「失われた庭の記憶」

ミライ

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「失われた庭の記憶」

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第1章: 夏の訪れ

蒸し暑い都会の空気を背に、杏奈は田舎の駅に降り立った。蝉の声が耳に響き、足元にはひび割れたコンクリートが広がる。東京の喧騒から離れ、久しぶりにこの小さな村を訪れた杏奈は、どこか懐かしさを感じながらも、軽い不安に胸を締め付けられていた。

「おばあちゃん、元気かな…」

彼女は小さくつぶやきながら、祖母の家へと続く道を歩き出す。木々に覆われた一本道は、昔と変わらず、夏の日差しが緑のトンネルを作っていた。毎年のように訪れていた祖母の家も、ここ数年は仕事や大学の忙しさで疎遠になっていた。そのせいか、杏奈は心のどこかで、この村が自分にとって異国の地のように感じていた。

少し歩くと、古びた石塀に囲まれた祖母の家が見えてきた。赤瓦の屋根に苔が生え、年月を感じさせる。その裏にはかつて広がっていた美しい庭があったはずだが、今は雑草が生い茂り、荒れ果てているように見えた。

玄関に立ち、杏奈は大きく息を吸ってからドアを叩いた。しばらくして、ゆっくりとドアが開き、皺だらけの顔をした祖母が姿を現した。

「まあ、杏奈。よく来たねぇ。」

祖母の声は少し弱々しいが、その目には温かさが宿っている。杏奈は思わず微笑み、祖母に抱きついた。

「おばあちゃん、久しぶり。元気そうでよかった。」

「ありがとう。さあ、中にお入り。暑いだろう?」

祖母の家はひんやりとしていて、都会の蒸し暑さから解放された杏奈はほっと一息ついた。居間には昔と変わらない家具が並び、祖父が使っていた古いラジオが机の上に置かれている。杏奈は懐かしさに包まれながら、窓の外に目を向けた。そこには、かつて祖母と一緒に遊んだ「庭」が広がっていた。

だが、その姿は記憶の中のものとは大きく異なっていた。

「おばあちゃん、あの庭…どうしちゃったの?」

杏奈が尋ねると、祖母は一瞬、表情を曇らせた。しかしすぐに笑顔を取り戻し、そっけなく答えた。

「ああ、庭ね。もうずっと手入れしてないんだ。年だからね、もう私には無理でね。」

杏奈はその言葉を聞きながらも、何か違和感を覚えた。祖母は何かを隠しているように見えた。昔はあれほど自慢していた庭が、これほどまでに荒れてしまうのを、祖母がただ黙って見過ごすとは思えない。杏奈は無意識に手をぎゅっと握りしめた。

「あとで、ちょっと見に行ってもいいかな?」

「ええ、好きにしなさい。でも、あまり長居はしないでおくれよ。」

祖母の言葉に杏奈は小さくうなずいたが、そのとき、彼女の胸には強い好奇心が湧き上がっていた。あの庭に何があったのだろうか――子どもの頃の思い出に隠された、何か秘密があるような気がしてならなかった。


第2章: 庭の奥

夕方、祖母が昼寝をしている間に、杏奈はひとり庭へと足を踏み入れた。入り口に立つと、目の前に広がる荒れ果てた光景が心に重くのしかかる。木々は手入れされることなく伸び放題になり、かつて美しかった花壇は雑草に覆われていた。温室もガラスが割れ、今ではただの廃墟のように見える。

しかし、その中で一つだけ違和感があった。庭の隅に置かれた古びたベンチ。その上には、埃をかぶった木箱が置かれていた。

杏奈は躊躇しながらもその箱を手に取り、蓋を開けた。中には、古い写真と1冊の日記が入っていた。彼女は驚いて、日記を手に取る。表紙は色あせ、端が擦り切れているが、間違いなく祖母のものだとわかる。

ページをめくると、そこには若き日の祖母と、見知らぬ少年の姿があった。日記には、庭で過ごした二人の思い出が綴られていたが、最後の数ページは破り取られていた。杏奈はその箇所に手を伸ばし、心臓が早鐘を打つのを感じながら破れた跡をなぞった。

「どうして…?」

その瞬間、杏奈の頭の中に一つの疑問が浮かんだ。この少年は誰なのか。そして、祖母が破り取ったページには、一体何が書かれていたのだろう。

庭に漂う冷たい空気が、杏奈の背筋を凍らせた。彼女は直感的に、この場所にはまだ語られていない秘密が隠されていると感じたのだ。


第3章: 秘密の扉

日記を手にしたまま、杏奈は庭を見渡した。雑草に覆われた空間の中で、何かが彼女を引き寄せている。心の中に湧き上がる不安と興奮が交錯する。とりわけ、あの少年の正体と、破られたページの内容が気になって仕方がなかった。

「この庭には、本当に何が隠されているの…?」

ふと、目を向けると、庭の奥に小さな扉が見えた。そこはかつて、祖母と一緒に遊んだ秘密の場所だったはずだ。扉は今や苔に覆われ、鍵はかかっているようだったが、杏奈の心はそれを無視した。

「行ってみよう。」

彼女は日記をポケットにしまい、ゆっくりと扉に近づいた。扉の前に立つと、心臓が高鳴り、手が震えた。重い扉を押すと、少しだけ隙間が開いた。ひんやりとした空気が杏奈を包み込む。

「どうしてこんなところに…?」

扉を開けると、そこには小さな庭が広がっていた。人目につかない場所で、長い間放置されていたのだろう。美しい花々が少しだけ咲いていたが、全体的には手入れが行き届いていない様子だった。その中心には、古い石の噴水が静かに水を湛えている。

杏奈はその場に立ち尽くし、噴水の周りに近づいた。水は透明で、底に小さな石がいくつか見えた。その瞬間、彼女の目に飛び込んできたのは、噴水の側にある小さな彫刻だった。少年の姿をかたどったそれは、まるで彼女を見つめているかのようだった。

「この子が…日記の少年なの?」

そう思った瞬間、耳元で微かな声が聞こえたような気がした。まるで誰かが呼んでいるかのように。杏奈は驚いて振り返ったが、誰もいなかった。彼女の心臓はますます早鐘を打つ。すぐに、日記に書かれていたことが頭の中で回り始めた。

「私の秘密の場所…」

思い返すうちに、何かが彼女の記憶の奥底から呼び起こされる。それは、子どもの頃、祖母が話していた小さな秘密の物語だった。少しずつ、彼女の頭の中でその物語が形を成していく。

「確か、あの少年は…」

杏奈は思い出す。それは、祖母の若き日の友人であり、遊び仲間だったという。だが、なぜその友人の名前が出てこないのだろう。何か大切なことが忘れ去られている気がして、胸が締め付けられた。

彼女は日記を再び取り出し、扉の近くでページを開いた。そこには少年の名前が記されていた。しかし、急に心のどこかがざわめき、冷たい恐怖が杏奈を襲った。ページをめくると、日記の最後の部分が破り取られていることを再確認した。

「この少年に何があったの?」

杏奈は決意を固めた。庭の秘密を探るため、彼女は再び奥へ進むことにした。そこで待つものが何であれ、真実を知りたい一心で、彼女はさらに深く庭の中へと足を進めていく。


第4章: 影の中の記憶

庭を奥へ進むにつれ、ますます不気味な雰囲気が漂っていた。周囲の木々は、薄暗い影を作り出し、太陽の光が射し込むことはほとんどなかった。杏奈は慎重に歩を進めながら、心の中で決意を新たにしていた。

「何か手がかりがあるはず…」

やがて、目の前に一際大きな木が現れた。干し枝と葉が風に揺れる姿は、まるで何かを語りかけているかのようだった。その根元には、小さな石が置かれているのを見つけた。石には何かが刻まれているように見えたが、長い年月の間に擦り減っているため、はっきりとした文字は読めなかった。

杏奈はその石を手に取り、注意深く観察した。何かしらのメッセージが込められている気がしてならなかった。すると、背後から微かな気配を感じた。

「だれかいるの?」

振り返ると、薄暗い木の陰から小さな影が現れた。白いドレスを着た少女が立っていた。彼女の髪は長く、柔らかい光を放っているように見えた。杏奈は驚いてその場に立ち尽くした。

「あなたは…誰?」

少女は静かに微笑んでいるが、その表情にはどこか悲しみが宿っている。杏奈は不安と興味が交錯しながら、彼女のことを見つめた。

「私はこの庭の守り手…」少女はかすかな声で言った。「あなたの心の中の秘密を見つけるために来たの。」

その言葉に、杏奈は驚きを隠せなかった。自分の心の中に隠された秘密とは、一体何なのか?少女の言葉に引き込まれるように、彼女は一歩踏み出した。

「私の心の中の秘密…?」

少女は頷き、庭の奥へと手を差し伸べた。「この庭には、あなたが忘れた思い出が隠れている。来て、私と一緒に探しましょう。」

杏奈は少女の目を見つめ、心の中に湧き上がる期待感に包まれた。彼女の不安は少しずつ薄れていく。あの少年の正体、そしてこの庭に隠された真実を知るために、彼女は少女に従った。

こうして、杏奈の新たな冒険が始まった。彼女は、心の奥深くに秘められた思い出を再発見し、この庭の秘密を解き明かすために、未知の世界へと踏み出していく。


第5章: 思い出の欠片

杏奈は少女に導かれ、庭のさらに奥へと進んでいった。道はどんどん狭くなり、周囲の木々が彼女たちを取り囲むように立ち並んでいた。蝉の声も遠くなり、ただ葉擦れの音が静かに耳に響く。

「ここがあなたの秘密の始まり…」少女は突然立ち止まり、優しく杏奈を見つめた。

「秘密?」杏奈は少し戸惑いながら尋ねた。

「そう、ここにはあなたが忘れてしまった大切な記憶が眠っているのよ。」

少女の指差す先には、古びた石のベンチがあった。そのベンチの前には、大きな銀色の箱が土に埋もれるようにして置かれていた。杏奈はゆっくりと近づき、手で土を払いながら箱を取り出した。箱は重く、蓋には錆びた鍵穴がついていた。

「この箱…開けたことがある気がする。」杏奈はぼんやりとそうつぶやいた。

「ええ、子どもの頃ね。」少女は微笑んだ。「この中に、あの少年との本当の記憶が残されているの。」

杏奈は目を細め、記憶を手繰り寄せようとした。しかし、肝心な部分がまるで霧がかかったようにぼやけている。

「どうして忘れてしまったんだろう…」

「時が経てば、人は辛い記憶を無意識に閉じ込めてしまうものよ。」少女はそっと杏奈の肩に手を置いた。「でも今なら、あなたはそれを思い出す準備ができている。」

杏奈は深く息を吸い込み、鍵穴をじっと見つめた。「鍵は…どこに?」

少女は再び微笑み、静かに庭の中を指差した。「その答えも、すでにあなたの中にあるのよ。」

杏奈は心の中で感じていた不安が次第に和らぎ、何かを掴むような感覚が芽生えてきた。そして、少女と共に箱の鍵を探すため、再び庭の中へと歩き出した。

続く道の先には、今まで気づかなかった場所があるに違いない。


第6章: 鍵の記憶

杏奈と少女は静かに庭を進んでいった。道はさらに細くなり、木々が絡み合うように茂っていた。しばらく歩くと、杏奈の心の中に幼い頃の断片的な記憶が浮かんできた。祖母と一緒に遊んだ日々や、庭で見つけた秘密の「宝物」のこと…。

「ここだわ。」少女が立ち止まり、指差した先には、古い井戸が見えてきた。苔むした石の縁が時の流れを感じさせる。

「あの井戸…」杏奈は思い出した。子どもの頃、祖母と一緒に井戸で遊んだ記憶が鮮やかによみがえった。だが、そこにはもう一つの記憶が絡みついていた―井戸の中に何か大切なものを隠したという記憶だ。

「鍵はここにあるの?」杏奈が尋ねると、少女は静かに頷いた。

「あなたはここに、忘れたくない記憶を隠したのよ。でも、その記憶があまりにも辛かったから、忘れてしまったの。」

杏奈は井戸の縁に手をかけ、深い穴を覗き込んだ。井戸の底は暗く、何も見えないが、確かにそこに何かがあるような気がした。彼女は決心し、古いロープを使って井戸の中に降りていった。途中、井戸の壁に触れると、ひんやりとした感触が伝わってきた。

やがて井戸の底に足が着くと、杏奈の目の前に小さな木箱が見つかった。箱は埃にまみれていたが、どこか懐かしい感覚が彼女の胸に広がった。杏奈は慎重に木箱を開けた。中には、錆びた小さな鍵が入っていた。

「これが…あの箱の鍵?」

杏奈は鍵を手に取り、再び井戸を登り始めた。地上に戻ると、少女が彼女を優しく見つめていた。

「これで箱を開けることができるわ。」少女は静かに言った。

杏奈は頷き、庭の奥に置かれた銀色の箱の前に戻った。鍵穴にぴったりとはまったその小さな鍵を回すと、鈍い音を立てて蓋が開いた。箱の中には、一枚の古い手紙が丁寧に折り畳まれていた。手紙は、あの少年から祖母に宛てたものだった。

杏奈は震える手で手紙を広げ、読み始めた。

「――愛する〇〇へ。僕たちの秘密の場所で、また会おう。僕はこの庭に残る。君がいつか戻ってくるその時まで。」

手紙の内容は、祖母とその少年の深い絆を語っていた。しかし、手紙には最後にこう続いていた。

「…でも、僕たちは二度と会えない。なぜなら、僕は――。」

その文が突然途切れていることに気づいた杏奈は、ページの破れた日記と同じ違和感を覚えた。何か大切なことが書かれていたはずだった。

杏奈は静かに手紙を折り畳み、振り返ると少女はもういなかった。

「ここには何が起きたの?」

胸に深い疑問を抱えたまま、杏奈は庭の秘密にさらに深く踏み込むことを決意した。祖母とあの少年の間に何があったのか。そして、彼女が忘れてしまった「本当の記憶」とは何なのか――それを知るため、杏奈の探求は続く。


第7章: 失われた記憶

杏奈は手紙を慎重に折り畳み、静かにポケットにしまった。何かが祖母とその少年の間で起こったのは明らかだったが、手紙の途切れた部分が彼女にさらなる疑念を抱かせた。何が書かれていたのか、どうしてそこだけが消されているのか。考えれば考えるほど、心の中に渦巻く不安が大きくなっていった。

「もう一度、日記を見直そう…」そう思い立ち、杏奈は再び庭のベンチに座り込み、日記の残りのページをめくり始めた。日記の記述は確かに祖母と少年の幸せな日々を描いていたが、途中から急にそのトーンが変わっていた。

「…彼はもうこの庭には来なくなった。あの日、何かが起こった。あの噴水のそばで彼を待っていたけど、戻ってこなかった。」

杏奈はその一文を読んで、胸が締め付けられるような思いを感じた。祖母は待ち続けた。しかし、その少年は戻ってこなかった。そして、その理由は日記には書かれていない。

「一体何があったの?」

杏奈は思わず立ち上がり、噴水の方へと歩き出した。庭の奥にある噴水は、今では静かに水を湛えているだけだったが、そこには何か隠されているに違いない。杏奈は再び噴水の周りを調べ始めた。細かく観察していると、ふと噴水の縁に何か奇妙なものが刻まれているのに気づいた。

それは古びた文字で、「約束」とだけ書かれていた。

「約束…?」杏奈はその言葉をなぞるように指で触れた。祖母と少年の間には、何らかの約束があったに違いない。そして、その約束が破られたことで、全てが変わってしまったのかもしれない。

「でも、何の約束だったんだろう…?」

思いを巡らせるうちに、杏奈の頭の中にふと、祖母が昔話してくれた不思議な話がよみがえってきた。彼女が子どもの頃、祖母は庭の秘密についてぼんやりとした伝説を話してくれたことがあった。それは、この庭に住む「守り手」が、庭に足を踏み入れた者たちに対して特別な「試練」を与えるという話だった。

「守り手…まさか、さっきの少女?」

杏奈はその可能性に気づき、背筋が冷たくなった。もし彼女が本当に「庭の守り手」だとしたら、祖母や少年もまた、この試練を受けていたのではないだろうか?

「祖母と少年が、この試練で何かを失った…?」

その時、杏奈は急に背後に気配を感じた。振り返ると、再びあの少女が現れていた。彼女は静かに、しかし深い悲しみをたたえた目で杏奈を見つめていた。

「あなたは、私に何かを伝えようとしているの?」杏奈がそう尋ねると、少女はゆっくりと頷いた。

「そう、あなたも気づいているはず。この庭はただの場所ではない。ここには、過去の約束が縛られているの。」少女の声は、風に溶け込むようにかすかだった。

「祖母とあの少年は、何を約束していたの?どうして少年は戻ってこなかったの?」杏奈は問い詰めるように聞いた。

少女はしばらく黙っていたが、やがて口を開いた。「彼らは、永遠に一緒にいると誓った。でも、その約束を果たすためには、大きな犠牲を払わなければならなかったの。」

「犠牲…?」

杏奈は驚いて少女を見つめた。何か恐ろしいことがこの庭で起こったのは間違いなかった。しかし、その真相はまだ掴めていない。

「もし真実を知りたいなら、最後まで進まなければならない。」少女はそう言うと、再び庭の奥へと杏奈を導き始めた。

庭のもっと深い場所に、杏奈がまだ知らない秘密が隠されている。その真実を知るために、彼女はさらに一歩踏み出す決意をした。

続く。

第8章: 闇の真実

杏奈は少女の後を追い、さらに庭の奥深くへと進んだ。道はますます薄暗くなり、まるで世界から切り離されたかのような静寂が周囲を包んでいた。少女は無言のまま、まっすぐ前を見据え、やがて大きな古木の前で立ち止まった。その木の根元には、小さな石の祭壇があり、そこに一冊の古びた本が置かれていた。

「この本が、すべての鍵よ。」少女は静かに言った。

杏奈は慎重に本を手に取り、表紙を見つめた。年代物の皮で覆われたその本は、見るからに長い間誰にも触れられていないようだった。ページをめくると、最初の部分には古い言葉で何かが書かれているが、それは杏奈には解読できない文字だった。

「これが祖母と関係しているの?」杏奈は少女に問いかけた。

「そう、これはこの庭に住む者たちの運命を記した本。この庭で過ごした人々、彼らが交わした約束、そしてそれを果たすために失われたものが書かれている。」少女の言葉は静かだったが、その響きには深い悲しみが込められていた。

「失われたもの…?」

杏奈はページをさらにめくり進め、やがて目を疑うような記述を見つけた。そこには、祖母とあの少年の名前が並んでいた。

「…祖母は、少年とこの庭で永遠の約束を交わした。そしてその約束を守るために、彼女は大切な何かを失った…」

杏奈はその言葉を声に出して読み上げた。だが、具体的に何を失ったのかは明記されていなかった。ページは破り取られている部分が多く、肝心なところが欠けていた。

「何を失ったの?何が犠牲になったの?」杏奈は焦りと苛立ちを感じながら、少女を見つめた。

「約束には代償がつきもの。彼女はその代償を知り、受け入れたの。」少女は答えた。「しかし、彼女が失ったのはただの物や記憶ではない。それは、彼女自身の一部…心の中に深く刻まれた感情や、大切な想い。」

「感情…?祖母は、その少年への想いを失ったの?」杏奈は自分の胸が重くなるのを感じた。もしそれが真実なら、祖母は一生をかけて何かを隠し続けたことになる。

「だから、あの庭は荒れてしまったのか…」杏奈はぽつりとつぶやいた。

少女は微笑んだが、その表情には深い哀愁が漂っていた。「今やあなたもその秘密を知った。祖母は長い間、それを誰にも明かさず、一人で抱え続けてきた。けれど、あなたがここに来たことで、彼女の心の奥に閉じ込められたものが解き放たれる時が来たのかもしれない。」

「私が、祖母の助けになるの…?」杏奈は戸惑いながらも、少女の言葉に希望を見出していた。

「そう、あなたが祖母の代わりに、真実を受け入れ、そして解放することができる。」少女はそう言い、杏奈の手をそっと握った。「すべてを知った時、あなたは選択を迫られる。祖母の過去を癒すか、秘密を永遠に封じるか…その選択はあなたに託されたの。」

杏奈はしばらく考えた後、決意を固めた。「私は祖母の真実を受け入れて、彼女を解放するわ。」

少女は静かに頷き、そして言った。「それなら、この本の最後のページに触れなさい。そこにすべてが記されている。」

杏奈は本の最後のページに指を伸ばし、そっと触れた。すると突然、周囲の空気が一変し、景色がぼんやりと変わり始めた。杏奈は目を閉じ、心の中で祖母のことを強く思い浮かべた。そして、最後のページに書かれた言葉が杏奈の心に直接語りかけてきた。

「約束の代償は、永遠の別れ。」

その瞬間、杏奈の心に祖母の記憶と感情が流れ込んできた。祖母が感じた愛、失った悲しみ、そしてそのすべてを封じ込めた理由が一気に杏奈の中に伝わってきた。

杏奈は涙を流しながら、その重みを受け止めた。そして、祖母のために、この過去を乗り越える決意をした。

「さようなら、そしてありがとう。」杏奈は静かに呟きながら、すべてを受け入れた。

続く。

第9章: 解放の瞬間

杏奈が目を開けると、景色が再び現実のものへと戻っていた。彼女は依然として古い木の前に立っており、手にはあの古びた本が残されていた。だが、心の中は何かが解き放たれたように、静かで穏やかな感覚が広がっていた。

「これで終わりなの?」杏奈は少女に問いかけた。少女は再び静かに微笑んでいた。

「終わりではなく、新しい始まりよ。」少女は優しい声で答えた。「あなたは祖母の代わりに、過去と向き合い、その重みを受け入れた。それにより、あなたも彼女も解放されたの。」

杏奈はその言葉を噛みしめながら、再び本を見つめた。過去に囚われていた祖母の感情、その犠牲となった約束が今、彼女自身の中で受け継がれたことを感じていた。だが同時に、それが終わったことで、新しい未来が開かれるのだとも思えた。

「ありがとう。」杏奈は少女に向けて心からの感謝を伝えた。「でも、あなたは誰だったの?」

少女は一瞬だけ寂しそうな表情を見せたが、すぐに柔らかな笑顔を浮かべた。「私は、あなたの祖母の心の中にあったもう一つの存在。彼女の若かりし頃の思い出、そして約束を守るために生まれた存在よ。」

「そうだったんだ…」杏奈は、その言葉を聞いて納得した。少女は祖母の一部であり、祖母の記憶を守るためにこの庭に存在し続けていたのだ。

「さあ、戻りなさい。祖母のもとへ。」少女は最後にそう言って、杏奈を優しく見つめた。「そして、彼女に伝えて。すべてが解放されたことを。」

杏奈は深く頷き、少女に別れを告げた。そして、本を大切に抱えながら庭を後にした。背後で少女の姿が徐々に薄れていくのを感じつつ、彼女は決して振り返らなかった。


---

祖母の家に戻った杏奈は、そっと祖母の寝室のドアを開けた。祖母は静かに目を閉じて横になっていたが、杏奈が入るとゆっくりと目を開けた。

「杏奈…」祖母は弱々しい声で杏奈の顔を見つめた。

杏奈は祖母の手を優しく握り、静かに語りかけた。「おばあちゃん、私は庭で過去を見つけたよ。そして…あなたの秘密も。」

祖母は一瞬驚いたようだったが、すぐに微笑んだ。「そうかい…ずっと隠していたけど、やっと誰かが見つけてくれたんだね。」

「おばあちゃん、大丈夫だよ。もう、すべて解放されたの。私はあなたの気持ちを受け取った。そして、それを心の中に抱いていく。」杏奈は涙を浮かべながら、祖母に語った。

祖母は静かに頷き、穏やかな表情で杏奈を見つめ続けた。「ありがとう、杏奈…。これで、私も安心して行けるわ。」

その言葉を聞いた杏奈は、胸が締め付けられるような感情を感じたが、同時に安堵の気持ちが広がっていった。祖母はついに過去と決別し、自由になることができたのだ。

そして、その夜、杏奈は祖母と過ごす最後の時間を穏やかに迎えた。祖母は微笑みながら、静かにこの世を去ったが、杏奈は確かに感じた。祖母の魂は、今や過去の重みから解放され、自由になったのだと。


第10章: 新たな未来

数日後、杏奈は祖母の葬儀を終え、再び祖母の庭に立っていた。庭は相変わらず荒れ果てていたが、杏奈はもうその光景に悲しみを感じることはなかった。むしろ、これからの未来に向けて新しい一歩を踏み出すための場所として、彼女はこの庭を見つめていた。

「おばあちゃん、あなたが大切にしていたこの庭、私が手入れするからね。」杏奈は心の中でそう誓い、新しい決意を胸に庭を歩き出した。

やがて、杏奈は祖母のように、庭を美しく蘇らせることを決意した。そしてその過程で、祖母の思い出や過去をただ受け継ぐだけでなく、自分自身の人生をも築いていくのだと感じていた。

これからも、杏奈は祖母の遺したものを大切に守りながら、自分の未来を切り開いていく。庭にはまだたくさんの時間と愛が必要だが、彼女はそのすべてを惜しまず注ぎ込むだろう。

こうして、杏奈の新たな物語が始まる。過去を受け入れ、未来へと歩み出す彼女の旅は、これからも続いていく。

終わり


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