吐く息は白く

永本雅

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吐く息は白く

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「君はさ、私のことどう思ってるの?」
  屶網真綾がそう呟いたのは初夏のこと、木々が青く茂り始めた頃だった。
  病院のベッドに横たわる彼女は至って真面目にそう問うた。彼女の横に座った北川真人は窓の外を飛ぶ鳥に目をやりながら一言「さぁ」とだけ答える。屶網は不満そうな顔を北川の方へ向けて再度問う。
「幼馴染とか、学校の先輩だとか、そういう意味ではどう思ってるの?」
  北川は彼女の方を向かないまま「じゃあ、幼馴染とか、学校の先輩だとか」と無感情に答える。
「ねぇ、ねえってば!」
  北川は「んー」とだけ言う。
「ねぇ、聴こえてないの? マサちゃんってば!」
  北川が少し驚いたように椅子ごと彼女の方に向き直す。
「やっとこっち向いたぁ」
  屶網は悪戯な笑みを浮かべながら身体をゆっくりと起こす。華奢な身体を支える腕は細く白い。その肌には汗ひとつなかった。
「マサ、学校はどうしたの? 今日平日でしょ」 
  カレンダーを指差しながら屶網が言う。北川は「午後からだから、ここから直ぐなのわかってるでしょ」と屶網とは違う場所を見ながら答える。
  廊下をかける子供の声が響く。小さな靴のパタパタという音。
「もし、私が来年もその先もいつも通りをしていたらさ……」
  屶網はそこまで言って俯く。その目は遠くを見るように彼女の膝の上辺りを見ていた。例えばここが夕立に煙るカフェや白銀に時の止まった教室だったらそれは残酷な一言になっただろう。「もしも」が絡み合い、容易に発言の未来を想像でき、けれども全てが「もしも」にしかならないこともある。自分という味方か適用かもわからない存在に全てを委ね影を見るしかなくなる。
「なら、そうすればいいでしょ。来年も十年後も、おじいさんとおばあさんにればいいでしょ」
  北川は珍しく感情的だった。夏の翳りが屶網の内奥にあるようだった。それがたまらなく恐ろしくなったのだ。季節の移ろいに屶網が拐かされてしまう気がしたのだ。
  数ヶ月前屶網が倒れた時、北川は道を失ったように思えた。道を照らす灯りはあった、前に進むための道も後ろに戻る道もなかった。ただ蹲り薄灯りの空虚な温かみに思いを向けていた。
  北川は鞄から財布を取り出して席を立つ。
「どこ行くの?」
  屶網は北川を見ながら問う。
「喉乾いたから何か買ってくる。適当なの買ってこようか」
  財布を片手で持って屶網に見せながら北川は病室の入口で振り向く。
「いや、私はいいよ。ここの自販機好きなのなかったから」
  屶網は軽く手を振って戯けるような素振りを見せる。北川は「わかった」と言うと小走りに病室を出ていった。
  ドサリと糸の切れた傀儡のように屶網はベッドに倒れ込む。
「きついなぁ、おじいさんもおばあさんも……。お姉さんにすらなれないかもしれないのに」
  屶網は苦しそうな微笑を浮かべた。

  鈍色の雲が空を占める。北川はコートの肩についたら雪を払いながら病院のエントランスを奥まで進み受付で面会者カードに記入する。
  病室の前でコートを脱いで腕にかける。病室の名札に彼女の名前が書かれているのを確認してからドアをスライドさせる。
「マサちゃん、いらっしゃい。雪降ってたから無理しなくていいよって言ったのに」
  彼女は窓の外を見ながら言う。
「そうもいかないからきてるんでしょ。クリスマスに病院で一人なんて悲しいでしょ」
  北川は丸椅子に座りながら呟く。
「北川さん、調子はどうですか」
  老齢の看護士がのんびりと入ってくる。
「あら、旦那さんいらしてたのね。お邪魔だったかしら?」
  窓の外の雪は静かに世界を変えていく。曇った窓ガラスには小さなクリスマスツリーが煌々と佇んでいた。
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