【お江戸暗夜忌憚】 春夏秋冬

川上とどむ

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春宴 其の九

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 その声に応えるように、藤野の首を刎ねそこねた男が、斬りつける。繰り出される攻撃を脇差しで受け止め、時に身を捩って交わしつつ反撃する藤野であったが、その剣捌きに戸惑いはなく、逆に一撃二撃と男の体を斬りつけている。
 押される男を女忍が加勢し、藤野へ振り下ろされる刃が増える。それでも藤野は躊躇すること無く、交互に仕掛けてくる敵に確実に傷を負わせる。
 己に刃が迫っても相手への攻撃を緩めず、紙一重で身を交わす藤野は、敵を傷つけるのと同様に、己の体が傷を負う事にも頓着しないというように見えた。
 その様子を見ていられず、紅は彼女を助けに行こうとするも、先程蹴り倒した男が憤怒の形相で、爪を振り回し阻んだ。
「ええい、番士らはまだ来ないのか」
「申し訳ございません。もう間もなくかと思われますので、今しばし、ご辛抱を……」
 紅の腹立たしげな声に、豊成が詫びる。豊成も忍二人を相手に戦っており、再度笛を鳴らすことは無理そうであった。紅とてそれは解っているのだが、背後で斬りあっている藤野が気掛かりで、胸がざわついて仕方が無かった。
「ぎぃやぁ~」
 野太い叫びが響いた。藤野の攻撃を避け損ねた男が、腹を押さえてその場にどっと倒れる。それにも一切気を取られる事なく、藤野は女忍を追い詰めてゆく。
 死期を悟ったのか血の抜けた真っ青な顔をした女は、それでも藤野への攻撃を止めない。
「亡者は地獄に帰りなさい」
 嘲りとも憎しみとも取れる声音で呟いた女は、両手で短剣を掴むと、藤野に体当たりしていった。
 最早己が斬られることを避ける気はなかった。斬られても、目の前の敵に体をぶつける、僅かばかりでも傷をつければ、それで目標は達成するのだ。
 女の持つ短剣には、忍ならではの仕掛けが施されていた。柄に小さな突起がついており、それを押せばその中に仕込んである毒が刃に流れる仕組みになっている。
 そして今、女はその突起を押していた。

※ ※ ※

 体当たりしてくる女を、刀夜は見ていた。
 女が右脇でしっかりと刀を構える際、左手で柄の先端部分を押すような動作をするのを見逃しはしなかった。
『毒か……』心の中で呟く。
 切られたり突かれたぐらいでは、人は死なない。
 大抵、人の体というものは、しぶとく生き延びようと足掻く。
 意思が死を受け入れて尚、心の臓はとくりとくりと、最後まで動き続けようとするのだ。
 これまでの経験から、刀夜はそれを知っていた。
 まぁ、切られ所が悪く血の道を破ってしまえば、あっけなく死んでしまう事もありはするのだが。
 この体を確実に壊すには、毒も良いだろう、と思う。
 常にこの体の主を気に掛けて目を光らせている従者でも、毒に抗う事は出来るまい。
『あれの落胆する顔を見るには良い手立てやもしれん』
 従者一人を困らせるためだけに、この体を滅ぼしても良いと彼は思っている。
 己の生を軽んじているわけではない。
 己以外の誰かが、この生が続く事を願っている。
  それだけが彼をこの世にあって良いと肯定するものであったから。
  それを確かめるために、この身を危険に晒すことも厭わないのである。
「藤也っ」
「藤野!」
 己の名ではないが、彼を呼ぶ声に、一瞬の物思いを破られた。
 途端に何かが体にぶつかる衝撃を受けたが、女の両腕を左脇に挟み、その背中を刀の柄で思いきり殴りつけ昏倒させていた。
『意識はなくとも、生きる事を望むか……』
 嘲笑を浮かべた刀夜であったが『まだ、あれを喰らってないしな』と、今はその時ではないと意識を手放したのであった。

※ ※ ※

 ぐらりと藤野の体が傾ぐ。
「大丈夫か? 藤也」
 気を失った女忍に押し倒されるように尻餅をついた彼女に、駆け寄った父がそう声を掛けるのをみて、紅は小さな溜め息ついた。
 やはり彼女は現実の存在ではない……、もちろん桜の精であるはずもないのだと。
 とにかく、残る敵は紅と豊成に相対する三人となっていたから、番士が到着するまでの僅かな時を持ち応えるのは、容易いことであった。
 そうして、しばしの剣戟の後、駆け付けた番士らに、敵は制圧されたのであった。
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