相馬さんは今日も竹刀を振る 

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パスポート

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「お前、パスポートは持っているか?」

翌る日、雲一つなく晴れ上がった空を見上げながらガーデンベンチでだらけていると、何やらデジカメ片手に庭中を歩き回っていた祖父に捕まった。

今日は夕方から、インターハイコンビが稽古にくる日。
僕の授業が午前中に終わったので、帰宅後、時間まで積極的にダラケようと、ポカリ片手に

「空が高いなぁ。」
「くぅ」

などと穴熊くんと遊んでいたところだった。

瑞穂くんはお隣さんと、冷凍ミックスベジタブルを使って炊き込みピラフをお昼に作ったそうだ。
冷凍ミックスベジタブルの人参とかコーンとかグリーンピースとか、それはそれで甘くて美味しいもんね。

僕は学食で石川達と一緒に、B定食を食べた。今日はカツカレー。
みんな同じ形と大きさをしていたから、カツも冷凍成形食品だろう。
我が国の冷食凄い。
今日の話題は、普通免許について。


「凄いな、あれだけの時間割を取っておいて、2人ともそこまで教程が進んでいるんだ。」
「私も阿部も、時間が限られているから、逆に言えば短期集中しないとならないんですよ。」
「相馬なんか全然進んで無いんだろ。」
「同居人を預かっているからね。なかなか自分の時間が取れないんだよ。」
「あら、瑞穂さんは待つ女だと思うけど。」
「甘えると後が怖いんだよ。」
「あんな優しそうな人なのに?」

まぁ、いつものように僕が一同のおもちゃになってた訳だけど。
それでもインターハイコンビは免許取得が順調に進んでいるし、石川は医学生として順調に知識を積み上げている事を思い知らされる訳だ。

日がな一日、穴熊やオカメインコと遊んでいる「師匠」とは、訳が違う。



「ウチは父も母も海外旅行は行った事ないんじゃないかなぁ。」

と、祖父に半疑問形で答えた。
大体、両親の旅行歴なら、物理的に子供より親の方が、時間知識が太かろうに。

実家のアルバムに収録してある新婚旅行と思しき写真は、宮崎と北海道だし。
僕も妹も記憶にある家族旅行は、主に東北地方だった。
両親とも公務員で教員で堅実な考え方で(実際の夏休みが一般サラリーマンより長いんだろうけど)、全く海外志向の無い人だ。
ついでに都心を自動車でも鉄道でも渋滞を抜ける事を面倒くさがる人達なので。

「通勤ラッシュが嫌だから公務員になった」

と、父ははっきり言ったこともあるし。

まだ中学生な妹は海外に対して憧れはあるだろうけど、大学まで来て英語とドイツ語に四苦八苦している僕としては、わざわざ他国語を話そうとは思わなくなっているのは事実なのだ。
語学留学?
だってほら、スペイン語を話す人も家族にいるし。

「そうか、だったら早く取りに行っとけ。どうせ大学の帰りに寄れるだろう。」

まぁ、パスポートセンターは駅から歩いて行けるはず。

「結局、行かないとならないのね。」
「こちらから行くと行ったのは、お前だぞ。」
「のんびり大学生活を送る予定が、どうしてこうなった?」
「野生の穴熊と遊んでいる大学生以上に、のんびりとした大学生が、この国に居るとは思えんがな。」 
「しまった。」

池に居る錦鯉やガーや、居間で瑞穂くんと遊んでいるであろうオカメインコなどなど、おおよそ野生生物がのんびりまったりしているのが我が家だった。
しかも多分、そののんびりビームの原因は僕だ。

「お前には何も言っとらんが、結構面白いことになっとるからな。楽しみにしておけ。」
「それは、厄介なことになっているとの同義語では?」
「そうとも言う。」
「否定する気ゼロかい!」

まぁ、爺ちゃん。
普通に面白がっているよなぁ。
多分、爺ちゃんの手の内で充分に対応し切れる程度の厄介事と踏んでいるんだろうけど。
こっちとしたらただの大学生なんだから、穏便に生きて行きたいのよ。


「オンライン申請しとけよ。前期試験が終わったらさっさと行くかんな。」
「僕の夏休みの予定が…。」
「スペインでドン・キホーテとサグラダファミリアを楽しみゃ良い。」
「興味無いなぁ。」

★  ★  ★

「サグラダファミリアよりナリタサンだよ。」

洗濯物を取り込みに来た瑞穂くんに、スペイン観光について聞いてみた。

身も蓋もなかった。

そういえばこの娘、日本大好き人間だったな。

「瑞穂くんはパスポートを持っているんだよね。」
「5ネンモノをトラサレた。」

この娘も何やら複雑な事情があるみたいだけど、本人が語らないので、こちらもわざわざ聞く事はしてない。

「オジイはオジイのカンガエがアルんだよ。」
「振り回されるのは僕らだよ?」
「ヒカリなら、ナントカナルジャン。」
「そりゃ、なんとかはする気だけどさぁ。」
「それより、アベとタナカがモウスグ来るよ。バンゴハンタノシミだって。」
「さっき学食でカツカレーを食ったばかりだけどなぁ。」 
「ヒカリのゴハン、オイシイもん。」

人のご飯に集るのが、年頃の女性ばかりなのは彼女達的にどうなんだろう。


★  ★  ★

「良いじゃないですか。師匠のご飯、美味しいもん。」
「ねぇ。今日は水野さんが御結婚の着付で留守だから、警察の方に行かなくても良いんだよ。」

驚いた。
晩御飯の話じゃなくね。

いや、僕はガレージ建設の手伝い(後片付け)や祖父の相手、あと穴熊くんの相手とかで、実は色々忙しかったのさ。
建材屑のうち、業者引取りや(祖父が欲しがって)こちらで引き取るものに分けたり、もう面倒くさいって言ったらありゃしない。

それでも一応、この3人娘には師匠扱いされているので、業者さんが引き上げたあと、祖父と一緒に道場を覗いてみたのさ。

「ほう、これはなんとしたものか。」

そうしたら、3人が3人、高速剣道で撃ち合いをしていたのさ。
さすがに疾さと正確さでは瑞穂くんが圧倒的に上だけど、大学生が後付けで身につける速さじゃない。

静と動。
竹刀と足捌きの切り替えの正確性。

瑞穂くん程じゃ無いにしても、仮に乱戦模様になった時にいち早く自分を取り戻せるだろう。

「ケーサツ相手ジャ、ジブンのケンがツウヨウシナイからって」

乱取りが終わったので聞いてみた返事がそれだった。
なるほど。
いくらインターハイ覇者でも、県警上位の剣士では相手にならないと。
だから違う手を考えたと。

「でも駄目。瑞穂さんみたいに体幹が安定しないの。」
阿部さんが続けて答えた。

小手先だけの対応か。
それにしても小手先レベルじゃないなぁ。

「大師匠はどう思われますか?」
「その前に、お前らの''型''はどうなんだ?」
「型?ですか?」
「おう。型。形じゃねぇぞ。そんなもんは真剣を扱う様になってから考えろ。」
「一応、私も田中も段持ちですから剣道形は身につけてはいますが、大師匠の仰る型は違う事なんですよね。」
「ウチの型は、あくまでも実戦にして実践だからな。例えば瑞穂の型は、左脚を15センチ引いた上で、右手を5センチ引いての下段の構えだ。それが瑞穂がもっとも疾く動けるからな。」

「ウン」

その体系が果たして動き出しに適しているのかどうかは別に、本人的にもっとも小慣れているのだろう。
直ぐに「いつも」の構えを取って見せた。

「気にした事もありませんよ。」
「二刀流選手でもありませんしね。」
「お前はどうだ?」
「え?僕?」

阿部さんや田中さんと同じく、僕も自分の構えなんか考えていないぞ。
そもそも僕はきちんと道場で基礎から学んだ訳でなく、祖父に一から教わっただけだし。

「そんなもんないよ。だって爺ちゃんにそんなもんないじゃん。相手の体幹に合わせてクロスさせるか、無手勝流で行くか、どちらかだよ。」
「………。」
「………。」
「………。」

あれ?
なんで3人共、黙っちゃうの?
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