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2章 ふたりの生活
魔力の扱い方
しおりを挟むラミスカはその男を見上げていた。
薬屋に来てメルルーシェの腕を乱暴に掴んだ男だ。
扉が閉まりメルルーシェの姿が見えなくなると、アルスベルが口を開く前に男が遮った。
「しばらくウダルに発つかもしれない。明日か明後日か、出発が未確定なんだ。
今日の内に会っておこうと思ってな。怒るなよ」
いけ好かない男、クラインは髪をかきあげるような仕草をして受付台に肘をついた。
「ウダル?どうして西のウダルなんだ。北の関所のためにここに滞在してるんだろう?
そんな西の方へ急に行くことになるのかい?」
アルスベルが待たせているラミスカを気にして、隣の椅子に座っているように背中を押す。
「詳しいことは話せないが、西で紛争が活発化してる関係だ。
汚い害虫は駆除しなければならないからな」
一度もラミスカの方を見なかったクラインがそう言ってラミスカを見やった。
「クライン…。君はまだ…」
クラインの視線の意味に気付いたのか、アルスベルが拳を握りしめた。
ラミスカは、クラインのような目の男を沢山見てきた。常に他者を見下し、弱者を嘲笑う者の目だ。
沈黙を破るようにラミスカが口を開く。
「本当に弟なのか?どこも似てない」
クラインの目に激しい怒りの炎が灯った。受付台を回ってラミスカに迫ろうとするクラインの歩みをアルスベルが遮る。アルスベルよりも体格の良いクラインは、拳を握りしめながら射殺す勢いでラミスカを睨みつけている。
「子どもの感想だぞ。取り乱してみっともない」
アルスベルはクラインを睨めつけると、叱りつけるように言い放った。
「兄さん、何故こんな生意気なガキに…ニアハにそこまで構うんだ?」
「やめなさい。子どもの耳に入れる言葉じゃない」
鋭い声でアルスベルが制した。
怒気が魔力を帯びてアルスベルの身体を薄っすらと覆っている。
「ダテナン人の血が混ざってるんだぞ?」
「その話は何度もしたはずだ。彼らも同じ人間、私たちと何も違いやしない。
ベルへザード人だけが特別だという考え方をやめない限り、君と話せることは何もない」
アルスベルのこれほど冷たい声をラミスカは初めて聞いた。
クラインは顔を歪めて息を吸い込むと、静かに言葉を発する。
「よく親父を殺した奴らと一緒に仲良くやれるな」
「彼が父を殺した訳ではない」
アルスベルは静かにそう返した。
「そんなこと頭では分かってる!
でも仲間も大勢殺された。そいつと同じ肌色、顔付きの人間にな。
何でもないように冷静に接せる兄さんはどうかしてる」
クラインが吐き捨てるように言うと、その太い腕を叩きつけ扉を乱暴に開けて出て行った。
小さくため息をついたアルスベルは、疲れたように笑った。
「私とクラインは母が違う。クラインもそれを気にしているんだ。
急に迫られて怖かっただろう」
特に恐怖を感じたわけではなかったが、アルスベルが申し訳なさそうに目を伏せたので黙っていた。
「ごめんね、ラミスカ。
彼はいつもどうしようもないことに怒っているんだ。
君を侮辱したことを謝まるよ」
クラインという男がどこか自分と重なって見えた理由が、アルスベルの言葉で理解できた。
自分も同じだった。自分を捨てた者が、都合よく使った者が、脚を奪った者達が、そいつらが生きている世界全てが憎かった。
「アルスベルは悪くない」
ラミスカの言葉に目を丸めたアルスベルは、可笑しそうに笑う。
「君はクラインよりも利口だね」
****
アルスベルに着いて工房の裏口に出ると、こじんまりとした裏庭が広がっていた。視界を遮るように木々が植えられていて、北側の空地がぼんやりと眺められる。
薪割斧が刺さった切り株があり、処分するものなのか魔具が端に積み上げられている。
「さて、気を取り直して。
今日は魔力の制御を出来るようになるために練習をしようか」
先ほどから何か考えるように黙り込んでは「あれでも昔はもっと素直で、優しい人間だったんだ…」とか「小さい頃から私の後にばかりついてきて…」とクラインの話をしたかと思えば「本当に君とメルルーシェに合わせる顔がないよ」と溢していた。
どう考えても気を取り直せないのは自分よりもアルスベルなのだが、それは言わないことにした。
「さっき、アルスベルの身体に魔力の靄がかかってた」
アルスベルが怒りを露わにしたときに、髪が膨らむように広がって身体から透明な糸のようなものが幾つも見えた。
猪からラミスカを護ろうとしたメルルーシェからも似たような魔力の流れを感じたことを思い出して尋ねる。
「あぁ、あれはねわざとなんだ。
相手を威嚇するときには有効なんだよ」
アルスベルが自分の手を見つめながら拳を握ったり開いたりする。
「あの状態で留めるのは精密な魔力操作が必要だから故意にする人は少ない。いつ全力の魔力をぶつけてもおかしくないぞっていう合図みたいなものだね。
クラインは軍人で、身体が大きいから力では勝てない相手だ。けれど弱い相手には容赦をしないだろう?だから自分にも戦える力がありますよっていう精一杯の虚勢さ」
照れくさそうにアルスベルが頬を掻いた。
アルスベルは“虚勢”と言うが、実際アルスベルの魔力は質の高いものだと肌で感じた。謙遜しているのだろう。きっとクラインでは彼には勝てない。クラインは兄を尊敬しているようだったが、そもそも弱者を敬うような人間ではないからだ。
ラミスカは首をかしげた。こんな北の田舎の町で魔具技師をしている男が、何故魔力量も多く、魔力の扱いに長けているのか。
その謎はアルスベルがいつも着こんでいる職人服を脱いだことですぐに解決した。
「さぁよく見ていて」
アルスベルはラミスカに魔力の流れを見せるために上の服を脱いだのだが、アルスベルの身体は小柄ながらも引き締まっていて傷だらけだった。
アルスベルも軍人だったのだろう。ーーーと見てすぐに分かるような怪我ばかりだった。
アルスベルの髪がふわりと持ちあがると、身体から透明な糸が立ち昇るように揺らめいている。神秘的ながらも威圧感のある光景に素直に感心する。
ラミスカは戦場で魔力を抑えたことはなかった。時には怒りのあまり自分の肌や髪をも燃やしてしまうことがあった。怒りのままに炎を全身に纏い、触れる物を壊し、燃やし尽くした。
けれどそれではいけない。メルルーシェを傷つけてしまうからだ。ラミスカは真剣にアルスベルの魔力を観察した。
「魔力を練るときはこの部分に渦を感じるんだ」
アルスベルが自身の鳩尾を指し示すと、その前で何かを包むような仕草をした。
「鳩尾から両手に向かって魔力が流れていくのを感じる。
最初は勢いをつけて押し出すように意識する」
みるみる内に水が手の間に溢れ出して渦を作った。
アルスベルは身体を僅かに光らせたまま片手で水を浮かせるとラミスカの手を取った。
「やってごらん」
ラミスカは自分の指先を見つめる。
(もし全てを燃やしてしまったら……)
脳裏に過るのは戦場で自分が燃やしてきた者たちだった。
アルスベルを見上げると、青緑色の知的で柔らかい瞳がラミスカを映していた。
「大丈夫だ。私が見ているよ」
ラミスカは頷くと、息を吸い込んで自分の魔力を鳩尾で練り上げる。
練った魔力を引き出すと両手に向かって熱が走るのを感じる。
一瞬で両手が燃え上がった。
アルスベルがすかさず水の塊をラミスカに被せる。
「とんでもない魔力だ。熱かったかい?」
びしゃびしゃに濡れたラミスカの腕を掴むと心配そうに眺める。
「熱くない」
「そうか…もう一度、もう少し弱めてやってみるんだ。出来るかい?」
ラミスカは頷くともう一度鳩尾に集中した。
ニアハだった頃は、魔力の扱いを誰かに教わったことはなかった。見よう見まねでそれらしく魔力を扱って戦ってみせた。
渦巻く魔力を凝縮してゆっくりと手を伝わせていく。そして瞬発的に掌にはじき出した。
掌が炎に包まれた。水っぽさを感じる炎の揺らめきはすぐに失われた。維持するのは想像よりも難しい。
「素晴らしい」
アルスベルが準備していた水をその場にぺちゃっと落とす。
「自分の身体を媒介にしないと難しいみたいだね。
けれどその調子だと思い通りに動かせるまですぐだろう」
そのまましばらく数回同じことを繰り返したり、アルスベルが水をゆっくりと作る過程を見たりして過ごした。
「休憩を取ろうか。
そろそろ君のお母さんが迎えに来るかな」
アルスベルが投げてよこした柔らかな布で水浸しの身体を拭く。アルスベルも亜麻色の髪をくしゃくしゃと撫でつけるように拭いていた。
その様子を見ながらふと思う。
アルスベルは自分が死んでいなければ同じくらいの歳だっただろう。
自分が以前よりも他人に興味を持つようになったことを自覚した。
工房で服を乾かしていると扉を叩く音が聞こえて振り返る。
息を切らしたメルルーシェが立っていた。きょろきょろと周りを見回してほっと息をついたかと思えば、ラミスカとアルスベルと目が合って少し気まずそうに笑った。
「メルルーシェ、どうしたんだい?随分と急いでるね」
「あ、いえそういうわけではないの。
アルスベル様、今日はラミスカをどうもありがとう」
メルルーシェはラミスカに近づいて顔を眺めた後に、ほっとしたように「良かった」と呟いた。
「折角なんだ、少しラミスカの成長を見ていかないか?」
アルスベルが優しい笑顔を向けるとメルルーシェは心が落ち着いたのか、躊躇いながらも「えぇ、ぜひ」と返した。
3人で裏庭に出ると、初めて裏庭に来たメルルーシェは不思議そうに積まれた魔具を見ていた。
「乾かしたばかりだけれどね、きっとラミスカなら大丈夫だ。
勿論準備はしておくから心配しないで」
少し張り切った様子のアルスベルに頷いた。
メルルーシェは柔らかい微笑みを浮かべてふたりを見つめている。
アルスベルがメルルーシェに耳打ちしているのを横目に、両手を胸の前に持ってくると、魔力を練って両手へと流し込んだ。
両手に水っぽい揺れ方の炎が纏わり、しばらくして消えた。
「一日で魔力を練り上げられるなんて、素晴らしいわ」
メルルーシェが満面の笑顔でラミスカを褒める。アルスベルの前で溺愛される恥ずかしさと、得たことのない魔力への称賛に口元が緩むのを引き結んでそそくさと工房に戻ろうとする。
「ラミスカ、この場所で私が付いているとき以外は練習したりすることは控えると、約束して欲しい」
約束という言葉は本で覚えた。互いに契約を交わすということだ。
「分かった」
振り返ったラミスカは頷いた。
ーーーそんな3人を見つめている影があった。
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