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大多喜街道
天津小湊
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大多喜城を出た私達は、社長のリクエストでほんのちょっと寄り道。
大多喜城の山を北に降りた谷に、小さな史跡があるらしい。
その名も「村正の池」
正宗という刀鍛冶師が、笠森観音から誕生寺に参拝旅行に行く途中、大多喜の城下に宿を取った。
夜分、村内から聞こえてくる鍛治の音を宿の主人に「へたくそ」と申し伝えさせた。
翌朝、激怒して切り掛かりに来た鍛治師は村正といい、破門された正宗の弟子だった。
正宗に切り掛かった刀は脆くも折れ、自身の未熟を悟った村正は池に折れた刀を捨てた。
その三日月型をした池は現在では枯れているが、その痕跡は充分に確認ができる。
ええと、正宗は鎌倉時代。村正は何代かいるけど戦国時代の人。
室町時代を丸々飛び越えてるじゃん。
まぁよくある偉人伝の1つなんだろうけど、今見渡す限り誰もいない城下の谷の奥にそんな話が残っている事が面白い。
コレは私の原稿のネタになる。
社長!ありがとう!あれ。社長?
社長は大多喜町が設置した解説板に目を通し終えたら、さっさと隣の建物に歩いて行った。
慌てて追いかける私。
「社長、よくこんな場所をご存知でしたね。」
「ん?」
社長は隣の建物をなんとも言えない顔で眺めている。
ええと、JA大多喜斎場?
火葬場?
「僕の母方の祖母と曽祖母はここで焼かれたんだ。曽祖母はともかく、祖母はまだ学生だった父が、亡くなった祖母の願いで参列していた。母の許嫁としてね。」
「……。」
「隣の史跡は、父が親族しか参列していない中に1人混ぜられて、端っこにいた時に見つけたんだ。勿論、母がずっと隣にいて孤立させないようにしてたそうだけど。なので、この城とこの町は、僕ら親子には大切な町なんだよ。」
「大多喜、なんて多分。普段気にもしない田舎ですけど。そう思うと、私にも大切な町になりますね。」
「…ありがとう。」
それだけ言うと、社長は私の手を握ってくれた。
村正の池を近寄ろうとして、泥土に足を取られて大騒ぎしている編集者2人の元に、私達は戻って行った。
★ ★ ★
それから私達は、大多喜街道(現)こと、国道297号線を辿って勝浦まで走った。
大多喜から勝浦までは調べられた範囲では旧道とほぼ重なっていると思われるからだ。
ただ大多喜盆地の南の果てに、国道から少し離れた場所に「串浜陣屋跡」や「伊南房州通往還」がある事をGoogle MAP上で確認出来た為、そこら辺は追加調査が必要になる。
実際にここを歩く社長は、歩道や勾配のチェックに忙しい為、そこら辺は全部私の仕事になる。
って、私が勝手にやってるだけだけどね。
こう言った細かいアシストを社長は殊の外喜ぶし、頭を撫でてくれる。
しかも髪型が乱れない程度に軽く撫でてくれるので、
「子供扱いしないでよ(ツンデレ)」
風な反応をたまには返そうかなぁとか思いつつも、嬉しくてニヤニヤが抑えきれない。
発情して社長を押し倒した事だってある。(普通、逆だ)
あ、あと。
宿舎に行くには、上総中野とか養老渓谷から回っていく方が遥かに近くて早いのだけど。
晩春と言えどそろそろ暗くなり始める時間に、1.5車線の林道的山道を走らせるのはなんだって事で、広い道を遠回りしてます。
おかげで、勝浦から小湊までは海~トンネル~海~高架~海~トンネル~海の絶景を眺める事ができました。
(社長が大多喜で何気に運転席側に座り位置を変えていたので、助手席側の私はたっぷり景色を楽しみました。この男、何も言わずにこんな気遣いしやがる)
………
房総の外周を走る国道128号線を安房小湊駅で右折し、グニャグニャ入り乱れる駅前通りを、南さんがビクビクしながらも無事県道285号線に入って、山道を、グイグイ登って山道を…山道を…
おいおい、海見えねえぞ。
てな感じで到着しました緑水亭さん。
外見は割と普通の、ええと、先月入った栃木屋さんより立派だなぁ。
全然普通じゃありません。
やばい。
この旅と言い、普段の家族旅行と言い、私が宿代を払っていない高級宿に行きすぎて価値観が色々崩壊してる。
私はお嬢様じゃないぞう。
父と婚約者(切望)が小金持ちなだけの短大生だぞう。
勘違いするな、私。
「ここね、高い部屋ならもっと上があるんだけど、流石に良心が咎めたわぁ。」
と、南さん。
どれだけ高い部屋があるんだろう。
でもたしかに。
温泉!海の幸・山の幸満載の懐石料理!
温泉上がりのドリンク類が無料!
そしてエステマッサージ!
サイコーやんか!
………
だからさぁ、打ち合わせと反省会をするんじゃなかったの?
私と社長が編集者部屋に行ってみたら、既にお酒が入っていたよ。
いや、さすがにお姉ちゃんはまだ素面だったけど。
「先生、お待ちしてました!早速開きましょう。」
「まだ整理が終わって…
「怪談会を!」
「はい?」
宿から、簡単なおつまみ(サザエの壺焼きがあるんだけど)を調達してもらって、地酒を用意してもらったんだって。
K社の名前と、うちの社長の名前を出して。
何やってんだよ。
ウチじゃ責任取らないぞ。
「広い和室に女2人ですよ。枕投げする訳にもいかないし、男関係はお互い知ってるから猥談にもならないし。」
「社長、コレは…。」
「まぁ担当同行の取材旅行なんか、大体こうなるから。」
それは数多の出版関係者に失礼ではなかろうか?
「という事で怪談になりました。先生って実話怪談を、昔書かれていましたよね。」
何それ。
書籍化していない原稿は、まだ整理し終わって無いから、私が知らない仕事は結構あるんだ。
「と言っても、僕が本当に体験した事だけを書いたから、あれで打ち止めだよ。」
「でも、葛城姉妹は知らなそうですから。」
「あれは怖い話より、不思議な話がメインだし。本当の体験談だから、山も落ちもないぞ。」
「なるほど、ヤオイですか。」
「葛城さん、酔ってんの?」
………
原稿が未整理のアーカイブとして事務所のネット倉庫に残っていたので、私とお姉ちゃんはタブレットで読ませてもらった。
なるほど。
理解出来ないから、未整理に脳みそに仕舞っておいたものを、未整理のままアウトプットしたような話だ。
「でも、その訳のわからなさが結構好評だったのよ。ほら、先生って口も立つから怪談師としてイベントを開こうかって話が持ち上がったの。」
「その原稿を読んで、怖くなれますか?」
たしかに、世にも奇妙な、か、トワイライトゾーン向けかもしれない。
お化け話、幽霊話ではあるけど、因縁とか因習とかの背後関係がわからないと、消化不良の不思議感が脳のどこかを突くんだ。
「稲川淳二ならともかくねぇ。」
「だったら、稲川淳二の怪談でも。」
「稲川淳二ねぇ。」
………
「南房総市に先年取り壊されたホテルがある。名前をホテル望洋。稲川淳二が''恐怖の現場''って心霊ドキュメントDVDシリーズで訪れている。」
恐怖の現場は事務所の倉庫にあった。
帰ったら見よう。
「いや、アマプラで見れるから。」
「社長、それは怪談会ではありません。」
とかなんとか言いながら、結局は視聴会になった。
よくあるタクシー幽霊の話や畳や壁に浮かぶ妊婦の染みも結構怖かったけど。
1番怖かったのは、ロビーに鳴り響いた黒電話のチリンチリンという呼び出し音。
勿論、廃ホテルだから電気が来てないし、電話がなるわけない。
フェイクだとしても、タイミングも稲川淳二の反応も滅茶苦茶だ。
アシスタントの女性タレントが気がついたのに、稲川淳二が気がついていないとか当たり前にある。
これは帰ってから、腰を据えて見よう。
というか、私よりお姉ちゃんが食いついているけど。
「千葉のこの辺だと、女子高生が殺されたホテル活魚とか、鴨川の金山ダムは北野誠が行って変な音を収録してる。三島湖のそばにある奥米トンネルでは、新耳袋殴り込みってプロジェクトが取材に行って、誰かがずっと喋っている声が収録された。」
「あのぅ、先生?マジモノはよしませんか?」
いや、始めたの南さんじゃん。
1番最初に怖気付いてどうすんの?
「稲川淳二で1番怖いのは。」
「やめません?」
「お子さんが障害持ちだったので、世話する為に奥さんが出て行ってしまったけど、生活費はずっと稲川さんが払っていたとか。」
「そういう本当にキツい話は結構です。」
「おすぎとピーコを芸能界に入れたのは、稲川淳二だったとか。」
「それも別の意味で今キツいからやめましょう。」
「その現場がオールナイトニッポンで、その放送終わりに始まったのは、''生き人形''のお話…
「聞こえぇないぃ聞こえないったら聞こえなぃぃぃ。」
終いには耳を塞いで歌い出しちゃったよ南さん。
まぁ、ぎゃあとか叫ばなかっただけいいか。
「先生、生き人形について詳しく!」
お姉ちゃんは食いついているし。
★ ★ ★
生き人形の怪談は、たしかに怖かった。
また社長が絶妙なところで、自分で効果音をつけるものだから、本気で驚かされた。
なるほど。
これから怪談師でもイケるかも。
30分にわたる熱演を終え、明日のスケジュールを付け足して(わずか2分)、私と社長は部屋に戻った。
戻って早々、社長はねっ転がって、何やら本を読みだしている。
私と同室なんだから相手にして欲しいとこだけど、仕事モードなので我儘は言わない。
今回みたいな取材旅行以外のお出かけでは、きちんとずっと相手にしてくれるので、そこら辺は2人の、社長と秘書のけじめだ。
社長が読んでいるのは、北村薫著「秋の花」。
例の矢切や市川で話題になった文学散歩が描かれた一編だ。
物語自体はシリーズには珍しく人死にがあるんだけど、社長は付箋を付けた部分だけを何度も読み返しては、タブレットの地図と見比べている。
この人は基本的に心底真面目な人だと、そんな姿を見て、つくづく思う。
そして、私という人間が、この人にしてあげられる事はなんだと、人生経験値の少ない頭で考えさせられるのだ。
今頃泥酔状態になっているであろう、翡翠の間の大人2人に見せてあげたい。
…って言うか、宿の栞を見ると1部屋5名泊まれる部屋に、私と社長を別部屋にしたのは、後ろめたいところもあったのかな?
大多喜城の山を北に降りた谷に、小さな史跡があるらしい。
その名も「村正の池」
正宗という刀鍛冶師が、笠森観音から誕生寺に参拝旅行に行く途中、大多喜の城下に宿を取った。
夜分、村内から聞こえてくる鍛治の音を宿の主人に「へたくそ」と申し伝えさせた。
翌朝、激怒して切り掛かりに来た鍛治師は村正といい、破門された正宗の弟子だった。
正宗に切り掛かった刀は脆くも折れ、自身の未熟を悟った村正は池に折れた刀を捨てた。
その三日月型をした池は現在では枯れているが、その痕跡は充分に確認ができる。
ええと、正宗は鎌倉時代。村正は何代かいるけど戦国時代の人。
室町時代を丸々飛び越えてるじゃん。
まぁよくある偉人伝の1つなんだろうけど、今見渡す限り誰もいない城下の谷の奥にそんな話が残っている事が面白い。
コレは私の原稿のネタになる。
社長!ありがとう!あれ。社長?
社長は大多喜町が設置した解説板に目を通し終えたら、さっさと隣の建物に歩いて行った。
慌てて追いかける私。
「社長、よくこんな場所をご存知でしたね。」
「ん?」
社長は隣の建物をなんとも言えない顔で眺めている。
ええと、JA大多喜斎場?
火葬場?
「僕の母方の祖母と曽祖母はここで焼かれたんだ。曽祖母はともかく、祖母はまだ学生だった父が、亡くなった祖母の願いで参列していた。母の許嫁としてね。」
「……。」
「隣の史跡は、父が親族しか参列していない中に1人混ぜられて、端っこにいた時に見つけたんだ。勿論、母がずっと隣にいて孤立させないようにしてたそうだけど。なので、この城とこの町は、僕ら親子には大切な町なんだよ。」
「大多喜、なんて多分。普段気にもしない田舎ですけど。そう思うと、私にも大切な町になりますね。」
「…ありがとう。」
それだけ言うと、社長は私の手を握ってくれた。
村正の池を近寄ろうとして、泥土に足を取られて大騒ぎしている編集者2人の元に、私達は戻って行った。
★ ★ ★
それから私達は、大多喜街道(現)こと、国道297号線を辿って勝浦まで走った。
大多喜から勝浦までは調べられた範囲では旧道とほぼ重なっていると思われるからだ。
ただ大多喜盆地の南の果てに、国道から少し離れた場所に「串浜陣屋跡」や「伊南房州通往還」がある事をGoogle MAP上で確認出来た為、そこら辺は追加調査が必要になる。
実際にここを歩く社長は、歩道や勾配のチェックに忙しい為、そこら辺は全部私の仕事になる。
って、私が勝手にやってるだけだけどね。
こう言った細かいアシストを社長は殊の外喜ぶし、頭を撫でてくれる。
しかも髪型が乱れない程度に軽く撫でてくれるので、
「子供扱いしないでよ(ツンデレ)」
風な反応をたまには返そうかなぁとか思いつつも、嬉しくてニヤニヤが抑えきれない。
発情して社長を押し倒した事だってある。(普通、逆だ)
あ、あと。
宿舎に行くには、上総中野とか養老渓谷から回っていく方が遥かに近くて早いのだけど。
晩春と言えどそろそろ暗くなり始める時間に、1.5車線の林道的山道を走らせるのはなんだって事で、広い道を遠回りしてます。
おかげで、勝浦から小湊までは海~トンネル~海~高架~海~トンネル~海の絶景を眺める事ができました。
(社長が大多喜で何気に運転席側に座り位置を変えていたので、助手席側の私はたっぷり景色を楽しみました。この男、何も言わずにこんな気遣いしやがる)
………
房総の外周を走る国道128号線を安房小湊駅で右折し、グニャグニャ入り乱れる駅前通りを、南さんがビクビクしながらも無事県道285号線に入って、山道を、グイグイ登って山道を…山道を…
おいおい、海見えねえぞ。
てな感じで到着しました緑水亭さん。
外見は割と普通の、ええと、先月入った栃木屋さんより立派だなぁ。
全然普通じゃありません。
やばい。
この旅と言い、普段の家族旅行と言い、私が宿代を払っていない高級宿に行きすぎて価値観が色々崩壊してる。
私はお嬢様じゃないぞう。
父と婚約者(切望)が小金持ちなだけの短大生だぞう。
勘違いするな、私。
「ここね、高い部屋ならもっと上があるんだけど、流石に良心が咎めたわぁ。」
と、南さん。
どれだけ高い部屋があるんだろう。
でもたしかに。
温泉!海の幸・山の幸満載の懐石料理!
温泉上がりのドリンク類が無料!
そしてエステマッサージ!
サイコーやんか!
………
だからさぁ、打ち合わせと反省会をするんじゃなかったの?
私と社長が編集者部屋に行ってみたら、既にお酒が入っていたよ。
いや、さすがにお姉ちゃんはまだ素面だったけど。
「先生、お待ちしてました!早速開きましょう。」
「まだ整理が終わって…
「怪談会を!」
「はい?」
宿から、簡単なおつまみ(サザエの壺焼きがあるんだけど)を調達してもらって、地酒を用意してもらったんだって。
K社の名前と、うちの社長の名前を出して。
何やってんだよ。
ウチじゃ責任取らないぞ。
「広い和室に女2人ですよ。枕投げする訳にもいかないし、男関係はお互い知ってるから猥談にもならないし。」
「社長、コレは…。」
「まぁ担当同行の取材旅行なんか、大体こうなるから。」
それは数多の出版関係者に失礼ではなかろうか?
「という事で怪談になりました。先生って実話怪談を、昔書かれていましたよね。」
何それ。
書籍化していない原稿は、まだ整理し終わって無いから、私が知らない仕事は結構あるんだ。
「と言っても、僕が本当に体験した事だけを書いたから、あれで打ち止めだよ。」
「でも、葛城姉妹は知らなそうですから。」
「あれは怖い話より、不思議な話がメインだし。本当の体験談だから、山も落ちもないぞ。」
「なるほど、ヤオイですか。」
「葛城さん、酔ってんの?」
………
原稿が未整理のアーカイブとして事務所のネット倉庫に残っていたので、私とお姉ちゃんはタブレットで読ませてもらった。
なるほど。
理解出来ないから、未整理に脳みそに仕舞っておいたものを、未整理のままアウトプットしたような話だ。
「でも、その訳のわからなさが結構好評だったのよ。ほら、先生って口も立つから怪談師としてイベントを開こうかって話が持ち上がったの。」
「その原稿を読んで、怖くなれますか?」
たしかに、世にも奇妙な、か、トワイライトゾーン向けかもしれない。
お化け話、幽霊話ではあるけど、因縁とか因習とかの背後関係がわからないと、消化不良の不思議感が脳のどこかを突くんだ。
「稲川淳二ならともかくねぇ。」
「だったら、稲川淳二の怪談でも。」
「稲川淳二ねぇ。」
………
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恐怖の現場は事務所の倉庫にあった。
帰ったら見よう。
「いや、アマプラで見れるから。」
「社長、それは怪談会ではありません。」
とかなんとか言いながら、結局は視聴会になった。
よくあるタクシー幽霊の話や畳や壁に浮かぶ妊婦の染みも結構怖かったけど。
1番怖かったのは、ロビーに鳴り響いた黒電話のチリンチリンという呼び出し音。
勿論、廃ホテルだから電気が来てないし、電話がなるわけない。
フェイクだとしても、タイミングも稲川淳二の反応も滅茶苦茶だ。
アシスタントの女性タレントが気がついたのに、稲川淳二が気がついていないとか当たり前にある。
これは帰ってから、腰を据えて見よう。
というか、私よりお姉ちゃんが食いついているけど。
「千葉のこの辺だと、女子高生が殺されたホテル活魚とか、鴨川の金山ダムは北野誠が行って変な音を収録してる。三島湖のそばにある奥米トンネルでは、新耳袋殴り込みってプロジェクトが取材に行って、誰かがずっと喋っている声が収録された。」
「あのぅ、先生?マジモノはよしませんか?」
いや、始めたの南さんじゃん。
1番最初に怖気付いてどうすんの?
「稲川淳二で1番怖いのは。」
「やめません?」
「お子さんが障害持ちだったので、世話する為に奥さんが出て行ってしまったけど、生活費はずっと稲川さんが払っていたとか。」
「そういう本当にキツい話は結構です。」
「おすぎとピーコを芸能界に入れたのは、稲川淳二だったとか。」
「それも別の意味で今キツいからやめましょう。」
「その現場がオールナイトニッポンで、その放送終わりに始まったのは、''生き人形''のお話…
「聞こえぇないぃ聞こえないったら聞こえなぃぃぃ。」
終いには耳を塞いで歌い出しちゃったよ南さん。
まぁ、ぎゃあとか叫ばなかっただけいいか。
「先生、生き人形について詳しく!」
お姉ちゃんは食いついているし。
★ ★ ★
生き人形の怪談は、たしかに怖かった。
また社長が絶妙なところで、自分で効果音をつけるものだから、本気で驚かされた。
なるほど。
これから怪談師でもイケるかも。
30分にわたる熱演を終え、明日のスケジュールを付け足して(わずか2分)、私と社長は部屋に戻った。
戻って早々、社長はねっ転がって、何やら本を読みだしている。
私と同室なんだから相手にして欲しいとこだけど、仕事モードなので我儘は言わない。
今回みたいな取材旅行以外のお出かけでは、きちんとずっと相手にしてくれるので、そこら辺は2人の、社長と秘書のけじめだ。
社長が読んでいるのは、北村薫著「秋の花」。
例の矢切や市川で話題になった文学散歩が描かれた一編だ。
物語自体はシリーズには珍しく人死にがあるんだけど、社長は付箋を付けた部分だけを何度も読み返しては、タブレットの地図と見比べている。
この人は基本的に心底真面目な人だと、そんな姿を見て、つくづく思う。
そして、私という人間が、この人にしてあげられる事はなんだと、人生経験値の少ない頭で考えさせられるのだ。
今頃泥酔状態になっているであろう、翡翠の間の大人2人に見せてあげたい。
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