいだ。
 そして、ご飯の時は結構適当になるのだこの人は。
 今でも口元をベーコンの脂とマスタードで汚しているし。
 俺は料理人という訳では無いので、結構適当に調理をしてしまうのだが……これから一緒に暮らすなら少し考えた方が良いかもしれない。
 何となくの厚さで切って焼いたベーコンだったが、彼女の口には少々サイズが大きすぎた様だ。
 子供みたいに必死に齧り付くのは微笑ましいが、毎食顔の周りがえらい事になるのは避けたい。
 今このタイミングでお客さんでも来たら、とてもじゃないが威厳も何もあったもんじゃないだろう。

 「とりあえず、口元だけでも拭いて――」

 そう言ってからハンカチを取り出した瞬間。
 背後からガラガラと馬車の引く音が聞えて来た。
 不味い、悪い予想が現実のモノとなってしまう。

 「エレーヌさん! 口元だけでも拭いましょう、そうしましょう!」

 「まって、どうせ一つ食べ終わる頃には同じになるわ。それにまだまだ残っている、拭くのは最後でも遅くないと思うの」

 「何を効率が良いみたいに、頭悪い事を頭良さそうに言ってるんですか! そういうの良いですから拭いて下さいってば!」

 もはや無理矢理サンドイッチを奪い取る形で、彼女の口元にハンカチを押し付けてみれば。

 「んんー!」

 「うわっ何この人、めっちゃ抵抗してくる! というか取り返そうとしてくる!」

 取り上げた食事に必死に手を伸ばす魔女と、魔女の口にハンカチを押し付ける元商人。
 この光景だけで情報量の暴力だろう。
 不味い。馬車もそこまで来てしまったし、確実にこの光景が見られてしまった。

 「トレック! 流石に私でもソレは怒るわ!」

 「沸点の低さ! 今までが何だったのかと思う程沸点が低い!」

 二人して叫びあっていれば、馬車は止まり御者から笑い声が聞えて来た。
 あれ? 笑い声?
 魔女の元にやってきて、笑い声を上げる人なんて早々居ない気がするのだが。
 なんて事を思って振り返ってみれば。

 「魔女様、お届けに参りましたよっと。そっちが昨日言ってたコレかい?」

 年老いた男性が、満面の笑みを浮かべながらグッと親指を立てていた。

 「親指……親指? とにかく、昨日話した変わり者がこの人よ。名前はトレック、今日からここに住むわ」

 「おぉ~そりゃお熱い事で何よりだ。ほんじゃ、邪魔者は納品してさっさと帰るかね」

 それだけ言って、お爺ちゃんは馬車から次々と荷物を下ろしていく。
 あぁもしかして、エレーヌさんでも普通に買い物が出来るって言っていた店の人だろうか?
 だとしたらこちらも挨拶を……っておい待て、さっきから下ろしているの木箱が多いけど、中身は何だ。

 「手伝うわ」

 「おぉ、わりぃな魔女様。これでも鍛えてるんだけどよ、流石に歳には勝てなくてな」

 えらく軽い様子で荷下ろしを手伝い始めるエレーヌさんに唖然としながら、一番近くの箱に視線を向ける。
 そこには、俺でも良く知っている酒屋の名前が。

 「酒を買って破産したって、適当な嘘じゃなかったんですね……」

 「そう言ったじゃない。トレック、貴方も荷下ろしを手伝って。量が多いの」

 貴女、本当に何してるんですか。
 思い切り呆れた溜息を溢しながら、彼女の元へと走り寄ろうとしてみれば。

 「兄ちゃん、すまんな。俺達のせいだ、あんまり魔女様を責めねぇでやってくれ」

 「はい?」

 そう言ってから、老人は借金の返済証明を見せて来た。

 「もっと早く見切りを付ければ良かったのかもしれねぇが、一度店を出した身としちゃどうしても諦められなくてなぁ……それに嫁も居て、今じゃ外に出てる子供達も居る。申し訳ねぇと思いながらも、魔女様に救って貰っちまったんだ。えらい大金を渡してもらって、釣りはいらねぇってよ。情けねぇが、甘えちまった」

 あぁ、なるほど。
 エレーヌさんが何を買ったのかと随分と不思議に思っていたが。
 “今後を”買ったのか。
 この人の店なら普通に買い物が出来る、その店主に恩を売っておけば後々利用価値が高い。
 買い物が出来るのが最大の理由ではあるかもしれないが、彼女の一言で仕入れる物品でさえ変えてくれるかもしれない。
 本人が一から違う店や道具を探すとなると知識と時間が必要だが、店側がソレを代行してくれるという訳だ。
 些か高すぎる買い物にも思えるが、エレーヌさんにとっては必要な出費だったのかもしれない。
 なんて、理由だったらまだ分かるのだが。

 「全部終わったわ。トレック、手伝ってって言ったのに……」

 「あ」

 「おう、ありがとよ魔女様。あと何往復かするが、夜には終わるだろうよ」

 「そう、待ってるわね」

 本人は、あんまり難しい事を考えていなそうだけど。
 ただただ馴染みの店が困っていたから、財布の中身を全部出した。
 なんとなく、そんな気がする。
 この人なら、平気でやってしまいそうだ。

 「やっぱり、エレーヌさんには誰か付いていないと駄目ですね」

 「子供扱いしないで、トレック。むしろお手伝いが出来ない貴方の方が子供だと思うの」

 「結構根に持ちますね……次は手伝いますから」

 ムスッとした雰囲気を放ちながら、少しだけ眉が吊り上がっている。
 これは何か一品追加してご機嫌取りでもするか……なんて思っていれば、酒を運んできたお爺さんにガハハッと笑われてしまった。

 「良い相手見つけたな、魔女様」

 それだけ言って、彼は馬車に再び乗り込む。

 「そんじゃまたすぐ運んでくっから、場所空けておいてくれよ?」

 陽気な笑い声と共に、彼は去っていくのであった。
 俺達の周りに残っているのは、酒瓶の入っているであろう大量の木箱。
 ……あれ? ちょっと待った、こんなのがまだいっぱい届くの?
 ちょっとだけ緩んだ意識が、今度は思い切り警告音を鳴らし始める。

 「エレーヌさん、コレ。あとどれくらい届くんですか?」

 「……わからないわ」

 「保管場所、どうするんです? 倉庫とかありますか?」

 「……ないわ」

 あぁもう、あぁもう! 本当に後先考えないなこの人は!
 どうするんだよ、この木箱の山!
 中身がお酒だというのに、野ざらしか? 野ざらしなのか!?
 ソレは流石に駄目だろ!

 「とりあえず、飲んで減らしましょうか」

 「この量をすぐ減らせる訳がないでしょう!? しかも次の配達までに!」

 彼女の家に転がり込む事に成功したその日、俺と一緒に大量の酒瓶が同居人となる事が確定した。
 この量、何年か酒に囲まれながら過ごす事になるんじゃないか?
 今度食事にでも行った時、お酒を使う料理とか色々勉強してこよう……。
 とてもじゃないが、その程度ではろくに減らせる気はしないのだが。

 「はぁ……とりあえず、日陰に入れますか」

 「外じゃ駄目なの?」

 「駄目です」

 現実逃避していても仕方ないので、とりあえず俺達は荷物を家の中に敷き詰める作業を開始するのであった。
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