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恋はくせもの
〈三〉
曜日というものは、学生であればその日の授業やアルバイトのシフトが入っている日、それからそれに伴う荷物などで、カレンダーを見ずして判別できたりする。
通学用に使用しているリュックに、肩がそのままぽろりと外れてしまいそうな、見るからに重そうな自己主張を放つキャンパストートをプラスした一日。
わたしの場合、それは一週間の中のおわり。金曜日という一日に当てはまる。
金曜日から土曜日を除いた三日間。わたしはそこを就労にあてていて、間に挟んだ土曜日は寝正月ならぬ寝休日に徹することが多い。たまに友人から舞台や映画の誘いがあれば赴くけれど、課題やら趣味やらバイトやらに追われ日々睡眠時間の足りない生活を送っているのだ。まる一日のおやすみがあるとカレンダーで確認してしまうと、まず第一に夜更かしと寝坊を心ゆくまで堪能したいと思ってしまう。このときばかりは、食欲よりなにより睡眠欲が他をおしのけて、堂々の第一位に輝く。
何事も無理はよろしくない。と、いうのがわたしの信条だから、いっそのこと、この日を週に一度の安息日とさだめることにした。こう表現するといかにも高尚に聞こえるけれど、端的にいえば「怠け日」だ。こころゆくまで睡眠を貪り、起きてからも特に何かするわけでもなく、貯めこんだ本をごろごろしながら読むという至福の時間を楽しむ日。残念ながら、熱心なユダヤ教徒というわけでは、もちろんない。
そのために、前日である金曜日には、肩や手のひらにくっきりと痕が残ってしまうぐらい、たくさんの本を借りてくるというのがわたしの習慣だった。
もっと前から少しずつ借りていればいいだろうと指摘されたこともあるけれど、借りたらすぐに読みたくなってしまう。ケーキのイチゴは最後に食べるが、月曜日に手に入れた本は月曜日に読みたい。そんな自分の性分に従うと、金曜日の荷物はどうあっても減らせそうにはなかった。
学校の図書館で借り、本屋で買い、おまけに家から一歩も出ずに済むように、と、お菓子の類も買い込んでおく。本の虫とはよく聞くことばだけれど、わたしは虫というよりかたつむりだろう。なにせずっと殻のなか。ちがうのは雨が降るとますますなかにこもってしまうところか。
そんなかたつむりに備えて大荷物を抱えた金曜日というものは、重力に反して、なかなかどうして浮き上がる一日である。
まず、一週間の終わりであるということがいい。翌日におやすみが控えているというだけで、肩の重みも「今週もよくがんばった」と言われているような気分になる。
それから、この日に限っては、もうひとつ理由があった。
さすがさんと出くわさないことである。
わたしは週三のシフトのうち、一日以外をさすがさんとご一緒している。日曜日の日中と、月曜日の夕方。唯一異なるのは金曜日の夕方だけで、この日は宗田香魚未さんと若蔦一季さんがお相手だった。
宗田さんはふたつ上、若蔦さんはひとつ上の大学生だ。お二人とも黒髪でいかにも文学少年少女という見目をしていて、かつ中学校が同じだったという共通点があるものの、「こいつとは反りが合わない」と(主に宗田さんが)よくおっしゃっている。
一見すると二人ともまじめそうで、おまけにささいなことにも気が回り、それぞれ示し合わせたように別々の仕事をこなしてくれるから、とてもそうは思えない。金曜日の夜は、店内整理やレジ内の備品補充などが安定して行われている、ともっぱらの評判である。もちろん、わたしの功績はほぼない。
ただでさえ安定した先輩方とご一緒できることに加え、この金曜日、わたしはさすがさんと会わないことにほっとしていた。
月曜日のことをまだ引きずっているのかと聞かれてしまえばそれまでのことだけれど、罪悪感と落胆がないまぜになった複雑な感情だからこそ、わたしはそれを持て余していた。
さすがさんに全ての非があるならば、愚痴を零すだけでこのモヤモヤともうまく折り合いがつけられそうなものである。けれど実際のところ、さすがさんが悪いというわけではない。それを承知したうえで自分が勝手に怒っているのだということもわかっているから、始末が悪い。
つくづく勝手だなぁと感じるけれど、わたしもまだまだ齢十八歳とそこそこ。そうそう大人にもなりきれない。
まあ、機嫌の取り方についてはわたし自身がいちばんわかっている。今日の夜から、明日のまる一日、本を読むという行為で別世界を旅すれば、憤りなんてすぐに忘れてしまうだろう。なにせわたしの「さすがさんめ!」という悪感情や、「わたしのバカ!」などという後悔は、たとえばミステリで殺人を企てるほどの怒りや自殺に追い込まれる悲しみに比べれば、実にちっぽけなそれなのだ。
お客さんが立ち読みにて築いた壁をぐるりと避けてレジカウンターに進むと、既にシフトに入っていたらしい若蔦さんと目が合った。会釈と挨拶を交わす。
「あれ、若蔦さん十八時からじゃありませんでした?」
「今日は先輩がお休みなんで、ちょっと乱れてんだよね。俺もさっき来たとこだから並木さんと一緒」
「あ。そうなんですか」
はあ、と頷いてから、
「宗田さんがお休みって珍しいですね」
「そう?」
「なんとなく無遅刻無欠勤のイメージがあります」
「なにそれ。委員長か」
たしかに、黒髪に眼鏡という組み合わせも含め似合いすぎている。すこし笑ってから、わたしは言った。
「若蔦さんも、実はそう呼んでたこと、あるでしょう」
返答のない間が肯定の代わりを担う。
「まあ真面目だからね。何事にも一所懸命っつーか」
「うんうん」
「堅物っつーか、融通利かないっつーか、頭いいはずなのに結構バカっつーか」
「いえあのそこまでは言ってないです」
「あ、そう? でも俺は言いたい」
「わるぐちですか。告げ口しちゃいますよ」
と口に出しつつ、どちらかといえばそこからワルを引いたようなものであることは理解している。現に「おいおい、やめろよ」などと止める若蔦さんの声にも覇気はない。
もっとも、若蔦さんの声は常にやる気の「や」の字も見られないほどに脱力しているけれど。
「だってふだん超怒られてるかんね。俺。まあ分からなくもないけどさ、でもすげえどうでもいいことでも怒んだよ。あの人。入荷案内をまとめるホチキスの位置とか。あ。並木さん右派? 左派? 俺左派なんだけど並木さんどう?」
「すみません。わたし永世中立人間を目指してるので、そういった派閥には加わらないことにしてるんです」
「あ、そう」
「それはそうと」
「うん」
「なんでホチキスの留め方ぐらいで派閥争いが起きてるんですか」
「しらね」
ひととひととは些細なことでわかりあえないものなのだなぁ、と思うと同時に、ホチキスで憤る若蔦さんという存在を知って、同じく憤りを抱える身としてはなんとなく励まされた。ありがたい。
タイムカードを通し、店長に朝礼を受けるためカウンターを出ようとしたところで、目の前に突如壁が現れた。
「わっ」と声を上げて身を引くと、勢いでなにかを踏みつけてしまった。
それが壁のふもと――つまりつま先だったということは下を見下ろしてすぐに気付いたけれど、その持ち主が誰かということには、できれば気付きたくなかった。
そこには、今日はいないはずの、さすがさんの姿があったのである。
「さ、さすがさん?! なんでさすがさんが……」
「先輩の代理だって。俺十六時からは出らんないから、貴家と代わってもらったんだよね」
「乱れてるってそういう意味ですか……」
「うん。まあ並木さんは特に変わりねーからいいっしょ」
よくないです。
とは言えるはずもなく、わたしはぬうらりと高いさすがさんの顔を見上げた。
相変わらず長い前髪に隠れて表情は見えず、わたしの心境のせいか、影になった部分がRPGにおけるラスボスのような威圧感を放っている。思わぬ登場に驚いたこともあって、足を踏んだことを謝り逃してしまったから、ひょっとすると今回はほんとうに怒っている可能性も否めない。
もっとも、朝礼を終えて戻った頃には、わたしと入れ違いで店内整理に出ていったので、さすがさんとそう顔を合わせることもなかった。カウンターにあるレジは二台きりなので、若蔦さんとわたしが入れば埋まってしまう。
備品の補充をしながらため息を吐くと、思いのほか大きなものになり、若蔦さんがこちらを振り向いた。
「なに。若いのにため息なんかついて」
「若蔦さんもそう変わらないじゃないですか」
「十代と二十代っしょ。変わるって」
「もうハタチになられたんですか?」
「うん。俺四月二日生まれだから」
「いちばん最初なんですね」
「そ。だから年上の俺に頼ってきてもいいんだぜ」
「そう言われると頼りたくなくなるのってなんででしょうね」
「可愛げないとこ先輩に似てきたんじゃね。だいじょうぶ?」
「わかりました。告げ口しますね」
「はは」
金曜日の夕方とはいえ、まだ帰宅のラッシュ時間にはすこし早い。お客さんの波は小波状態で、わたしは申し訳程度の声出しをしながら、あたりの様子を伺った。
幸い、近くに店長も、さすがさんの姿も認められなかったので、わたしは若蔦さんのお言葉に、すこし甘えることにした。
ざっと顛末を説明すると、若蔦さんは身体を前に向けたまま、やや宙を仰ぐような体勢で間延びした一音を漏らす。
「ああ」と。
「べつに、わたしが勝手だなってこともわかってるんです。ただ、でも、こう……もやもやっとするというか。……すこしぐらい口とか態度に出してほしいなぁ、と思うんですが」
「あいつわかりにくいからね。特に先輩とか並木さんとかと比べると」
「どういう意味ですか」
若蔦さんはすこし笑ってから、
「先輩も並木さんも、すげー表情に出んじゃん。隠し事とかたぶん出来ないタイプっしょ」
「そんなことありません。わたし、これでもサークルでは紅天女襲名してるんですよ」
「ほっぺ引き攣ってるけど」
肩を震わせながら若蔦さんが指摘してくるので、わたしも遠慮なく笑った。さすがに嘘である。
そこで一度会話は終わり、わたしと若蔦さんはレジでの対応に徹した。ラッシュにまだ早いとはいえ、金曜日の夜は売り上げが高い。休日に備えて、雑誌や漫画、それからわたしのように、本を買って備える方が多くいらっしゃるのかもしれない。この勢いだと、あっという間にピークタイムに突入してしまいそうだった。
だからこそ、かもしれない。お客さんが途切れたとき、若蔦さんがこうひとりごちたのは。
「まあでも、どっちも悪くないもんな」
ひとりごとだろうが、きっとわたしに向けた言葉でもあるのだろう。わたしは横目に若蔦さんを一瞥してから、視線を手もとに落とし、声にもその後を追わせた。
「……そうでしょうか」
「俺はそう思うよ。貴家もまあ変わってるけど悪いやつじゃないし、並木さんも、そういうことでちゃんと悩むあたり、なんつーか真面目だよね」
「そんなことは」
ない、と謙遜以上の否定を断ち切るように、若蔦さんが続ける。
「だから、何を考えてるかわかんない、って思ってんだったら聞けばいいんじゃね、って思うよ。俺は。わかりにくいから聞くしかないじゃん。そういうの。俺は先輩もわかりやすいっつったけど、やっぱ何考えてんのかわかんねーなって思うことも多いし、貴家相手だったら特にだろ。誰が相手でもしょせん他人なんだよ」
「……全部は理解できないってことですか」
「極論言うならね」
「でも」
わたしは言いかけて、迷って、けれど勢いに、背中を押していただいた。
「でも、そうやって尋ねることは、他人の敷地に無断で足を踏み入れることになりませんか。言いたくないって思ってるから言わないこともあるでしょう?」
「どうかなぁ」
若蔦さんは一度考えこむように首を左右に捻った。肩が凝っているのか、と見まがうようなポーズである。
「案外敷地なんて荒らされてナンボじゃね。そんときは荒らされたって思っても、案外耕されてたことに気づくパターンだってあるかもしんないよ」
「……」
「ま、別に無理に付き合う必要はないから聞かなくったっていいし、そのへんは並木さんが取捨選択するとこだけどね。ただ俺が、もったいないな、って思っただけ」
その言葉を締め括りとして、若蔦さんは眠たげな目をさらに細めて、また前を向いてしまった。ちょうど学生風の男の子が若蔦さんの前に並んだので、わたしも言葉を重ねることはしなかった。
ただ、どういう意味なのか。わからないことは多い。噛み砕いて飲み込むのに時間がかかりそうだ。
さすがさんがレジから近い旅行書の整理を行っているのをぼんやり眺めながら、わたしはというと、接客中の若蔦さんに代わって、雑誌の紐組みをひたすらに行っていた。
そんな折である。
「すみません」と、どこか聞き覚えのある声が聞こえてきたのは。
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