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夕暮れモーメント
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しおりを挟む「新しいことは若ければ若いほど馴染むのが早い、」
こんなことを先輩の高島さんはよく言っている。
反対に、飽きるのもすごく早い、とも。
でも、私の場合はどうなんだろう。
専門学校を卒業してそのまま就職したこの老人ホーム。
少しでも条件がいいところを、と行き先を決めあぐねていた周りの友達を尻目に、私だけは一番最初に内定が出たところにさっさと就職を決めてしまっていた。
新しいことに慣れるのは苦手な方ではないけれど、もともと出来上がった人間関係の輪の中に入っていくのは、何よりも不得意だ。
今の職場でもそう。
職場の性質上、ここで働く人たちは、なかなかの世話焼きが多いからまだいいものの、みんなの輪の中にはまだ今一つ、入っていけない。
どんなに私が若いからって、新しいものに馴染んでいくことはそうそう簡単なことじゃない。
私はそう思ってる。
だけど、今回ばっかりは絶対に途中で逃げる訳にはいかないのだ。
今回ばかりは。
私はそう心に決めていた。
「おはよう、ひなたちゃん」
「お疲れ様です」
午前6時。
夜勤明けにも関わらず先輩たちはいつも笑顔だ。
冬の朝はなかなか明るくならない。
朝練だってこんなに早くから動き出してはいなかったのに、この眠気の中の出勤も3日くらいでもう慣れた。
「今日も忙しくなるからね。頑張って」
「はい!」
すれ違った先輩の高島さんに声をかけられる。
その瞬間、あるものが私の目に留まる。
まだ薄暗いエントランスのぶっとい柱に貼ってあるポスター。
『クリスマスコンサート
12月24日 13時~』
ここのホームでは、こうやって季節ごとに様々なイベントを開いたりしている。
今までも色々なジャンルの人たちがここを慰問しに来た。
ポスターには、別々のサイトから拾ってきたみたいな、タッチに一貫性のないサンタクロースやトナカイのイラストが散りばめられている。
派手な字で書かれているのは、紛れもなく今日の日付だ。
その真ん中に1枚の写真。
金色の楽器を手に、一人の初老の男の人が微笑んでいた。
「サックス、だ…」
「ああ、それ、サックスなのね。私ったら、全然わからないもんだから」
独り言のつもりが思いがけず返事が返ってきて思わずびくっ、とする。
「高島、さん」
高島さんはお母さんより少し年上くらいの優しい女の先輩だ。
いつもは事務室で仕事をしているけれど、たまにこうやって声をかけにきてくれる。
仕事がきつくて大変なときには励ましてくれたり、うまくいかないときはアドバイスなんかもくれたりする、便りになる存在だ。
なんでも、腰を痛める前の去年まではがっつり介護の仕事をしていたらしい。
「やだ、そんなにびくっとしないでちょうだいよ。ほら、もっと肩の力抜いて!ほら!」
そう言って私の背中をばしばし叩く。
思わずくくっ、と笑ってしまう、私。
「詳しいのね、ひなたちゃんは。」
「ええ、いや、はい…まあ。あ、準備、行ってきますね」
「ん?あっ、頑張ってね」
その高島さんの言葉を聞くが早いか、さっと身を翻して来た道を戻る。
あの話題に触れそうになると反射的に話を切り上げてしまうようになってしまったのは一体いつからだろう。
胸がずきん、と傷んだ。
さて。
ここのホームでの日常は目まぐるしく過ぎていき。
毎日繰り返される忙しい業務をつぎつぎにこなしていくうちに。
12時45分。
コンサートの開演まであと15分を切った。
ちょうど今はお昼の時間。
みんなの前にあるテレビでは、朝ドラの再放送が流れ始めたところだ。
今みんながお昼を食べているこの大広間で、コンサートは開かれる。
舞台は今みんなが見ているテレビのちょうど反対側だ。
私たちはそんな暖かい空間の邪魔をしないようにできる限りの配慮をしながら、後ろでいそいそとコンサート会場の設営に急いでいた。
「ねえひなたちゃん、」
椅子を等間隔に並べていると、少し向こうの方から先輩に呼び掛けられる。
一つ年上の、東先輩だ。
「はい、東先輩、なんですか」
「こっちはなんとか大丈夫だからさ、ちょっとみんなをこっちの方に呼んでおいてもらえないかな」
「はい!」
すうっ、と大きく息を吸いながらテーブルとテーブルの間をテレビの方に進んでいく。
大勢の前で話すのはかなり苦手。
ここに来てまだ少し克服したほうだ。
テレビの前まできて、もう一度、息をつく。
「すみませーん、ちょっと、いいですかー」
何人かのおじいちゃん、おばあちゃんがこちらに顔をむける。
しかし、ほとんどが私の言葉には気づかないままだ。
「あのー、」
私のあまりよく通らない声はお昼ご飯中のざわざわに吸い込まれていく。
私の一番近くに座っているおばあちゃんだけが私の方をしっかり見て、頑張れ、と笑いかける。
もう一度深呼吸。
「あの、」
「そろそろクリスマスコンサートを始めるので、後ろの方に集まって下さい。車椅子の人は後で私たちが行きますから、少しお待ち下さい」
もう静かになってもらうことを諦めて一息に話し始めた私のところに高島さんが走ってくる。
「高島さん!」
高島さんは頭から足まで、サンタのコスプレをしていた。
ひげまでつけていて、口元が全然見えない。
「ひなたちゃん!サンタのコスチュームまだ着けてないじゃないの!ほい、早く着てくる!!」
「は、はい!」
背中を勢いよく叩かれて、そのままスタッフルームの方に送り出される。
「高島さん!車椅子は私と東先輩が動かしますので!」
振り返ってそこまで言い終わってスタッフルームに足を踏み入れた途端、目が覚めるような鮮やかな金色が私の視界に飛び込んできた。
金色に眩しく光るサックス。
一瞬、時間の流れが止まったように感じる。
「こんにちは」
サックスをもつその男の人は髭をたくわえた顔をゆがませ、笑顔で挨拶してきた。
「こ、こんにちは…今日は、来てくれてありがとう、ございます」
私はとっさに平凡な挨拶を返す。
こういう時にもう少し気の効いた挨拶ができたらいいのに。
「今日の演奏、楽しみにしてます」
後に続けた言葉も、さらに平凡である。
「ありがとう」
にっこり笑いかけて、男の人は部屋を出ていった。
腕時計を見る。
もうそろそろ開演時間だ。
さまざまな雑念はあったが、とりあえず何も考えないようにして、机に置いてあった服屋のショップバッグの中身をひっくり返す。
サンタの帽子、上着、そして、ズボン。
(ここまでやらなきゃだめかなぁ…)
苦笑いしながら、すべてを身につけた自分を鏡に写してみる。
まあ、でも悪くない。
せっかくのクリスマスイブ、楽しんで働かなきゃ!!
意を決して、スタッフルームから出る。
会場は、お昼ご飯を食べていたさっきまでの雰囲気とはうって変わって浮き足立ったものになっていた。
椅子に座ってステージの方を楽しそうに指差す人、それを見ながら嬉しそうにうなずく車椅子の人。
まだコンサートは始まっていないのに、会場は楽しい雰囲気でごった返していた。
「おーい、ひなたちゃん、こっちこっち」
高島さんと東先輩がステージの上から私を呼んでいる。
「えっ、私もステージ上がるんですか」
「当然よー、フレッシュな二人が立ってなくてどーするの」
はい、と東先輩にマイクを手渡されながらステージに上がる。
ステージ、とはいっても高さ30センチにも満たない、かなり低めのステージだ。
マイクは真ん中らへんの手に当たるところだけが少し暖かかった。
正面の大きな時計が1時を指す。
それと同時にどこからともなくクリスマスの楽しいメロディーが流れてくる。
「みなさん、ようこそお越し頂きましたー!」
高島さんのはつらつとした明るい声が響きわたりイベントが始まった。
ステージの前は笑顔、笑顔、笑顔。
たちまち拍手が沸き起こる。
ここまではまだよかったのだ。
ここまでは。
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