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逃げ場のないキス
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わたしたちの体が引き離される。
透花に突き飛ばされるようにして引き離されたせいで、透花と咲良さんからは少し離れた場所で、わたしは尻餅をついてしまっていた。
いるはずのない透花が、なぜかここにいる。一瞬、わたしの罪悪感が見せた幻か何かかと思った。だって、電車で1時間もかけて来ないといけないような場所を特定するなんて、不可能だから。
普通に考えて、いるはずがないのに、透花は確かにここにいる。
すでに半狂乱になって、肩で息をしている透花と、不安そうながらも、しっかりとした視線で透花を見上げる咲良さん。一番のメインであるはずのわたしが、完全な傍観者と化していた。
わたしを取り合って2人が揉めている。そんな少女漫画のヒロインみたいなことが目の前で起きている。
ヒロインなら、「わたしを取り合わないで!」と可愛らしく叫ぶのだろうか。だが、わたしはそんな気の利いた、可愛らしい言葉は言えなかった。
どうしたら良いのか訳がわからなかった。わたしのために、というよりも、わたしのせいで、という感想の方が強いのに、どうしてヒロインぶれるだろうか。
透花が咲良さんの髪の毛を思いっきり引っ張っていた。明らかに、マズイ。
「ちょ、ちょっと、透花……」
声を出したつもりだけで、その声は風とともに夜の闇の中に簡単に消えてしまった。
一応、その場で腕を伸ばして、止める素振りはしてみた。けど、実際には2人に、わたしの手は届いていないし、そもそも視界に入ってもいないだろう。
距離にして2メートル程。少し歩けば透花を力づくで止められる距離だったけれど、近づく度胸もなかった。
痛い、痛いから、やめて……。
わたしのなずを返せ! 泥棒!
ちょっ、せめて話聞いてよ。痛いから!
聞こえてくる声は、とても遠い場所から聞こえてくるように感じられた。とても遠い、地上で起きている話。深海のわたしには届かない。まるで、そんな気分。
すぐ目の前で起きていることが現実とは思えない。透花が咲良さんの体を押さえつけるようにして地面に寝かせて、その上で馬乗りになっていた。
咲良さんは、ただ必死に体を腕で守っていたけれど、透花の方が背が高い分、力も強いみたい。
ほんとに、やめてってば! 痛いから。痣残っちゃうって
なずのこと誘惑して。クズクズクズ! 返せ返せ返せ返せ返せ!! わたしのなずを返せ!!!
透花の瞳からは涙が伝い、咲良さんに向かって、ポタポタと落下していくのが遠くから見ていもわかる。咲良さんの痛そうな声と、透花の涙声が混ざっていた。咲良さんも、透花も痛そうだった。
どうしたら……
早く止めないといけないのはわかっているのに、暫くの間、動くこともできなかった。わたしたち3人の他に、誰も見ていない状況は、あまりにも危険だった。
わたししか止められる人はいないのに……
なずはわたしのものなの!! わたしの、わたしのなずなの!!!
わたしの恋人なの! なずは、暗いわたしの世界を照らしてくれてるんだから!!
わたしから光を奪わないでよっ!!
咲良さんは、すでに言い返す気力も失っていたから、透花が一方的に咲良さんに捲し立てている。
「透花……」
透花の重たいくらいの愛をわたしが受け取ったのは、すでにわたしと透花の関係性がボロボロになってから。
この状況でもなお、透花がわたしに対して必死になってくれていることが嬉しい。けど、ひどい罪悪感もある。そして、恋心があったからとはいえ、わたしを元気づけてくれようとしていた咲良さんが、ボロボロになってしまっている。
わたしのせいだ……
わたしのせいで、みんなボロボロだ……
この状況を放っておいていいわけがなかった。わたしは思い出したみたいに慌てて立ち上がり、急いで2人の元へと向かう。たった2歩。わたしが歩み寄れなかった距離は、信じられないくらい近かった。
わたしは透花の体を引っ張るようにして、慌てて咲良さんから引き離す。咲良さんの可愛らしい顔に血がついていた。多分鼻血が出たんだと思う。
「透花、やめて! 死んじゃう!!」
わたしは慌てて、上に乗っていた透花の両脇の下に腕を入れるようにして、体を引っ張って持ち上げる。透花を咲良さんの体から離すようにして立たせたら、透花は慌ててわたしの体から身を離す。そして、クルッと体を反転させた透花は、わたしの方に向き直った。
鼻先がくっつくような距離まで、顔が近づけられる。今まで見たことのないような、怒りと悲しみが最大限まで表現された顔。怖く、妖しく、寂しげな透花の顔。
「裏切り者!!!」
耳が痛くなるような金切り声が静かな夜空に反響した。
透花の顔は涙と鼻水で、顔がびしゃびしゃになっていた。綺麗な透花の顔が、汚れ切っている。
「ご、ごめ――」
「許さない、許さないから!!」
透花が悲鳴のような声を上げているから、わたしの謝罪はかき消される。もう一度、今度はさっきよりも大きな声で謝ろうとした。
けれど、透花の顔が先ほどまでよりもさらに近づいてきていて、わたしの謝罪の声は出すことができなかった。わたしが声を出すよりも先に、唇は塞がれた。
リップ音がわたしたちの唇からした。
柔らかいくて、少ししょっぱく、水っぽい透花の唇がわたしに触れる。
謝罪をするより先に、透花はなぜかわたしの唇にキスをしてきたのだった。
なんで?
怒ってるのに、キスをされた。透花の舌が、遠慮なく、強い力でわたしの口内に入ってくる。力任せで雑なキス。
欲求不満なときの透花がしてくる、待ちきれないようなときの強い力のキスではない。繊細さの無い、まったくの別物。愛が無いキス、もしくは、愛が重すぎて、憎悪が混ざってしまった時のようなキスだろうか……。
そんな突拍子のないことを考えてしまうくらい、わたしの頭の中は混乱しきっていた。
口の中で、透花のセンタータンの舌ピアスがわたしの口の中に触れる。舌がバシバシと、わたしの口を殴りつけるみたいに、雑に口内を触れまわっていた。キスは愛情表現のはずなのに、まるで、わたしを傷つけるためのものにも感じられた。
何のつもりだろうか……
少なくとも、すぐそばで咲良さんが弱っている時に、呑気にキスをしている場合ではない。
わたしは透花にキスをやめさせようとした。体を離そうとした。
けれど、その瞬間、透花の舌先がわたしの上あごに当たり、カチッと音がしたのだった。キスをしているときに、出るはずのない音がした。
ん?
何かがおかしい。ただ、透花の舌先のピアスが、わたしの上顎に触れただけなのに、今まで経験したことのないような感覚に襲われる。
世界が歪む。ぐるぐると激しい眩暈のように。ここがどこか、わけがわからなくなる。
夜空も、紅葉も、泣いている透花も、頬を押さえて驚いたようにこちらを見ている咲良さんも、全部が混ざり合う。
やがて……
「あれ……?」
目を覚ますと、わたしは真っ暗な世界にいた。
「透花、咲良さん……」
呼んでも何も声はしない。
どこにいるのかも、どうしてここにいるのかも、全くわからなかった……
透花に突き飛ばされるようにして引き離されたせいで、透花と咲良さんからは少し離れた場所で、わたしは尻餅をついてしまっていた。
いるはずのない透花が、なぜかここにいる。一瞬、わたしの罪悪感が見せた幻か何かかと思った。だって、電車で1時間もかけて来ないといけないような場所を特定するなんて、不可能だから。
普通に考えて、いるはずがないのに、透花は確かにここにいる。
すでに半狂乱になって、肩で息をしている透花と、不安そうながらも、しっかりとした視線で透花を見上げる咲良さん。一番のメインであるはずのわたしが、完全な傍観者と化していた。
わたしを取り合って2人が揉めている。そんな少女漫画のヒロインみたいなことが目の前で起きている。
ヒロインなら、「わたしを取り合わないで!」と可愛らしく叫ぶのだろうか。だが、わたしはそんな気の利いた、可愛らしい言葉は言えなかった。
どうしたら良いのか訳がわからなかった。わたしのために、というよりも、わたしのせいで、という感想の方が強いのに、どうしてヒロインぶれるだろうか。
透花が咲良さんの髪の毛を思いっきり引っ張っていた。明らかに、マズイ。
「ちょ、ちょっと、透花……」
声を出したつもりだけで、その声は風とともに夜の闇の中に簡単に消えてしまった。
一応、その場で腕を伸ばして、止める素振りはしてみた。けど、実際には2人に、わたしの手は届いていないし、そもそも視界に入ってもいないだろう。
距離にして2メートル程。少し歩けば透花を力づくで止められる距離だったけれど、近づく度胸もなかった。
痛い、痛いから、やめて……。
わたしのなずを返せ! 泥棒!
ちょっ、せめて話聞いてよ。痛いから!
聞こえてくる声は、とても遠い場所から聞こえてくるように感じられた。とても遠い、地上で起きている話。深海のわたしには届かない。まるで、そんな気分。
すぐ目の前で起きていることが現実とは思えない。透花が咲良さんの体を押さえつけるようにして地面に寝かせて、その上で馬乗りになっていた。
咲良さんは、ただ必死に体を腕で守っていたけれど、透花の方が背が高い分、力も強いみたい。
ほんとに、やめてってば! 痛いから。痣残っちゃうって
なずのこと誘惑して。クズクズクズ! 返せ返せ返せ返せ返せ!! わたしのなずを返せ!!!
透花の瞳からは涙が伝い、咲良さんに向かって、ポタポタと落下していくのが遠くから見ていもわかる。咲良さんの痛そうな声と、透花の涙声が混ざっていた。咲良さんも、透花も痛そうだった。
どうしたら……
早く止めないといけないのはわかっているのに、暫くの間、動くこともできなかった。わたしたち3人の他に、誰も見ていない状況は、あまりにも危険だった。
わたししか止められる人はいないのに……
なずはわたしのものなの!! わたしの、わたしのなずなの!!!
わたしの恋人なの! なずは、暗いわたしの世界を照らしてくれてるんだから!!
わたしから光を奪わないでよっ!!
咲良さんは、すでに言い返す気力も失っていたから、透花が一方的に咲良さんに捲し立てている。
「透花……」
透花の重たいくらいの愛をわたしが受け取ったのは、すでにわたしと透花の関係性がボロボロになってから。
この状況でもなお、透花がわたしに対して必死になってくれていることが嬉しい。けど、ひどい罪悪感もある。そして、恋心があったからとはいえ、わたしを元気づけてくれようとしていた咲良さんが、ボロボロになってしまっている。
わたしのせいだ……
わたしのせいで、みんなボロボロだ……
この状況を放っておいていいわけがなかった。わたしは思い出したみたいに慌てて立ち上がり、急いで2人の元へと向かう。たった2歩。わたしが歩み寄れなかった距離は、信じられないくらい近かった。
わたしは透花の体を引っ張るようにして、慌てて咲良さんから引き離す。咲良さんの可愛らしい顔に血がついていた。多分鼻血が出たんだと思う。
「透花、やめて! 死んじゃう!!」
わたしは慌てて、上に乗っていた透花の両脇の下に腕を入れるようにして、体を引っ張って持ち上げる。透花を咲良さんの体から離すようにして立たせたら、透花は慌ててわたしの体から身を離す。そして、クルッと体を反転させた透花は、わたしの方に向き直った。
鼻先がくっつくような距離まで、顔が近づけられる。今まで見たことのないような、怒りと悲しみが最大限まで表現された顔。怖く、妖しく、寂しげな透花の顔。
「裏切り者!!!」
耳が痛くなるような金切り声が静かな夜空に反響した。
透花の顔は涙と鼻水で、顔がびしゃびしゃになっていた。綺麗な透花の顔が、汚れ切っている。
「ご、ごめ――」
「許さない、許さないから!!」
透花が悲鳴のような声を上げているから、わたしの謝罪はかき消される。もう一度、今度はさっきよりも大きな声で謝ろうとした。
けれど、透花の顔が先ほどまでよりもさらに近づいてきていて、わたしの謝罪の声は出すことができなかった。わたしが声を出すよりも先に、唇は塞がれた。
リップ音がわたしたちの唇からした。
柔らかいくて、少ししょっぱく、水っぽい透花の唇がわたしに触れる。
謝罪をするより先に、透花はなぜかわたしの唇にキスをしてきたのだった。
なんで?
怒ってるのに、キスをされた。透花の舌が、遠慮なく、強い力でわたしの口内に入ってくる。力任せで雑なキス。
欲求不満なときの透花がしてくる、待ちきれないようなときの強い力のキスではない。繊細さの無い、まったくの別物。愛が無いキス、もしくは、愛が重すぎて、憎悪が混ざってしまった時のようなキスだろうか……。
そんな突拍子のないことを考えてしまうくらい、わたしの頭の中は混乱しきっていた。
口の中で、透花のセンタータンの舌ピアスがわたしの口の中に触れる。舌がバシバシと、わたしの口を殴りつけるみたいに、雑に口内を触れまわっていた。キスは愛情表現のはずなのに、まるで、わたしを傷つけるためのものにも感じられた。
何のつもりだろうか……
少なくとも、すぐそばで咲良さんが弱っている時に、呑気にキスをしている場合ではない。
わたしは透花にキスをやめさせようとした。体を離そうとした。
けれど、その瞬間、透花の舌先がわたしの上あごに当たり、カチッと音がしたのだった。キスをしているときに、出るはずのない音がした。
ん?
何かがおかしい。ただ、透花の舌先のピアスが、わたしの上顎に触れただけなのに、今まで経験したことのないような感覚に襲われる。
世界が歪む。ぐるぐると激しい眩暈のように。ここがどこか、わけがわからなくなる。
夜空も、紅葉も、泣いている透花も、頬を押さえて驚いたようにこちらを見ている咲良さんも、全部が混ざり合う。
やがて……
「あれ……?」
目を覚ますと、わたしは真っ暗な世界にいた。
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