でんでんむしが好きな君

ひらどー

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あの手この手を考える徒労

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 子どもは風邪をよく引く。二歳になったいまでも、月に一度は小児科のお世話になっているほどだ。多少の風邪なら病院に行かずに自力で治すべきなのかもしれないが、熱が出てしまったらそうはいかない。微熱を超えた熱が出たときは素直に病院へ行くようにしている。高熱でも本人は元気に家を走り回っているのだが、放って置くことはできない。
 病院へ行って、薬をもらえばもう安心だ。あとは適切なタイミングに適切な薬を飲ませれば回復する。
 大変なのは、薬を飲ませる作業だ。
 まだ自意識のはっきりしていなかった頃は大人しく口に含んでくれた。しかし、二歳になってからはそう簡単にいかなくなった。薬の気配を察すると逃げ出してしまう。子ども用の薬なので甘いはずなのに、飲もうとしてくれない。
「おくすり、いぁないよー」
 要らなくはない。君のその鼻水は、薬を飲めば治るんだよ。治ったら息もしやすくなるよ。
 いくら説明しても子どもは理解してくれない。薬を飲んでも、効果が表れるのは少し先だ。「いま」しかない子どもにとっては、薬と回復の因果関係を結びつけるのが難しい。そのため、彼にとって薬の服用は、苦痛を生む行為でしかない。無理やり飲ませようとしても、暴れて薬をひっくり返すだけだ。飲んでくれなければ意味がない。
 薬を正しく飲ませるには、本人の協力が不可欠だ。彼が納得した上で、自分から飲むようになってくれるのが望ましい。
 初めに実践したのは、食べ物で吊る作戦だ。薬を飲んだらこれをあげる、というものである。
「いぁないよー!」
 残念ながら失敗に終わった。大好きなおさかなソーセージを目の前にちらつかせてみたが、彼の心は揺らがなかった。
 次に実践したのは、薬を塊にして食べさせる手段だ。
 粉薬を皿に出し、少しずつ水を加えていく。するとあら不思議。薬はわずかな水分を吸って、一つの塊になってくれる。いつからか、水で溶いて飲ませるようになっていたが、昨年まではこの形で飲ませていた。
さてこれはどうだ――と、これも残念ながら失敗だった。顔をしかめて舌を出し、必死に手で取ろうとしている。ある程度は舌の上で溶けているようなので、どうにもならなければこの作戦を採用してもいいかもしれない。
 それでも、理想は子どもが自分で薬を飲むことだ。
 最後にもう一つ、別の方法を試してみた。これは私一人の手ではできない。協力者が要る。今回協力してもらったのは、彼のお気に入りの白いくまさんだ。
 子どもの頭よりやや小さい程度のぬいぐるみで、彼は最近、このくまさんのお世話に執心している。大好きなくまさんが薬を飲む様子(ふり)を目の前で見たら、きっと彼も素直に飲んでくれるに違いない。
「くまさん、ごくごくしたね」
 成功した。子どもが薬を飲むことを大人しく受け入れてくれた。感動だ。協力ありがとう、くまさん。次からはこの作戦でいこう。
 晴れやかな気分で夜を過ごした翌日、悲しいことに、くまさんがいくら薬を飲むふりをしても、薬を飲んでくれなくなった。そういう気分ではなくなってしまったようだ。既に水に溶いているので、ここから塊にすることはできない。あとできることは、強引に口に流し込むことだけだ。可能なら、そんなことはしたくない。
 駄目元で、冷蔵庫からおさかなソーセージを出してみる。食べますか、と聞いたところ、
「おしゃかな、いる!」
 と、元気な返事がきた。薬を飲んだらあげる、と最初にやった作戦と同じ条件を提示してみる。彼はあっさりとそれを受け入れてしまう。
 昨日まで使えていた手が今日は使えない、代わりに一昨日まで使えなかった手が使えるようになる。子どもという生き物はそういうものらしい。
 ちなみに、子ども用の薬をぺろりと舐めてみたことがある。あんなに嫌がるので、苦いのだろうかと味が気になった結果の行動だ。予想通り薬は甘かった。何が嫌なのだろうか、本当に。
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