本日もカイセイなり

モカの木

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15話 撤退

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 圧倒的な数を誇った魔族軍が、壊乱している。
 その事実に、アドラーは血が滲むほどに歯を食いしばる。
 既に全体の指揮系統は失われ、曲がりなりにも氏族である部隊長たちは我先にと逃げ出し……勇者に討たれていた。
「閣下から預かった軍を、情けない……!」
 取り残された魔族を必死で糾合し、青年は襲い来る追撃を辛うじていなし続ける。
 こちらに勇者が来ないのは、単に美味しい餌他の氏族が別にあるからに過ぎない。
 危うい均衡は、いつ崩れてもおかしくはなかった。
 惰弱な氏族の行為を唾棄しつつ、アドラーはその命が1秒でも長く持つことを願ってもいた。

 ◇

 凶星ネメシス
 天からの光は、魔族にとっての福音であるはずだった。
 それが消えた直後、後方のマカリア要塞へと「星」が落ちた。
 呆気にとられる間に、巨大な爆発が目に入り、ついでその振動が足元を揺らす。
 全てが崩壊したのだと、多くの魔族が錯覚するのも無理はなかっただろう。
 それでも、まだ勝機はあった。
 人間たちの守備兵や勇者に削られてなお、10万に届かんとする軍勢は健在だったのだ。
 アドラーが態勢を建て直さんと号令をかけるも、続けて襲った空振と、マカリアから立ち上るキノコ雲とが、元々作戦に批判的だった氏族連中の士気を挫いた。
 ――作戦の根底が崩れた以上、アドラー如きに従う理由も消えた。
 賢しげにのたまった部隊長の1人が、そそくさと撤退を始めてしまえば、後は雪崩を打つようだった。
 手近な従魔を、体の良い護衛とばかりに引き抜き、各々が勝手に動き始める。
 同族達がその場を離れることで、残された従魔も戸惑い、整然としていた隊列が明らかに乱れ――その隙を、人間が見逃すはずはなかった。
 城壁から跳んだ勇者が、逃げ出した氏族へと隼のように急降下し、刈り取る。
 合わせるように魔法が次々と放たれ、威容を誇った大軍勢は呆気なく崩壊した。

 ◇

 撤退戦は、最も難易度が高い。
 計画された撤退であっても、そうだ。
 であれば、無秩序に総崩れとなった現状は、筆舌に尽くし難い。
 そんな中にあって、ギリギリ隊列と呼べなくもない形を維持するアドラーの手腕は、恐るべきものではあった。
「アドラー様! ノシャリ殿の魔力が消えました!」
 戦場の騒音に負けじと叫ぶ副官に、青年は少しだけ笑う。
「良く持った……とでも褒めてやるか? すぐに勇者が来る。貴様ら、合図があり次第、全力で走れ」
「あ、合図とは!?」
「嫌でもわかる……来たぞ!」
 同時に振るわれた刃が、疾風のごとく襲い来た勇者の剣を受け止めた。
「剣も使えるのか!」
「嗜みさ」
 一旦距離を取った修志は、剣を正眼に構える。
「お前で最後だ、アドラー」
「……そのようだ」
 ジリと間合いを計りながら、アドラーもまた剣を構え直す。
 その刃が見る見る赤熱し、音を立てて炎を纏った。
 対する修志の剣も、蒼冷めた輝きを放つ。
 両者の姿が掻き消え、剣戟と衝撃音が連続する。
(所詮、予備か)
 数合の打ち合いで柄から限界を感じ取り、アドラーは敢えて大きく間合いを空けた。
 好機とばかりに力を込めた修志に向け、青年は炎剣を弾丸のごとく投げつける。
 虚を突かれた勇者だが、難なくそれを叩き落とすも、その一瞬こそアドラーが欲したものだった。
 ――何となれば、離脱程度はできる。
 勇者との邂逅以前に、彼がそう確信する源となった奥の手。
「走れ!」
 懐から取り出した何かを、躊躇なく地面へと叩きつける。
 大ぶりのマナ結晶。
 急速に魔力を送り込まれたそれは一挙に不安定となり、強い衝撃を受けると、激しい音と閃光を撒き散らして破裂する。
 特筆すべきは、破裂の範囲にごく短時間ながら「酔い」を生じさせるということ。
 僅かに遅れて踏み込んだ修志は、まともにその範囲へと巻き込まれてしまう。
 一方のアドラーは、破裂の直前に後方へ跳躍し、多少の不快感を覚えるも、そのまま勇者に背を向けて疾駆した。
 「合図」を受けて、残った部下達がどうしたかを確認する暇さえない。
 稼げる時間は、せいぜい数秒だ。
 軍勢も、武器も、奥の手さえも失って、ようやく得た時間。
 それでも、そこで追撃を諦めてくれるかどうかは、運だった。

「やられた」
 何度もまばたきを繰り返しながら、修志は呆れたように笑っていた。
 閃光と爆音程度なら、そのまま切り捨てることができただろう。
 だが、「酔い」で僅かにふらついた剣筋は、アドラーではなく空を裂いた。
 結果として残心も甘くなり、姿勢を立て直した時には、青年の背は大きく遠ざかっていた。
「……」
 追っても良い。
 ただ、追うとなれば、周辺に残った魔物の掃討に支障が出る可能性があった。
 既に烏合の衆とはいえ、その数を野放しにしたままでは、今後に差し障る。
 僅かな逡巡の後、勇者は踵を返した。
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