真夜中の片隅で、ずっと君の声を探していた

風久 晶

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花ひらく星月夜

28.花ひらく星月夜②

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 優が、白い洋館のような家をのドアをガチャリと開けた時だった。
「いらっしゃい」
 瞬間に、中から声がして、優はピタリと止まった。
「もう、待ってんなよ」
「いいじゃない」
 二度目に見る、優のお母さんだった。
 今日は膝下までのベージュのニットワンピースを着ていて、前に見たのと同じピンクのスリッパを履いている。
 明るい色の髪は、毛先が丁寧にカールされていて、はっきりした顔立ちに、優と同じ茶色い色の瞳だけど、落ち着いた雰囲気がする。
「あの……お邪魔します」
「はい。どうぞ」
 スリッパを出されて、俺は恐縮して、両手でぎゅっと鞄を握り直した。
 紺のなめらかな手触りのコートを羽織っている優の横で、安い黒いコートを着て立ち尽くしている俺は、どう見てもこの場にそぐわなかった。
「仁木くん、皆でケーキ食べましょうよ。パウンドケーキだけど、焼いたのよ」
「その、俺の友だちにケーキ食わそうとするの、止めてくんねぇかな?」
 優が靴を脱ぎながら続けて言い返していて、俺はふっと首を傾げた。
 あれ――?
 俺が来るのを知っていた?
「俺の部屋で、先に問題集を渡すから。母さんは、後な!葉司、ほら行こ」
「あの、すみません」
 優に腕をぐいぐい引っ張られながら、俺は少し頭を下げた。
 にこりと笑って、軽く手を振る姿は、しばらく残像のように俺の脳裡に残っていた。


「あーもう。あ、問題集どれにする?」
 俺は部屋の片隅に、コートと鞄を置いて、優が白いローテーブルの上に並べてくれた問題集を手に取った。
 優の勉強机の周りにはぎっしり参考書や辞典などが並んでいる。
 その合間に医学書も挟まっていて、やはりそういう方面を考えているんだろうなと思う。
 俺は一体何かなりたいものがあるんだろうか――
 ずっと生きていくことに精一杯で、未来の展望なんか考える余裕もなかった。
 俺には、なれるものがあるんだろうか――
 その可能性もわからない。
 そんなことを考えるようになったのは、きっと優と出会って、未来という希望を少しずつ持つようになったからかもしれない。
 何かを望んだって、叶える力が俺にあるのかもわからない。
「葉司?」
「あ……これと、これを借りてもいい?」
「そのあたりは全部持って帰っていいよ。俺はもうしたから」
「そっか……ありがとう」
 物思いから意識は浮上して、前を見ると、ロイヤルブルーのベッドが目に入った。
 ここで、優といろんなことをした記憶が、一気にぐるぐると回り出して、止まらなくなった。
 ぶわっと頭は熱くなって、咽喉が渇いていく。
 あの時の何度も聴いた優の吐息とか、この手で触れてみた優の肌の感触とか、それから優に撫でられた箇所とか――
 目眩に落ちていって、自分を押し留めるのに、冷たい掌で火照っていくような首筋を押さえた。
 優は俺の横に座って、指を伸ばして俺の頬に触れようとしたから、思わずビクッと後退った。
 優の体が近付いてくるだけで、何かパチリと弾けるようで、記憶が溢れてこぼれていくのが止められない。
「葉司、俺のこと避けてる――?」
 俺は慌てて首を横に何度も振った。
「え、じゃあ、何で?俺、何か失敗した?」
「違う――ごめん、俺が……ちょっと変で……」
 声は掠れて、咽喉にからんでしまう。
「だって、すればするほど、葉司は距離取るし。俺ちょっと焦っちゃって、テスト前に何回もしちゃったし――それ、逆に下手うったのかなって」
「ち、違う……ごめん」
「テストになって、しなくなったら安心した顔してたよ――?俺、がっつき過ぎてた?何か葉司がいやなことしてた?」
「あ……そうじゃなくて……本当に、俺が……」
「葉司が、何?」 
 じっと正面から瞳を見据えられて、俺は視線を泳がせた。
「俺の体が……おかしくて……」
 どう説明して良いのかわからず、俺は舌で唇を湿した。
「優といるとその、したこと思い出してしまって……だから、学校とか外とか、まずいから……」
 優はビックリしたみたいに、目を見開いて俺を見た。
「え?そういうこと?」
 それから睫毛を伏せると、一気に表情が変わって、あやしい微笑で肩を寄せてきた。
「へえー、どんな時に思い出してた?」
 優の指先が、くすぐるように俺の耳から頬、唇へとすべっていって、甘く電流が走っていくようで、俺は思わずぎゅっと目を閉じた。
「その……優の指とか、唇とか……見てると……その、優に触られたらほんとにダメで――俺、ほんとにヘンで……」
「ん?どうなんの?」
「なんか……反応してしまいそうな……ごめん」
 優が触れていくところから、もう覚えてしまった感覚が、甘く広がっていくようで、体が震えた。
「あーもう。葉司のことすんげぇいじめたいけど、可哀想だからやめとこ」
 クスクスそう言う優に、ぎゅっと胸に抱き込まれた。
「なんだ、俺のことすげぇ好きじゃん?」
「それは……ずっと、好きだよ……」
 何度呟いても、留めることのできない、泣きたくなるような想い。
「俺も、葉司が大好き。そういうのってさ、する前はなかった?」
「あ……だって、優とそんなことになるなんて思いもしなかったし……ただ憧れて……遠い光を見てるみたいな……考えることもできなくて」
「そっか――」
「それに、俺はそういうことが出来るって……優がしてくれて、知ったから……」
「あ、そっか。もう最近、葉司が感じてて当たり前になっちゃってたな」
「か……」
 俺は面喰って、何と応えて良いのか言葉を失った。
「それはさ、あれだ」
「?」
「葉司が十七歳のオトコノコらしくなったってことじゃない?」
 優の温かな掌が、ゆっくりと背中を何度もさすっていって、俺はふわりとした心地良さの中に息を継いだ。
「閉じ込められてきたところが出て来たっていうか。だって、十七歳男子なんてそんなもんじゃない?だって俺、付き合う前から、葉司のこと見てたら色々思ってたよ。葉司が弁当もぐもぐして、ピンクの唇が濡れてたらエロいなーって思って見てたし。この白い首筋に触りたいって思って見てたし。はっきりいってどんな裸かくらい想像するよね?」
「……」
 するよね?と訊かれて、俺は何も答えられずに動揺した。
「もっとぶっちゃけると、葉司がどんなのか想像しながら一人でしてたし。だから言ったじゃん?思ってたより可愛いって。今が葉司の平常運転なんじゃない?俺たちにセイヨクがないなんてウソだよ。よほど事情がない限りは誰もが持ってるもんだよ。だって、こうして」
 優は、俺の指に指をからめてぎゅっと握りしめた。
「手をつなぐだけで、ちょっと勃ちそうになるし。だって思春期のお年頃なんだもん。だから、葉司のヘンなんじゃなくて、たぶんそれが葉司のセイヨクのホント。俺は嬉しいけど?大好きな葉司が、俺にすげぇ反応してたんだーって。そんなことで俺のこと避けてた?」
「そんなこと……って」
 目を白黒させてそう言う俺に、優は唇を指先で引っ張りながら、少し考えて答えた。
「うん。そんなこと、だよ。あー、でも、葉司の場合は、今までのぶん一気にワッと来たかもね?それはビックリしたね」
 優の掌が、あやすように俺の頭を撫でて、俺は頬が熱くなって、うつむいた。
「葉司、今どんな顔してるかわかってる?」
「え……」
「やばい」
 優が俺の頬を両手で包んで、柔らかなくちづけが降りてきた。
 かすめるように唇が触れた時だった。
「優ー!いつ下りて来るのー!」
 優はピタリと止まって、俺の肩にがくりと顔をうずめた。
「あーもうっ!忘れてたっ!今行くー!」
 振り返ってドアの方に優が叫んで、それから俺の肩をガシッとつかんだ。
「ちょっと謝っておかないといけなくて」
「な、何……?」
 そうだ、この話もあるんだった。
「まあ俺が、最近よく部屋に誰か呼んでるのは、母さんにバレてたみたいで」
「え……」
 俺はちょっと目眩を覚えた。
「そんで誰かってしつこいから葉司だって言っちゃって。俺の仲良い友だちにはご飯やら菓子やら食べさす趣味みたいなもんがあって――それで、また葉司を呼べ呼べって――だから、今日、ああやって用意して待ち構えてたわけ」
「そうなんだ、それで……」
 俺の来るのを知っていて、ああやって用意していて。
「でも、何だか申し訳ないっていうか……俺は」
 たぶん優という息子が大切で、その友だちにしようとしているのに。
 俺は、その優の、友だちではなくて、思いもよらない男の恋人。
 この部屋でしていたこととか、一気に後ろめたくなって、俺は唇を引き結んだ。
「気まずい?いやなら、もう葉司は帰るって断るし」
「そんな。せっかく用意してくれてたのに」
 ケーキを、かつて俺の母親も焼いていた時があった。
 どんなものであれ、その手間を思うと、断ることも申し訳なかった。
「あのさ、それで――葉司のこと、つい自慢したくなっちゃって」
 歯切れ悪そうに、気まずいような表情で優が言うのへ、俺に自慢できるようなところがあったか首を傾げた。
「葉司が料理とかさ、弁当とかすげぇ出来るんだよって話して――今はお母さんがいなくても頑張ってるんだって、言ってしまって」
「……」
 ふっと前に会った時に、優のお母さんには、良い子だと思ってもらいたいような、普通の家の子だと思ってもらいたいような、そんな感情でいたことを思い出した。
「もうそれ以上は話してないから!自分で言うならともかく、勝手に言われたら嫌だよな?ごめん」
 時折、その優の繊細な感性に、驚きを覚える。
 柔らかで瑞々しい感性は、きっとこの家庭で育まれて来たからに違いなかった。
「うん。大丈夫、本当のことだし」
 俺はぽつりと呟いて、かすかに微笑んだ。
 どんなに取り繕ったって、俺の身なりとか、仕種とか、そんなものに結局は滲んでしまうから。
 片手落ちのこの育ちを、隠せるにもきっと限度はあって。
「下に、行こっか」
 俺は小さく言った。
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