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2章 ふたりの生活

目障りな親子

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クラインは魔具工房を飛び出してから大股で大通りを歩いていた。普段は優越感を感じるはずの、自分に怖じける人の視線さえ煩わしい。

半ばわざとぶつかって、男を睨めつけて溜飲を下げる。


今は仮設兵舎として運用されている宿屋へ足を向ける気にもなれない。何も考えずにしばらく歩いていたが、あの女の働く薬屋が目に入って胸やけのような嫌な感覚が増す。

ーーーメルルーシェという女。

美しい瞳の楚々な女。か細い腕を握ったときの感触を思い出す。
ニアハ混ざり者の子どもがいるということは、どういうことかは想像がつく。大方戦時中に悲劇に見舞われたか、娼婦か。

どちらにせよクラインにとってはどうでもよかった。ベルへザード人だろうと、ダテナン人との子どもを育てるなど神への裏切りに等しい。

思い浮かぶのは、今まで見たことのないはにかむような笑顔を向ける兄の姿だった。
ニアハ混ざり者の子どもを可愛がるような女と共に笑い、女と同じように愛情のこもった視線を子どもに向けていた兄。

(あんなのは兄さんじゃない。)

クラインは唇を噛みしめた。


国から戦果を認められ名誉を与えられた兵士は、退役の時期も好きに選ぶことが出来る。
名誉ベルへザード魔導兵として指揮官への道も約束されていたのに、兄は軍を退いた。

兄の母方の祖父が経営していたくだらない魔具工房を継いでしばらく考えると言い出したときには、クラインは猛反発した。

理由を聞いても“無意味なことに疲れたんだ”と返ってくる背中に、自分が憧れ追いかけたすべてを否定されたような、胸の痛みを憶えた。

戦場において強く冷徹に敵を屠る兄の姿を多くの兵士に見て欲しい。そして自分の兄を誇りたかった。

この数年間に何度も連絡は送った。今回もクラインは兄をどうにかして軍に連れ戻すために、わざわざエッダリーに行く可能性の高かった北の関所監視の任の部隊に志願したのだ。

兄は元々口数が多い人間ではなかったが、昔からやけに弱者に優しかった。
兄の優しさに付け込み、その目を曇らせるニアハ混ざり者親子に心の底から唾棄する。



薬屋の窓に一瞬目をやると、あの女が笑う姿が見えた。

エッダリーに到着後しばらくしてから交わした会話が走馬灯のように過る。

『兄さん、何故軍に戻らないんだ?とても良い条件で声をかけられているだろう』

くだらない日用魔具を修繕する手から顔を上げたと思えば、珍しく俺の顔を見るなり首を横に振った。

『もう戻るつもりはない。私が守りたいものはこの町にある』

そう告げた視線の先には細工途中の魔鉱石が大事そうにかけられている。それが何であったのか知るのはそれからすぐだった。

クラインは視線に気づかれる前に女が見える窓から離れた。
噛みしめた唇から滲んだ血を拭って歩き出す。


ーーー絶望に落としてやろう。自分から兄さんを拒絶するように。


下の兵士を仕向けるだけでいい。”元娼婦がいる家があって、家の扉はいつも開いているそうだ”と焚き付ければいいのだ。自分が関わっていると勘付かせなければ問題ない。

いや、兄さんのことだから俺が差し向けたと気付くのかもしれない。

それがどうした。またあの英雄のような姿を見られる可能性が少しでもあるのなら、俺は憎まれてもいい。

クラインの瞳には在りし日の兄の姿への渇仰が浮かんでいた。

兄が屠るべき相手、生きる価値もない下賤で醜いダテナン人共。死後、宵の国にも迎え入れられることもない神の裁きを受けた浅ましい民族の末裔。

生意気な目をしたニアハ混ざり者のガキを思い出す。

あの無力なニアハ混ざり者のガキも自分の母親が目の前で穢される様を見ていることしかできないだろう。


想像するだけで胸がすく思いだった。傷ついた女が兄さんを拒絶すれば、兄さんもこの町に留まる理由などなくなるはずだ。


町の中でも高い建物に小さく取り付けられている時計台の色を確認する。

まだ紫にも満たない時刻だ。
緑の時に入る頃には関所に向かう。それまでにまずは女の家を把握する必要がある。

準備を整えたら魔具工房へと向かおう。
見つからずにしばらく後をつけるか、周りを探って家を割り出せばいい。

幾分か晴れ晴れとした気分で、兵装に着替えるべく兵舎へと向かった。


兵装に身を包んだクラインは仮面を装着し完全に顔を覆うと、魔具調整のために工房を訪ねる兵士を装って工房の近くを視察する。

この仮面魔具は、ロズネル公国の魔兵器対策として昔生み出されたもので、最近改良を加えられてベルへザード兵の標準装備となった。

顔を認識されないための魔具だが、魔力を注ぐことで周辺の大まかな魔力を感知することもできる。


工房内を魔具で確認するも、中には魔力を感知しなかった。
魔具工房の周辺を探ると、裏に3つの魔力を見つけてさりげなく裏へとまわる。

裏庭で仲睦まじそうに会話する2人と子どもの姿を確認した。


「約束して欲しい」

最初は聞き取れなかったが兄の声が聞こえて、ニアハ混ざり者のガキが返事を返した。

笑顔を向ける兄の姿と、子どもの肩を抱いて工房内へと入っていく女。

(まるで子どもの家族ごっこだな。)

虫唾が走る思いを呑み込んで、潜めていた息を吐き出した。


しばらくして出口から出てきた女と子どもの後をつける。気取られないように十分に距離は離した上で、北に歩き出して人の気配がなくなってくると仮面魔具の望遠で確認した。

ふたりが入った家をしっかり把握したクラインは、軽い足取りで関所へと向かった。


****



休憩時、少数に分かれて談笑する兵士たちの近くを何気なく徘徊し、下衆な話題をする兵士達の元へとゆっくりと歩むと、一人の肩を掴んだ。

「これはこれはロラン分隊長。お疲れ様です」

いきなり現れたクラインの姿を見て姿勢を正した数人の兵士たち。会話が一瞬で霧散し、緊張の走った声で敬意を示す。

クラインは気を良くしながら、親交を深めようとしているかのように兵士達に、日々の訓練の話や関所の愚痴を聞き出す。くだらない感想に相槌を打ちながら、それとなく話題を振っていく。

思いの外話しやすい上官に、兵士たちは緊張を解していった。ひとりが首都にある娼館を懐かしむような様子を見せたときにクラインはほくそ笑んだ。


“お前達、そういえば良い話があるんだ”


そう話し始めたクラインの口元は嬉しそうに歪んでいた。



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