夜光虫が嗤う

雨宮汐

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9話 本当に馬鹿だな

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「思い出した。夜光虫、君は薫子……?」
 薫子は悲しげな表情を浮かべて俯いてから、睨むように告げた。
「思い出したならわかるでしょ?……歪みが生じるの、私は不完全な鬼神。壱岐が私のそばにいれば戻ろうとするの、魂が。そして鬼と人間の均衡が崩れて、神の力が抑えられ、鬼が本性を出す」
薫子は笑った。困ったように笑いながら涙を流した。
「一生愛さないと決めていたのは、食うのが怖かったからだけじゃない。愛してしまえば、一緒にいたいって、死んでしまうことが怖くなるから――。決めて、壱岐。私はこのままじゃあなたを殺すか、あなたに魂を奪われて鬼になる。あなたも不完全な魂じゃ、長くは生きられない。だから、私を殺して。今度はあなたが生きて」
薫子は強かった。ずっとそんな風に覚悟して生きてきたなんて、そんなの苦しいに決まっているのに。ずっと俺にも言わずに、一人だけで……でも、そんなのは!
「……っ卑怯だ! 何を選んだって後悔するしかないじゃないか!」
「ごめん」
「なんでずっと黙ってた!? なんでずっと、一人で抱えてたんだ!」
 悲鳴のような不協和音が耳にづいてあげられなくて響いている。それが俺の中の記憶が瑠璃を拒否する拒絶反応だって分かっていても俺は瑠璃を抱きしめた。
「謝るなよ、お前は何も悪くない」
 薫子が嗚咽を上げて俺にしがみついた。二人で泣き喚いたあの頃がフラッシュバックした。
「気、ごめん。ごめんな……」
 塩辛い悔しさの涙が口に入った。花世はそっと羽ばたいて、飛び立った音が耳に届いた。
俺は、本当は薫子の悲しい顔が好きなんじゃなかった。薫子が自分を想っていてくれる証が欲しかっただけなんだ。本当は、お前の悲しい顔なんか見たくないよ。そんなの大っきらいだ。
涙が止まらなかった。俺はあの頃の壱岐じゃない。それでもまた出会い、惹かれあった。それは運命じゃない。けれど偶然じゃなかった。ずっと、会いたかったんだ。
泣き声が響く世界の中、悲しみと愛情がいつまでも溢れてきて痣ができるほど、強く抱き合った。 
愛してると喉が嗄れるまで、伝えたかった。けれど、俺に。薫子を鬼にしてしまった俺にそんな身勝手な思いを伝えることなどできるはずもなかった。

「今の俺には弟がいたんだ。生まれてすぐ死産したって聞いてた」
 俺は薫子をまっすぐと見据えた。薫子も言いたいことはわかっているみたいだった。
「……母さんは花世って名前だった」
 薫子は俯きながら、「うん」とだけ返事をした。覚悟を決めたような、諦めたようなそんな返答に俺は確信する。
「あの時、自殺した母さんは、姑獲鳥になったんだな」
 薫子は俯いたまま、首を縦に振った。
「どうして? 母さんは姑獲鳥に? それに青志はどうしてお前と一緒だったんだ?」
 薫子はうつむいたまま、残酷な青の目をしてこういった。
「私は鬼の血族を絶やすために、壱岐の魂を持つ者を探さなければならなかった。自分を殺すために」
「うん」
 薫子は俺のベッドに座ると、こういった。
「青志のことを私は目を付けていた。だから鬼子として生まれたの」
「鬼子? って何?」
 俺はわけがわからなくなって聞いた。薫子は鬼で、青志も鬼? だったって言うんだろうか?
「鬼子っていうのは、鬼じゃないの。歯が生まれながらに生え揃った赤ちゃんのこと。実の親を殺すとか、不吉の象徴とか言われて忌み嫌われて……いる……わ」
 瑠璃はそういうと、フラフラとその場に倒れた。
「おい!」
急いで駆け寄ると、瑠璃は月明かりに照らされて瞳を閉じて寝息を立てていた。その顔は何か重たいものを吐き出したような、少しだけほっとしたような顔だった。
俺はそっと、瑠璃の足を抱き上げた。こんな時に寝てしまうなんて、とため息を吐いて瑠璃をみつめる。すると瑠璃が一瞬霞んで見えた。目をこすってもう一度見ると、やはりぶれてみえる。どうしたのだろう? 瑠璃以外のものはちゃんとはっきり見えるのに……。
 月がぼんやりとした明かりを公園に落としている。不気味だった。
 こんな赤みがかった月明りを、俺は見たことがなかった。
肩をトントンと叩いて青志が俺の前に現れた。急に現れた青志に驚いたが、すぐに冷静さを取り戻して振り返った。
「まだ、喰われてなかったんだな」
 吐き捨てるように青志はいい、睨んできた。
「ああ。悪くなったな」
 記憶を掘り返そうとすると、ガラス片が刺さるような痛みが頭を襲う。
「思い出したのか……。わかっていると思うが、俺は死んでない」
「……」
 俺は瑠璃の方を見ながら言った。
「お前、鬼子だったんだってな……」
 俺が聞くと、青志は表情を曇らせてベンチに腰を下ろした。
「……どこまで覚えているんだ?」
 瞳が色をなくしたような、力ない憂鬱な目をして青志が聞く。その瞳に隠された、どこまでも落ちてしまいそうなほど底の見えない闇に俺は怯えた。
「俺はお前のことに関しては何も知らない。何も覚えていない」
 その言葉を口にすることが、どれほど無神経か分かっているのに言葉は躊躇いもなく出てくる。謝罪は必要ない。それは青志を傷つけるだけだと分かっているから。
「そうか、俺も赤子だったから何も覚えてない。けれど、瑠璃が教えてくれた。瑠璃と響鬼の家のこと。少しばかり長い話になるが、聞いて欲しい。母さんが姑獲鳥になった理由。俺が眷属に至ったわけ、そして瑠璃のことを」
 切願するような寂しい目に俺は首を縦に振った。青志は知らないのだろう? 俺と同じに安らぎなどなかったのだろう。本当の家族を知らないで甘えられずに生きてきたのだろう。
 青志は想いを吐き出すように言葉を噛み締めながら話し出した。俺の顔を見ながらゆっくりと、慎重に話しだした。
「俺が鬼子だと分かったとき、父親は我が子より迷信を信じ、母さんを守るため、俺を殺した。母さんは鬼子の存在は迷信だと否定したところで父さんを説得できるはずもないと、父親が出たあとすぐに兄さんに話しかけたそうだ」

「すぐに戻ってくるから」
「……俺は大丈夫。だからその子を守って」

「俺は正直、兄さんは変わっていないと思ったよ。覚えてないかもしれないけど、俺は兄さんが壱岐だった頃も兄さんの弟だった。兄さんは俺をよく親の暴力から俺を逃がしてくれた。そして、あの時、炎の中で焼かれた兄さんを助けた。その時にできた縁で、俺は兄さんと瑠璃と運命が重なった」
 そういった青志の言葉で、首を絞められた時がフラッシュバックした。あの時、青志は何を考えていたんだろう? 壱岐の頃の俺を重ねて見ていたのだろうか? あの息苦しさの中、俺は自分と瑠璃のことしか考えていなかったというのに。
 瑠璃とこいつはずっと過去と向き合わずにはいられない状況にいたというのに。
 自分の無力さと無神経さにどうしようもない苛立ちを感じた。赤くただれる肌のむず痒さに耐えるような……そんなどうしようもない苛立ち。
「瑠璃が、逃げようとする母さんの前に現れ言ったんだ。その子を守ってあげる。その代わりに私に命を捧げなさいってな」
「な、なんでそんなことを」
 うろたえて声が震えた。
「名前を奪われた兄さんは、感情が希薄だった。それは名をなくしたものの末路だ。名を奪われることによって生じる影響は計り切れない。それこそ十五才を迎える前に亡くなったっておかしくないんだ。けれど、それを回避する方法がある。それは兄さんの心に深い傷を残すこと。そうすれば、兄さんは消えてしまった感情を強く刺激することができる。命を長らえることができる。感情はエネルギーなんだよ」
 俺は黙ったままうつむいた。だから、母さんが自殺したっていうのか。だから俺は母さんを見たときに。
 思い返して吐きそうになった。
「続けるぞ。母さんはそれを了承した。自分の死を受け入れたんだ。マンションから飛び降りて死を意識した時に母さんはただただ、――俺たちが心配だった。そしてその気持ちと鬼の呪縛が母さんを姑獲鳥にしてしまった」
「……」
俺は何か言おうと口を開けたが、何も言えなかった。
 無神経だったのだ。何もかも、青志の気持ちも瑠璃の気持ちも俺は何も知らないで、のうのうと生きてきたのだ。
 顔をしかめて黙り込んだ俺を見て青志はため息を吐いてから言った。
「俺が鬼子に生まれたのは、前世の過ちから考えれば当然だ。俺は兄さんに逃がしてもらった後、兄さんのことも何も考えずに幸せな生涯を終えた。なんの罪悪感も抱かず。子をなし、恩を返すこともせず。……だからそんな顔をするな。あなたが悪いんじゃない」
 青志はしっかりした口調で言い切った。俺は苦笑いするしかない。
「……俺、そんな変な顔してるか?」
「全部、自分のせいだと思っているんだろう?」
聞いたのに真顔で聞き返されたことで、俺はもう降参するしかなかった。
「俺が、もっとしっかりしていればこんなことにはならなかったんだ」
俺が泣き晴れた目からまた涙が流ないように天井を見ながら言うと、青志はなんとも思ってないような平然とした面でこういった。
「……馬鹿じゃないのか?」
「は?」
「罪悪感なんか今更どうしようもないんだよ。過去に戻れるわけであるまいし。例えもう一度やり直せたとしても、同じこと繰り返さないなんて言い切れるか? 俺はどれだけ過去に戻れたって過去を変えられるとは思えない。兄さんも瑠璃も、他の道を選べなかったからそうなったんだろう? 今更謝られたってあなたが自分勝手な道しか歩めないのは知ってるんだよ」
 責められた気がした。初めて、その取り返しのなさを許さないでいてくれる存在が救いだと思った。これで青志に、許されたら俺はきっと自責の念で今以上に苦しんだだろう。
「ありがとう」
かすれた声で呟くと、青志が容赦なく呟いた。
「本当に馬鹿だな」
俺は少し、怒ったように笑った。
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