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4章 われても末に
2度目の旅立ち
しおりを挟む「本当に行くのかい?」
アルスベルが何十回目かのため息をついた。
下がった眉はまるでビェール山の尾根のようだ。髪を首元でばっさりと切ったときも同じような顔をしていた。
「えぇ。居場所が分かったもの。
アルスベル様、本当にお世話になりました」
一緒に着いてくると言うアルスベルを説得するのは骨が折れた。
ラミスカの成長速度を考えると、エッダリーの人間に合わせる訳にはいかないのだ。向こうで身体の異変が話題になるかと思っていたが、この2年でラミスカの噂が広がってくることはなかった。
アルスベルであればラミスカの秘密を守ってくれるだろう。けれど秘密を知る者は少ない方が良い。それに、寄せられている好意に気付かされてそれを断ってから、どうも頼りづらくなってしまったというのが本音だ。
「転送魔具は使わせてもらえそうなんだね?」
「ゾエフ第6師団長から言質は取ったわ」
「君のむぼ…勇敢さにはあのハーラージスだって尻尾を巻いて逃げ出す訳だ」
褒められていなさそうな空気を感じ取って首をかしげる。
メルルーシェはこの約2年間でアルスベルから護身のための体術を習い、癒し魔法の使い手を募集していたエッダリーのすぐ北に駐屯する第2師団に席を置いた。その優秀さは瞬く間に駐屯地内に広がり、別の師団長であるハーラージス・ゾエフへの謁見が叶ったほどだった。
「あの子を卑劣な手段で脅したことを後悔させたかっただけよ」
ハーラージス・ゾエフ。突然薬屋にやってきてラミスカとメルルーシェを引き離す原因となった男。ハーラージスは第2師団に所属しているメルルーシェに、自身の第6師団へ移籍するようにと提案してきたのだった。
ラミスカと同じ師団に入ることが出来るのは願ったり叶ったりだったため、第2師団長への掛け合いは任せて、無事手配を済ませてもらった。
ラミスカを対ダテナン人の諜報員として使っていると話したハーラージスに、激昂したメルルーシェが感情を爆発させてハーラージスを魔力酔いさせたことは記憶に新しい。
魔力酔いは稀に起こる身体の不調で、相性が悪い相手の魔力を長時間浴びると吐き気を催したり意識を朦朧とさせることがある。魔力酔いを起こすほど相性が悪い相手がいるのはとても珍しいことだった。
ハーラージスはメルルーシェが同じ敷地内で癒しを行っているだけでたまに体調を崩しているらしく、“時期が悪すぎる。さっさと遠方へ行け”と半ば追い出されるように転送の許可を得たのである。
ラミスカを自由にすると契約書を書かせて、ラミスカにもちゃんと見せるようにとお願いした。メルルーシェは、ラミスカを戦争から遠ざけるために国外に連れ出すつもりでいた。
「アルスベル様、スーミェとお店を気に掛けていただけると嬉しいです」
外套を纏ったメルルーシェが遠慮がちに顔をのぞかせると、アルスベルが寂しそうに視線を下げて頷いた。
「では、アルスベル様、お元気で」
寂しさを胸に微笑むと、アルスベルが何かを思い出した様子ではっと顔をあげた。
「あ、メルルーシェ!少し待って。
持って行って欲しいものがあるんだ……」
そう言って店の奥の工房に走って行ったアルスベルは、布で包まれたメルルーシェの脚程の長さの何かを持ってきた。
「本当は自分で持って行くつもりだったんだが、これはラミスカ用の脚だ。前の義脚は戦場で使うことを想定していなかったから不便を感じているだろう。ホヴァ鉱石で作ったものだから大丈夫だとは思うんだけれど、もしかすると既に壊れているかもしれない。結構重量があるんだけれど持っていけそうかな?」
「大丈夫、持っていけるわ。
あの子もとても喜ぶでしょう。ありがとうアルスベル様」
メルルーシェは持っていた花束を一度置くと、ラミスカの義脚を包んだ布を肩から斜めに巻きつけた。背中で固定された義脚の重さは、長旅では疲れが出るだろうが耐えられる範囲内だった。
荷物を持ち直して扉を出ようとしたメルルーシェの後ろから声が降ってくる。
「やっぱり馬車まで送って行くよ」
「アルスベル様ったら、心配なさらずお仕事をなさって」
メルルーシェが笑いながら扉を出ると、アルスベルは照れくさそうな笑みを浮かべた。
アルスベルの伏せられた顔を眺めて、この人と人生を歩んでいたらどうなっていただろう、と一瞬考えてしまう。ラミスカがいなかったら共に生涯を過ごしただろうか。いや、ラミスカが居なければそもそも出会っていたなかったはずだ。あんなことが起こらなければ、ラミスカと3人で暮らしていたのかもしれない。
「アルスベル様、本当にありがとう。
身体に気を付けてお元気で」
アルスベルへの沢山の感謝が溢れ出しそうだった。顔を見ることが出来ず少しの間俯く。
「メルルーシェ…」
落ち着いた優し気な声が戸惑いがちに流れる。顔を上げると、アルスベルの緑の瞳が揺れていた。何かを言いかけて開いた口を閉じる。
「君は…この2年本当に努力したよ。気を付けてね」
少し滲んだ視界で笑うと、困ったように微笑んで頭を撫でられる。
「では、さようなら」
心を通わせた人と別れ、馴染んだ町を離れるのはこれが2度目だ。
メルルーシェは2年間仮の住まいだった薬屋でスーミェに最後の別れを告げて厩へと向かった。
「少し寄って欲しい場所があるの」
御者にエッダリーのすぐ東にある丘で馬車を止めてもらう。アルスベルと話をした丘だ。降りるとソラナの群生地が広がっていた。丘を下ってすぐ森に入ると、開けた場所に細木が生えている。
メルルーシェは手に持っていた花束をその細木に供えた。
「ユン様、杯人から宵の水を受け取れたかしら?
きっと辿り着くまでの障害は多いわね」
(意地悪な所もあるけれど人間味があって暖かい人だった。
無事に辿り着けるように旅の安全をお祈りします)
メルルーシェは寂しげにしばらくその細木を眺めると、馬車に戻ってエッダリーを後にした。向かうは軍の転送所がある首都フォンテベルフだ。
****
装着魔具付きの馬車で首都フォンテベルフに到着したメルルーシェは、白い息を吐き出して転送所に足を踏み入れた。
「第6師団16隊所属の癒し手です」
メルルーシェが首から下げた鉱石のプレートを取り出して渡すと、控えているベルへザード兵たちが色めきだした。
「おい、第6師団16隊って……第2師団にいたとんでもない癒し魔法の使い手が移籍した隊か?」
「ゾエフ第6師団長を3日間動けなくしたっていうやつだろ?どんな化け物なんだろうな」
小声で交わされる会話が、随分と飛躍した自分の噂話だと気付いて、穴に隠れたいような羞恥心を催す。
「はい、確認ができましたのでお通り下さい」
メルルーシェは顔を冷やすように両手で包み、案内してくれる兵士の後を追いかけた。
部屋に到着すると、転送技師らしき兵士が床に線を引いていた手を止めてメルルーシェに会釈をする。
「西のハプシェンへの転送で間違いありませんか」
「えぇ」
転送魔具の中の鉱石を調節している手を眺めていると、困ったように荷物を順番に置くように指示された。荷物を分類して並べている内に用意が整ったらしく、転送時の詳しい注意点等の説明が始まった。
「この書類に押印を」
手際よく荷物を魔具に乗せていくと、書類を手渡される。
書類には身体への影響があった場合にも軍は責任を取ることはない、といった内容がつらつらと書かれていた。少し気が重くなりつつも、針を刺して指の血を書類に擦りつける。
いよいよ西に向かうのだ。
ラミスカは危険な場所で元気に過ごせているのだろうか。
友人が出来て楽しそうに過ごしているならば、メルルーシェは静かに去るつもりだった。緊張しながら指示されたとおりに線の引かれた場所に立つ。
「はじめて転送される兵はよく転送酔いを起こします。
到着後に渡されるミーヒェの葉を嚙んでください」
ミーヒェという薬草はエッダリーでは見たことがなかったが知識としては知っていた。馬車の酔い止めや気付けに使われるヤックが北の地方で採れる似た効能の草だ。
あっという間に立ち位置を定められて部屋から兵士が居なくなった。緊張する暇もない手際の良さに驚きながらも手ぶらで立ち尽くしていると、視界がみるみるうちに歪み始めた。
真っ白に点滅する視界と割れるような頭痛に、立っていられないかもしれない、としゃがもうとした瞬間ぐるっと数回転したかのような感覚に襲われて、気付いたときには地面に手をついていた。
顔をあげると淡い緑色の髪をした青年兵が自分に葉っぱを差し出していた。
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