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3章 わかたれた道
始まり
しおりを挟む多くのダテナン人貴族が会話を交わす中、使いに奔走している従者を装ってアイラ・ハニの姿を探す。従者がふたりで行動していることも特段珍しいことではないため、比較的すんなりと人が集まる大広間へ辿り着く。
厨房に顔を出して手伝いを申し出れば、食器を下げてくるようにと指示を受けた。
料理の乗せられたトレーを手渡されたため、ふたりはそれを運びながら使用人用廊下を進む。
「随分警戒が薄いんだな」
「ダテナン人の催しは大体こんな感じだよ。
私たちが同胞であることもひとつの理由だろうが」
ミュレアンが一粒の果実をつまみながら答えた。
大広間へ出ると、ふたりは従者らしく顔を伏せて目配せをしながら作業に取り掛かった。
空いた皿を集めて新しいトレーを置くと人が集まってきた。ベルへザード貴族は夜会の場では殆ど食事を口にしないと言うが、ダテナン貴族はそうではないようだった。
アイラ・ハニの人相は既にミュレアンから魔具を通して見せられていたため、集まって話をする貴族の輪の中にその姿がないかをさり気なく探る。アイラ・ハニを捕らえるのは、人に見られる事のない夜会の後の帰り道だと決まっていた。にもかかわらず夜会に潜入したのは、夜会で誰と接触していたかを確認するためだった。
ミュレアンは捕らえたアイラが口を割らなければ、周りから潰していく必要があると話していた。
『捕らえるのはアイラ・ハニだけではない。奥方や従者の口も止めなければいけないからな』
ミュレアンの言葉を思い出して胸が重くなる。
(誰の為の、何の為の戦か。)
一度感じた虚しさは胸の中で静かに燃え広がり、自分自身を内から焼き続ける。
「あら、あなた…」
ダテナン人の貴婦人が何かに気付いた様子でラミスカの顔を見上げた。ミュレアンは少し離れた場所で給仕している。何かを悟られたかと身体を強張らせると、貴婦人が微笑んだ。
「袖が汚れているわ、ほらお拭きなさい」
左袖が何かに浸って茶色くなっていることを指摘されて固まる。袖を汚さないように立ち回るのもダテナン紳士の腕の見せ所らしい。
固まるラミスカに淡い黄色の布を渡した貴婦人は、ラミスカのまわりに主人がいないと判断したのか「どちらの方の従者?」と首をかしげた。
答えに迷いながら口を開いた瞬間、隣から笑顔のミュレアンが現れた。
「うちの者が失礼致しました。カミラ、貴婦人にお礼を」
素早い動きでミュレアンがラミスカの前に出て頭を下げる。
「いいえ、失礼は受けていないわ。
怒らないであげてちょうだいね」
貴婦人が困ったように笑顔を浮かべてラミスカとミュレアンを見比べた。
「ラルシェ、こちらへ」
ちょうど後方から名前を呼ばれたらしい貴婦人は、「ではこれで」と会釈をして去っていった。
「あれはアイラ・ハニの奥方のラルシェ・ハニだ。
無事アイラ・ハニも見つけた。奥方の名を呼んでいたのがアイラだ」
空皿を手に大広間を離れると、周りに人がいないことを確かめてミュレアンが小声で呟いた。
「私はもうしばらく接触者を確認する。君は娼婦を探して馬車の確認をしてくれ」
ラミスカが頷くと、ミュレアンは手際よく厨房へと消えていった。
人の良さそうな顔の貴婦人を思い出して淡い黄色の布を握りしめた。アイラ・ハニの出方によっては、彼女もこれから酷い目を見ることになる。
堂々と入り口を出ると、馬用の水桶を持って往復する者や糞をかき集めている者、特にこの邸宅の召使いらしき者たちは忙しそうに働いていた。
馬車へ向かうラミスカは従者らしく帰り支度で馬車へと向かうふりをして、停まった馬車を目で追っていく。娼婦の姿はなかったが、ミュレアンの指示通りに赤い布が結ばれた馬車が目に留まる。
一定の間隔を保っている馬車と、御者同士が集まって話をしているのを横目に、慣れた臭いの中、目的の馬車に近付く。
馬車が少し揺れ動き、中から争うような声が聞こえていた。
ラミスカが馬車の扉を空けると、女と揉み合っている男が驚いた顔で振り向いた。
無理やり迫られたように服がはだけた豊満な身体の女は、肩を上下させて男を睨みつけていた。
「だっ誰だお前は」
間抜けな髭面で素っ頓狂な声をあげた男の首根っこを掴んで引きずり出す。
「新しい従者だ」
「お前みたいなのは見たこともねえ!」
暴れる御者を一睨みして、床に転がった帽子を拾って御者の頭に押し付ける。
「黙れ。アイラ様に告げられたくなかったら大人しく外で座ってるんだな」
ラミスカが主人の名前を告げた事で狼狽える男は、下半身の紐を縛り直して外へと出る。
「こ、ここ、こんな場所に娼婦が来るのが悪い。分かるだろ?」
「お前が呼んだんだろう」
「ち、違う!本当に女が勝手に」
「そんな話誰が信じる?」
冷たい視線で黙った男は、青ざめた顔で大人しく先頭に座った。
「とりあえずそこで座って待っていろ。“主人の馬車に娼婦を呼び込んでいた”とアイラ様に告げるかどうかは俺次第だ」
ハニ家の召使いや従者たちは“旦那様”ではなく“アイラ様”と呼ぶらしい。随分と慕われているのか単に特殊なのか、とミュレアンが首をかしげていた。
馬車の中ではだけた服を寄せた娼婦が頬杖をついて、入ってきたラミスカを見つめる。
「危うく追加の硬貨をもらう所よ」
ニアハだった頃は特に気にしたこともなかったが、メルルーシェが一度乱暴されかけてから、男が女の服を剥ごうとする様子を酷く不快に感じるようになった。
「無事だったか?」
女は何度か瞬きをしてくすっと笑った。
「あなた、見かけによらず優しいのね。
スファラのことも知らなかったし…」
ゆっくりとラミスカに距離を詰める。
「別に頼まれたことをやっただけよ。
それにあなた達は清潔だし金払いもいいわ。見た目も悪くない…」
女がラミスカの胸元に手を滑らせて見上げる。メルルーシェとはまた違ったきつい花の香料の匂いが鼻をくすぐった。
「触るな」
「ここじゃ嫌なの?」
女の手を掴んで下ろすと、女は自身の胸元を少し開けた。
ラミスカはニアハだった頃に兵士たちが女にどんな事をするのか、嫌というほど見てきた。乱暴に掴んでどんな風に動くのか。
「して欲しいのか?」
ラミスカの顔を見上げた女が顔を強張らせて後ずさった。
「…いえ、金が欲しいだけよ」
「そうか、レアが戻ってくるまでにここから離れろ。
もうひとりも連れてな。ご苦労だった」
ラミスカは懐から袋を取り出すと、硬貨を握らせた。
戸惑いがちにラミスカの顔を伺って「本当に身体は必要ないのね、少し残念」と言いつつもほっとしたように馬車を降りていった。
ラミスカも性別が違えば彼女達のように育てられ、それしか生きる方法を知らなかったかもしれない。娼婦の後ろ姿を見つめながらそうぼんやりと考えた。
馬車の先頭には御者と従者の二人が乗るはず。御者に一緒に来た従者の場所を尋ねると「あの馬好きは別の馬にも水桶を運んでるだろうよ」と呟いた。
ラミスカが従者に興味を持っている様子に、御者はここぞとばかりに機嫌を取ろうと行きの道中のことを話し始める。
従者が奥方の荷物を馬糞の上に落としてこっぴどく怒られた話をラミスカに聞かせて笑いを誘おうとするが、表情を変えないラミスカに次第に口数も減っていった。
しばらくして戻ってきた従者の青年は、御者の隣に座るラミスカを見て首をかしげていたが、ラミスカに「アイラ様がお前には暇を与えると仰った」と告げられると、思い当たることがあったのか、勿論行きの道中のことだろうが、ぶつぶつと何かを呟きながら座り込んだ。
「屋敷には自力で戻ってこいと仰っていた」
ラミスカが告げると、従者は力なく頷いて邸宅を後にした。
調子よく人が払えていることに安堵しながら、夜会の行われている邸宅に目を向ける。アイラ・ハニを拘束して話を聞き出し、首都に送還するまで周りに気づかれなければ今回の命令は達成となる。周りの人間もわざわざ殺す必要はないと、ミュレアンを説得したのはラミスカだ。
ミュレアンはいざとなれば周りも全て拘束して、その場でアイラ・ハニに計画を吐かせるつもりだと言っていた。作戦を練り込む訳でもなく、その場の流れで動いている様子からも、ミュレアンの本意はそちらにあるのだろうと見て取れる。
「なんでぇ、あいつの代わりに雇われたんなら先に言ってくれよ」
御者が馴れ馴れしくラミスカの腕を小突く。
「お前もああなりたくなかったら黙って言うことを聞け」
蛇に睨まれた蛙のように竦んだ御者が首を縦に振った。
すっかり暗くなった辺りで足元が悪いのだろう、衛兵が灯り杖を手にしはじめた。時間をずらして馬車が出発し始める。馬を繋いで装着魔具を軽く点検する。
そろそろか、と顔を向けるとちょうど入り口から現れたミュレアンの姿を捉えた。荷物を手に抱えて人を先導している。後ろにいるのはアイラ・ハニと妻のラルシェだ。
御者に馬車を回すように指示する。ミュレアンはこの邸宅の従者に扮しているのだろう。馬車を入り口に向かわせている最中に口を開く。
「頼まれていた荷物の受け取りに向かう。アイラ様には馬車内でお待ちいただくようにお前から伝えろ」
戸惑いながら御者は頷いた。ラミスカは先頭から降りると、馬車の影に隠れるように邸宅の入り口に近付く。
御者が馬車の入り口を開けながら、ラミスカの言うとおりにアイラ・ハニに伝える。
「全くあいつは…いつまで経っても要領の悪いやつだ。
さぁラルシェ、疲れただろう先にお入り」
アイラ・ハニがため息まじりに呟いて妻を馬車に乗せると、深々と頭を下げたミュレアンに目を向ける。
「レフェール様に宜しく伝えておいてくれ」
「かしこまりました。主人もおふたりの来訪を心から喜んでおりました」
紳士的に会釈を返すミュレアン。
アイラが馬車に乗り込んだのを見届けると、近くの衛兵が持つ灯り杖の光で揺らめく黄金色の瞳がラミスカに向けられる。
ミュレアンの指の動作を見て頷くと、たった今戻ってきたかのように御者の隣に戻る。
「さぁ行くぞ」
ラミスカの声で馬車は動き出し、きらびやかな邸宅を後にした。
「エイリオ、今日は北の宿に泊まる」
馬車の中から男のくぐもった声が聞こえた。
主人に呼ばれた名前が暇になったはずの従者だと気付いて、御者がごくりと息を呑んでラミスカの顔を見た。
「黙ってろ」
小声で睨みつけてから「承知しました!」と明るめの声を上げる。
ミュレアンを街の出口で拾ってから、アガテナとウダルの間の森へ向かう。
凶暴化した獣が頻繁に現れるためひと気が少ない場所だ。そのままアガテナ東側の出口に馬車を向かわせると、門の手前にミュレアンの姿があった。相変わらず移動が早い男だ。
ミュレアンは最後尾の荷物置きにでも掴まっているだろう。門を通り過ぎてしばらく走っていると、異変に気付いたのか、馬車の中からアイラが先頭の窓を叩いて何かを訴えている。
走行音で聞こえないが、従者が命令を聞き間違えたと思って怒っている様子だった。
人目につかない場所で馬車を止めると、乱暴に馬車の扉が開かれる。
「エイリオ!全くお前ときた…」
ラミスカの顔を見てアイラ・ハニが固まる。知らない男が自分の馬車を走らせていたのだ。すぐに手をラミスカにかざしたアイラだったが、急激に盛り上がった土に身体を固められて身動きが取れなくなった。ミュレアンの土魔法だ。
「アイラ様?どうなさったの?」
「ラルシェ!出てくるな!」
馬車の中から妻であるラルシェの声が聞こえ、アイラが焦ったように叫ぶ。御者は何が起こっているのか分からないのか、腰を抜かして縮こまっていた。
「アイラ・ハニ、奥方の命はあなたの答え次第だ」
ミュレアンがアイラの後ろから冷たい声音で囁く。
まわりの地面がせめぎ合うように動来出した。ミュレアンとアイラの土魔法が主導権を争っているのだと気付く。
決着はついたようだった。首を後ろに向けることの出来ないアイラは、唇を噛み締めて正面のラミスカを睨みつける。
「お前達の望みは何だ?金か?」
ミュレアンが馬車の扉を開いて、怯えた表情のラルシェを掴んで引っ張り出した。ラルシェの怯えた声を聞いてアイラが狼狽する。
「やめろ、妻には何もするな!同じダテナン人だろう」
悲鳴にも近い声で嘆願する。ラルシェを掴んだまま、ゆっくりとアイラの前に歩み出たミュレアンを見て、アイラが目を見開いた。
「レフェール様の…いや、違ったのか」
「アイラ・ハニ、お前が行ってきたロズネル公国との取引の証は既に割れている。第2師団のファリス師団長との繋がりもな」
身動きの取れない夫の状況を見てラルシェは表情を固めた。
「アイラ、まずはファリス第2師団長から受けた命令について洗いざらい話すんだ」
妻ラルシェの首筋に当てられた短剣を険しい顔で見つめたままアイラ・ハニが口を開いた。
「私にはベルへザード国民として、首都で正式な尋問を受ける権利がある」
「いいや、残念ながらここにはダテナン人と混血しかいないようだ」
震える声で告げるアイラ・ハニに、ミュレアンがぴしゃりと言い放つ。
「はっ。ハーラージス・ゾエフか。あいつのやりそうなことだ」
憎々しいと言わんばかりにアイラが唾を吐いた。その瞬間、ミュレアンが掴んでいたラルシェの腕に短剣を振った。抑えられた口元から漏れる妻の叫び声にアイラが絶叫する。
獣かと紛う程の雄叫びだった。
「もう一度だけ聞くぞ」
血の筋が滴るラルシェを前に、ミュレアンが穏やかな声音で尋ねる。
「カミラ」
ミュレアンに呼ばれて前に出ると、ラルシェを掴んでいるように命じられる。どくどくと血の溢れる腕をひと目見て、ミュレアンに気づかれないように、常に持ち歩いている傷に効くコアトコの葉を手に隠してラルシェの腕を掴む。
ラミスカはアイラ・ハニに質問しているミュレアンの後ろ姿を眺めながら、言われたとおり鏡の通信魔具に魔力を注ぎ、様子を映していた。
ラミスカにとってはアイラ・ハニも、ハーラージスも、国でさえどうなろうがどうでもよかった。ただメルルーシェと自身の自由のために、言われたことをこなすだけだった。
アイラはロズネル公国との取引の場所や、相手の名前、指示を受けたことを次々と話した。あっけなく終わりそうで、これ以上ラルシェやアイラを傷つける必要がなさそうだということにほっとしている自分がいた。
約束通り全ての情報を話し、ミュレアンの土による拘束を解かれたアイラは、力の抜けたように座り込み妻ラルシェを抱きしめた。
「だが一足遅かったな。
公国は既にケールリンへと進軍している。間もなくケールリンは火の海だ」
アイラは涙の滲んだ顔を歪ませて笑った。
妻ラルシェの手を握りながら。
****
真っ先にゾエフ師団長の指示を仰ぎ、各所に連絡と指示を送りながら、ケールリンへ到着したのは夜更けだった。
ミュレアンは自身が統括する魔法連隊を束ねるために最前線の拠点に発ち、ラミスカも魔法連隊の候補兵として共に駆り出された。
拠点の設置や軍備の仕分け、兵士への情報共有と担当拠点の振り分け、戦闘員以外の人員の手配、1日はあっと言う間に過ぎ去っていった。
ロズネル公国が本格的に動き出して、ケールリンが激しい戦場と化したのは昨日のことだ。アイラ・ハニが洗いざらい話したときには、既にケールリンに敵の手が迫っていた。
それでも、第2師団のファリス師団長はハーラージスにすぐに取り押さえられ、首都を同時に襲撃して攪乱させるという目的は阻止された。
ケールリンの鉱山の大部分がロズネル公国の放った魔兵器に占拠され、ラミスカたち第6師団は隣接する町ウダルを守るために戦っていた。
首都からの援軍を待つばかりだったが、師団長を失った第2師団は派閥での仲間割れを起こし機能せず首都は混乱を極めていた。
ケールリンでの長い夜更けが始まったばかりだった。
槍を投擲し、今にも兵士を踏み潰そうとしていた魔兵器の目を貫く。
足を負傷した兵士を塹壕に投げ飛ばして、後方から振り下ろされた魔兵器の攻撃を捌く。義脚で目を貫いて、そのまま踏み台に投擲した槍まで跳躍する。
『候補兵隊に告ぐ。大型の魔兵器が赤方面に確認された。繰り返す』
仮面魔具から繰り返されるミュレアンの指令に舌打ちをして駆け出す。
「ゼス!こっちだ」
同じ隊の候補兵が、息を切らしてラミスカの名前を呼ぶ。
魔兵器のうねる足を躱して槍を突き立て、一瞬の間に爆発的な炎を伝わせて破壊する。
前線の兵士の後ろで補佐として戦うラミスカたち候補兵だったが、いつもの比にならない数の魔兵器に明らかに圧されていた。道中倒れて気を失っている兵士を掴んで、窪みに駆け込む。
今回は今までの魔兵器の襲撃とは少し違っていた。
大規模なのは勿論だが、今まで見たことのない大型の魔兵器を筆頭に、小型がある程度統率の取れた動きをするのだ。
大型の魔兵器の応援に向かう指示を受けて動き出したラミスカだったが、見覚えのある髪色に一瞬立ち止まる。
ただ似ている色だと自身に言い聞かせようとして、なびく髪から顕になったその横顔に、時と心臓が止まった。
砂埃が舞う中、酷い怪我を負った兵士の脇を抱えて、坑道の入り口で必死に身を隠しながら手をかざしている。ベルへザード軍服を身に纏う姿に、もしかして自分の頭がおかしくなったのかと何度も瞬きをする。
(どうしてこんなところに。)
「おい!」
ラミスカは声を荒げて近寄った。
応援ありがとうございます!
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