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3章 わかたれた道

潜入

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ダテナン装束に身を包んだミュレアンが、だらりと垂れた袖を気にしながら小声でラミスカに耳打ちする。

「何度着ても慣れないものだ」


ふたりは今日開かれるという夜会に潜入するべく、ケールリンの南の街アガテナに降り立った。

ミュレアンはウダルに潜入するラミスカと同じようにアガテナに潜入していた。
その甲斐あって、ふたりの情報を示し合わせることでついにダテナン人の指揮官に当たりがついたのだった。


同じ服装に身を包んだラミスカも頷く。

ベルヘザード人の服装は、マネラという襟の立った固い布地の服を下に着て、上からゆったりとした羽織布を革の腹帯で締め、色々必要なものを帯に吊り下げたり胸元の隙間に入れる比較的簡単な造りをしている。

それに対してダテナン人の服装は上半身と下半身が分かれているのが特徴的で、上半身は首元の詰まった服の上から、また身体に張り付くようにぴっちりとした造りの上着を着る。肘から先に切り込みが入った袖はふわりと広がっており、地位が高いほど袖が長いのだ。

下半身が脚ごとに分かれており、腰で紐を結んで服が落ちないようになっている。上半身の服とは違い少しふんわりと広がったこの服は、靴と合わせると義脚がしっかりと隠れるためラミスカにとっては好都合だった。

ダテナン兵士は、この装束の上からすぐに被れるような造りの革の鎧を装着するが、一般的なダテナン人は全面に模様をあしらった布を肩にかけている。

ふたりは従者と見られるくらいの質の服装を身に着けていた。


詰まった首元を窮屈そうに引っ張りながらミュレアンが立ち上がった。

伸びた髪を高い位置でまとめて紐で結んでいる。一目見るだけならば完全にダテナン人だった。立ち姿や仕草が上流階級のベルへザード人らしいのが“一目見るだけならば”の理由だ。

馬車から降りて御者に金を渡すと、東側にある目的の場所に向かって歩き始める。

「レア、仕草に気をつけろ」

ミュレアンが御者に対して行った礼を横目で見ていたラミスカが小声で呟く。指摘されたことに思い当たったミュレアンが苦笑いを浮かべて頷いた。

ふたりは任務の最中はダテナン人らしく、かつ身元が分からないように互いの名をもじって、ミュレアンはレア、ラミスカはカミラと互いを呼び合った。

上官であるミュレアンへの敬称や敬語も取り払うことを許可されていて、近頃ではミュレアンの言葉遣いも少し砕けてきた。

「しかしこの時間でもこんなに人が多いとはね。まるで首都フォンテベルフのようだ」

ミュレアンの言うとおりだった。もう日は暮れかけで、エッダリーなら殆どの家庭が家族の時間に差し掛かっている時間だった。

街灯が等間隔に並んでいるためそれほど暗くは感じないが、明かりが灯った酒場から聞こえる騒がしい声が夜を感じさせる。


ふたりが向かっているアガテナの東側は上流階級の暮らす地区だった。
ベルへザード人以外にも、元々ダテナン国において高い地位にいたダテナン人たちが暮らしている。

このアガテナという街は元々はダテナン国の領土だったが、終戦後ベルヘザード領地となった。訓練学校で学んだ内容では、10年前の終戦後、ダテナン国は分割されて3分の1に渡る領土がベルへザードに帰属した。豊かな土地を削がれたダテナン国にとっては、実質的な人質を取られたようなものだろう。


ひと気を避けるように細い路地に入ると、ミュレアンがわざとらしく上官らしい話しぶりで問いかける。

「今回の捕縛作戦が何故秘匿の任なのか分かるか?カミラ」

ロズネル公国と繋がっているダテナン人の指揮官は、アイラ・ハニという上位貴族の男だ。他国との明確な取り引きの書類を抑えたことで、捕縛の命令が秘密裏に下された。

「ロズネル公国に悟られないため、あと亡命させないためじゃないのか?」

ラミスカの答えに片眉をあげて含み笑いをしたミュレアンが抑えた声で付け加える。

「アイラ・ハニはダテナンでは顔が利くし、ベルへザード貴族間でも信頼の厚い男だ。第2師団の師団長につてがあるらしい」

三国に挟まれるように位置するベルへザードは、国に隣接する場所に必ず師団を駐屯させている。
第2師団は北側に駐屯する団であり、ベルへザードの北西にはロズネル公国が広がっている。


ミュレアンの言葉を反芻する内に、徐々に点と点が線で繋がっていく。


ケールリンの採掘場では手薄な場所が的確に狙われている。多方面への牽制に割かれている師団をケールリンへ集結させることは難しく、本隊は本格的に動き出す可能性のあるロズネル公国への対策で手一杯だった。

ロズネル公国の魔兵器を手引きするダテナン人の男が、偶然にも第2師団長につてを持つ男で、偶然にも第2師団はロズネル公国に隣接する場所に駐屯している。

つまり第2師団長が糸を引いている可能性があるため、アイラ・ハニの捕縛は秘密裏に行うよう命令が出たのだ。

「ハーラージスがエッダリー周辺の北側を嗅ぎ回っていたのはそれでか」

ハーラージスはあの時期から、他国と手を結ぼうと暗躍する者の目星が着いていたのだろうか。

「ゾエフ師団長と呼びなさい」と苦言を呈するミュレアンの肩を掴むラミスカ。眉をひそめて押し殺した声で問いかける。

「とすると北は危険だ。第2師団長が兵を動かせば他国の人間を手引きできるんだからな。レア、知っていたのか?」

冷たい光を目に宿すラミスカの手を優雅な動作で下ろして、まるで酒に酔った友をあしらうような素振りで肩を掴み返して歩き出す。

「その牽制の為に師団の複数連隊を北に送り込み、ゾエフ師団長自身もあちらにいらっしゃる。北は問題ないよ。君の家族も無事だ」

少し力の抜いたラミスカの背中をぽんぽんと叩いてため息混じりに呟く。

「あのお方は敵の多い立場にいらっしゃる。比較的若くして師団長となられ、ダテナン人の立場向上を訴えて多くを育てられた」

ラミスカが胡散臭そうな表情を隠さないまま隣を一瞥すると、くすくすと笑いを溢した。

「えぇ、慈善的な視点ではないが。
だが長期的に見て国の為になることをいつも考えていらっしゃる。ダテナン人の扱いを嘆いておられるのは事実さ」

アイラ・ハニを捕えれば、ベルへザード領に残されている他のダテナン人貴族は、これからこれまで以上に肩身の狭い思いをすることになるだろう。ミュレアンもそれは理解しているはずだ。

複雑な気持ちを胸に角を曲がると、二人の女を連れた男が店先に立っていた。

ダテナン人の男はラミスカとミュレアンを視界に入れるなり、顔に笑顔を貼り付けて話しかけてくる。

「これはこれは、同胞たちよ。美しいスファラはどうですか?」


ラミスカが胸元の首飾りに触れる。

(スファラ?スファラ鉱石のことか?)

男の後ろに控えていた成人したばかり程の幼い女と、豊満な身体を持つ女が妖艶な笑みを浮かべなから前に出た。

一目でミュレアンを“金払いの良さそうな階級”だと見たのか、男に背中を押されて幼い女がぎこちなくミュレアンの袖を掴んだ。

豊満な身体の女がラミスカに近づく。

ラミスカは2人が娼婦なのだと気が付いた。顔に浮かべる笑みも、男に張り付くようにくねらせた身体も、ニアハだった頃によく見たものだ。

「触れるな」

ラミスカの左半身に絡みつくように身体を密着させる女を睨み付けると、怯えたように目を見開いて後ずさった。

「カミラ、丁度いい。少し楽しもうか」

ミュレアンが意味ありげにラミスカに顔を向けると、女の腰に手を回して男と金のやり取りを行い始めた。

「場所は自分たちで選ばせてもらおう。お気に入りの場所があってね」

「しかし連れて行かれるのは…身の安全がねえ」

男がわざとらしく困った素振りを見せると、ミュレアンが硬貨をもう一枚袋から取り出して男の手に乗せた。

「旦那たちなら大丈夫でしょう。ほら、行った行った」

うってかわって笑顔になった男が女達を手で追いやる。
何を考えているのかは分からないが、ラミスカはミュレアンに従うのみだった。

「スファラ鉱石はどこで買えるんだ?」

鉱石を持っている気配のない男を眺めて尋ねたラミスカを、そこに居た全員が信じられないものでも見るかのように見た。

「うぶなのね」

ラミスカを怯えるような目で見ていた豊満な身体の女も、肩の力が抜けたようにくすっと笑った。

「スファラ鉱石は余剰な魔力を吸い取るだろう。
女性との行為を揶揄しているんだよ。いい勉強になっただろう」

女の肩に手を回したままミュレアンがラミスカに耳打ちした。

「君は本当に…全く。
見た目に反して少年のように純粋な所があるから、たまに意地悪をしたくなるよ」

メルルーシェに自分と同じスファラ鉱石の贈り物をしようと思いついて尋ねたのに、思わぬ所で恥をかいたことに気づいて口を曲げる。

男に見送られて歩き出した4人は、大通りに出ると夜によく出没する男女のように見える。

ミュレアンの狙いは女を連れることで警戒を解くためだろうか。

「君たちはよく東の客も相手にするのかい?」

ミュレアンが、自分とラミスカを挟んだ両脇の女に問いかけると、豊満な身体の女が答えた。

「東側の客には手を出しちゃいけないの。店の棲み分けがあるから。まぁ知らずに関係を持つのは仕方ないから大丈夫よ」

「それは良かった。今から俺たちは夜会に出席する旦那様をお迎えにあがるんだ。
夜会終わりまで時間がたっぷりあるからね、君たちに遊んでもらおうと思って」

「大きな夜会なんでしょう?噂になってるわ」

「ふふ、あなた達東側の方なのね」

幼い女がませた口調で口を挟んだ。

「あぁ。着いたら少し頼みたいことがある。
とっておきの場所で楽しみたいんだが、ちょっとお硬い侍従と御者がいてね」

ミュレアンが饒舌に話し始め、女たちを連れてきた理由を理解する。
女たちはミュレアンの言葉に頷いて、その頼みを聞き入れた。


東側に進むと、時折身なりのよい男が出歩いているが、徐々に人影が少なくなってきた。警備の衛兵も他の地区よりも多い。

4人は細い道を選んで通った。衛兵の気配がすると、前を歩いていたミュレアンが女の身体を持ち上げて壁に押し付ける。身体を弄っているふりをして衛兵をやり過ごす姿にぎょっとした。

ラミスカはミュレアンたちの影に隠れるように壁に身を寄せた。衛兵も少し目を凝らして男女が揉み合っていると判断すると、舌打ちをしながら離れていく。

たどり着くまででも娼婦たちはいい仕事をした。

夜会が開かれるアガテナでも一二を争う大きさの邸宅が見えると、止まっている馬車が一気に増えた。どの馬車にも立派な装着魔具が施されている。


「さぁ俺たちは仕事の話を先に終わらせておく。
その間に君たちには頼んだことをお願いしてもいいかい?後で迎えに来るよ」

ミュレアンが女たちに笑顔を向けると、女たちは頷いて邸宅に向かった。豊満な身体の女は馬車の方へ。幼い女は回り込むように反対側へ歩いていく。

「何をさせるんだ?」

ラミスカが口を開くと、ミュレアンは肩をすくめた。

「御者の名前は掴めたが人相が分からなくてね。
彼女に馬車へ案内させるのが確実だ」

夜会は既に中盤を迎えている頃だった。後ろから馬車が走ってきたのを見てミュレアンが指した。

「あれに捕まるぞ。もうひとりには気を逸してもらう」

「騙して使うのか?」

「彼女たちのことか?本当に楽しんでも良いぞ」

からかうように笑うミュレアンを睨むと首をすくめる。

「彼女たちも道中楽しんでいたじゃないか。金は払っているし悪いことはしていないさ」

速度を落として通り過ぎようとした馬車の後方に同時に静かに飛び乗る。


噴水でずぶぬれになった状態で大きな泣き声を上げる幼い娼婦の女に、入り口の衛兵たちが気を取られおろおろとしている内に、ふたりは邸宅へと足を踏み入れた。


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