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第1章 猛獣たちの目覚め
♯10 残業終わりの夜風とピンクの罠 1-2
しおりを挟む憂衣が指差した先。眩いスポットライトを浴びた特設ステージでは、一組の男女が人目も憚らず、熱烈な深いキスを交わしていた。
(ひ、ひゃあああ!? どうしよう、生……生で男女の絡みを拝めるなんて…! )
反射的に手で目を覆う憂衣。動揺しつつも、憂衣は指の隙間から「資料、資料……」と念じながら、その光景をこっそり凝視する。
維斗「………………」
『……本日開催、『真夏のドキドキ選手権』! エントリーNo.10、見事なディープキスです! ……ですが、数値を見てください! 全然伸びてなーい!!』
司会者の叫びと共に、巨大なモニターに映し出された数値は、激しい絡みとは裏腹に、驚くほど平坦なグラフを描いていた。
維斗「……あかん、これ、関わったら最後やぞ。神崎、来た道戻るぞ」
梶が不快そうに眉を寄せ、憂衣の背中を押して人混みを抜けようとした、その時だった。
『エントリーNo.12、川村さんカップルですよね!? 何してたんですか、もうすぐ出番ですよ!』
ピンクのハッピにドミノマスクという怪しげな見た目のスタッフが、逃げようとする二人を猛烈な勢いで捕まえた。
維斗「……は? 人違いや。」
『またまたぁー! 照れちゃって! 「仕事帰りに来るから、二人ともスーツです」ってウェブ申し込みに書いてたじゃないですか!しかもさっき広場に来た時腕組んでたじゃないですか?』
憂衣「あ、あのっ、本当に人違いで、私は神崎で、こっちは梶さんで……っ」
憂衣がパニックになりながら否定しても、周囲の喧騒とスタッフのハイテンションにかき消されてしまう。
『はいはい、分かってますよー! 緊張しすぎて名前まで忘れちゃいました?(笑) さあ、優勝賞金の十万円、目前ですよ!それに今回は特注の等身大ゴールデンレトリバーのぬいぐるみもつくんですから!』
その瞬間、憂衣の心臓が跳ね上がった。
ステージの端に鎮座する、毛並みまでリアルに再現された大きな犬のぬいぐるみ。
憂衣「は、はわわ……っ!? あの、垂れた耳の感じ……昔、おじいちゃん家にいた『れんまる』にそっくり……っ!!」
維斗「…は?『れんまる』?」
子供の頃、寂しい時にいつも寄り添ってくれた黄金色の親友。今は亡き「れんまる」に生き写しのその存在を前に、憂衣の瞳がみるみるうちに潤んでいく。
維斗「……おい、神崎?」
梶の困惑した声は、もう憂衣の耳には届かない。彼女の視線は、ステージ上の「れんまる」に釘付けだった。
梶は、鼻先を赤くして犬のぬいぐるみを見つめる憂衣の横顔をじっと見つめた。
いつも元気な騒がしい部下が、ただのぬいぐるみ一つで、今にも泣き出しそうなほど切ない顔をしている。
維斗「………………神崎、アレ欲しいんか?」
憂衣「……! はい! ……あ、いえ」
憂衣はハッと正気に戻り、慌てて首を振る。けれど、その指先はまだ梶のシャツの袖をぎゅっと握りしめていた。
維斗「………………」
梶は数秒の沈黙の後、チッと小さく舌打ちをした。
そして、自分たちの進路を塞いでいるスタッフを、色素の薄い瞳で鋭く射抜く。
維斗「……しゃあない。……もう川村でもなんでもええわ。……さっさと案内せえ」
憂衣「へっ!? 梶さん……っ!?」
こうして、亡き愛犬への想いに火がついた憂衣と、彼女の潤んだ瞳に毒気を抜かれた梶の、偽装カップル「選手権」への挑戦が確定してしまった。
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