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プロローグ
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薄く白色に濁った空が徐々に瑠璃色に染っていく。コンクリートに打ち寄せる波は静かな朝に相応しく時の悠久さを示す。
まだ人のいない山下公園。氷川丸を右斜め前に見るように女性がベンチに座っていた。夏にならない季節には寒いであろう薄着であった。彼女は健康的でない痩せ方をしていた。虚ろな目は絶えず何かを追っていた。傍から見ると彼女は気味が悪く思われただろう。それほどに彼女は虚ろに充ちていた。
「お久しぶりです、勝手に出歩いて良いんですか」
一人の青年が彼女の横に並んで座りながら話しかける。青年は全身を黒と濃紺で統一されていて影のように静かで澄んでいた。
「こんな時間に呼び出したのは君なんだけど。普通に面会時間に来ればいいじゃない」
「そうできたら最初から早起きなんてしてこんな所で密会しないですよ。ついさっき、寝たばかりだったんですけどね」
青年は眠たそうに目をこすりながら欠伸をする。目の下にはクマができていた。
「それで呼び出した理由は何かしら。変な理由だったら承知しないわよ」
女性は目を閉じて髪をかきあげながら青年に問う。
「お仕事です」
青年は微笑みながら女性に告げる。
「見ての通り仕事が出来る身体じゃないの。悪いけど断っておいてくれる? それにもう、二度としないわよ」
女性はおどけたように肩をすくめながら言う。
青年は椅子から立ち上がると軽くズボンを叩いてから彼女に向き直る。
「知っています。だから、この仕事は僕が受けようかと思って、名前を借りる許可をもらいに来ました。構いませんか?」
女性も立ち上がると「勝手にすれば」とだけ言って青年を一瞥して公園の入口の方へと歩いて行く。彼女の後ろ姿を見ながら青年は「彼、気づいてるかも知れませんよ」と軽口を叩くように言葉を投げた。彼女はその歩みを少しだけ止めてまた歩きだす。背中には殺気に似た怒気が滲んでいた。
青年は彼女が見えなくなるまでそちらを向いて爽やかな笑顔を崩さずにヒラヒラと手を振っていた。そうして彼女が見えなくなると彼の腰ほどの高さの鉄柵に身体をあずけて空を見上げる。鷗が空を飛んでいく。鷗は自由だ。人間がその個人で到達し得るよりも遥かに広く多彩な世界を生きる。
青年は「辛いなぁ」と独りごちてまだ静かな横浜の街にその身を溶かしていった。
街にはいつも通りの朝が訪れていた。
まだ人のいない山下公園。氷川丸を右斜め前に見るように女性がベンチに座っていた。夏にならない季節には寒いであろう薄着であった。彼女は健康的でない痩せ方をしていた。虚ろな目は絶えず何かを追っていた。傍から見ると彼女は気味が悪く思われただろう。それほどに彼女は虚ろに充ちていた。
「お久しぶりです、勝手に出歩いて良いんですか」
一人の青年が彼女の横に並んで座りながら話しかける。青年は全身を黒と濃紺で統一されていて影のように静かで澄んでいた。
「こんな時間に呼び出したのは君なんだけど。普通に面会時間に来ればいいじゃない」
「そうできたら最初から早起きなんてしてこんな所で密会しないですよ。ついさっき、寝たばかりだったんですけどね」
青年は眠たそうに目をこすりながら欠伸をする。目の下にはクマができていた。
「それで呼び出した理由は何かしら。変な理由だったら承知しないわよ」
女性は目を閉じて髪をかきあげながら青年に問う。
「お仕事です」
青年は微笑みながら女性に告げる。
「見ての通り仕事が出来る身体じゃないの。悪いけど断っておいてくれる? それにもう、二度としないわよ」
女性はおどけたように肩をすくめながら言う。
青年は椅子から立ち上がると軽くズボンを叩いてから彼女に向き直る。
「知っています。だから、この仕事は僕が受けようかと思って、名前を借りる許可をもらいに来ました。構いませんか?」
女性も立ち上がると「勝手にすれば」とだけ言って青年を一瞥して公園の入口の方へと歩いて行く。彼女の後ろ姿を見ながら青年は「彼、気づいてるかも知れませんよ」と軽口を叩くように言葉を投げた。彼女はその歩みを少しだけ止めてまた歩きだす。背中には殺気に似た怒気が滲んでいた。
青年は彼女が見えなくなるまでそちらを向いて爽やかな笑顔を崩さずにヒラヒラと手を振っていた。そうして彼女が見えなくなると彼の腰ほどの高さの鉄柵に身体をあずけて空を見上げる。鷗が空を飛んでいく。鷗は自由だ。人間がその個人で到達し得るよりも遥かに広く多彩な世界を生きる。
青年は「辛いなぁ」と独りごちてまだ静かな横浜の街にその身を溶かしていった。
街にはいつも通りの朝が訪れていた。
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