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4章 われても末に

カシムとエジーク

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エジークは寡黙な、カシムは調子の良い兵士だった。ハーラージスの直轄隊ということはふたりとも相当な手練れなのだろう。体格の良いエジークは、ベルへザード兵には珍しい大剣を背中に背負っていた。それに比べるとカシムは小柄ではないが身体の線は細い。

観光案内人さながら調子よくウダルの紹介をしてくれるカシムに相槌を打って、エッダリーとはまた違った趣の神殿を見上げていた。

3人はケールリンに向かう手前にあるウダルに到着し補給を行っていた。
神殿に気付いたメルルーシェが足を止めたため、カシムが嬉しそうに自分の知識を熱弁し始めたのだった。

「お詳しいのですね、ありがとうございます」

メルルーシェが知りたいことを1から10まで答えてくれるカシムの存在はありがたかった。この神殿に奉られている神について教えてもらってお辞儀すると、カシムが一瞬固まって嬉しそうに口元を緩めた。

「ゼス候補兵も神殿にはよく足を運んでいますよ」

カシムの何気ない言葉でどきっとする。

「そうですか…」

エッダリーには神殿がなかったため一緒に神殿に行くことは出来なかったが、沢山神の話を聞かせたから興味があったのかもしれない。何となく嬉しくて口元が綻ぶ。

「おふたりはラミスカの事をよくご存知なんですね」

他にももっと聞かせて欲しい。ラミスカが数年でどんなものを見ていたのか。どんな風に成長したのか。メルルーシェが躊躇いがちに尋ねようとするとエジークが遮った。

「俺は知らん。ガキの監視はこいつの役目だ」

「エジーク!監視って言うなよ、メルルーシェさんが心配するだろう」

カシムが小声になっていない声でエジークを睨みつけてからメルルーシェに微笑みかける。

「俺たちがゼス候補兵を見守っていたのは訓練学校の卒業までなんですよ。ケールリンに出兵してからは彼は上官について色々動いていたので久しく会っていないんです」

「そうなのですね」

1年単位で近くにいる人間が替わっているのは、ラミスカにとっては都合が良いことかもしれない。どれだけ成長しているか分からないが、順当に数えるならばラミスカはまだ10歳なのだ。

最後にラミスカを見たときには15.6歳程に見えた。メルルーシェが火傷を負って療養を始めてからあまり町を出歩かないようにしていたらしいので、町民は気付いていなかったかもしれないが、少なくともスーミェやユンリー、アルスベルは何か勘付いていたかもしれない。3人ともメルルーシェにその話題について終ぞ尋ねることはなかったが。

「ラミスカは今はこの町を離れているんですよね?」

「そうですね。詳しい任務先は俺たちも知らされていないんです。
ダリ魔法連隊長と共に任務にあたってるってくらいしか…」

申し訳なさそうに告げるカシム。
メルルーシェは以前、ハーラージスからラミスカを秘密裏に諜報活動に加担させていることを聞き出したが、ふたりは本当に知らないようだった。

「待っていれば会えるでしょうから、お気になさらないで」

メルルーシェは、ハーラージスからケールリンの前線で戦う兵士の癒しを行うように命令を受けてこのケールリンに足を運んだ。と言ってもそれは体裁としてでしかなく、実際の目的はラミスカを連れて戦場を離れることなのだが。

「お待たせしてしまいましたね。神殿にはまた個人的に寄りますから、ひとまずケールリンへ向かいましょうか」

メルルーシェの言葉に頷いたふたりは馬車を手配するために動き出した。


久しぶりに外の景色が見える普通の馬車に乗って、少し浮かれて外を眺めていたメルルーシェにカシムが声をかける。

「滞在先ですが、駐屯地に身を置かれるおつもりですか?」

「そのつもりです」

「女には危険だぞ。こっちの地方は特にな」

珍しく口を聞いたエジークに驚く。警告してくれる所といい、実は紳士的なのかもしれない。

「問題ありません。癒し魔法を使っている最中でなければ自分の身は自分で守れますから」

何度も寝込みを襲われるときの想定での訓練はしてきた。アルスベルに付き合わせることになってしまったことは言うまでもない。アルスベルは最初こそ難色を示したが、軍に身を置くというメルルーシェのために真剣に付き合ってくれた。

カシムが意外そうに顔を傾けてから呟く。

「そんな気を張っているのは大変だ。
何処か宿を代わりに取ればいいのでは?
ウダルのゼス候補兵の家に…いやそれはだめだ」

口元を歪めてぶつぶつと呟き始めたカシムに微笑む。

「ご心配ありがとうございます。けれど急襲に備えるために来ましたから。癒し魔法の使い手が到着まで時間がかかるなんて、本末転倒でしょう」

「そうですね。俺がお守りしますよ」

カシムが調子良く笑う。エジークは黙ったままメルルーシェを一瞥した。


一瞬殺気を感じて身体を強張らせて身を捩った。
顔のすぐ隣にエジークの大きな拳が当てられていた。

「ほう、確かに大丈夫そうだ。見張りはいらんぞカシム」

「お前何してるんだ!彼女を殺す気か?」

カシムが隣に座るエジークの耳元に噛みつく勢いで激怒するのを、苦笑しながら仲裁する。

「まぁまぁ、私は大丈夫ですから」

動き出しが殆ど見えなかった。ふっと息を吐きだした。

「肝の据わった女だ」

エジークがふん、と鼻を鳴らして笑った。

(大丈夫。自分の体術は、魔力操作は、多少なりとも直轄隊の兵士にも通用する。やっていけるわ、気を強く持つのメルルーシェ)

自分に言い聞かせるように、跳ね飛びそうな心臓を落ち着けた。死に物狂いで努力したとしても、たった3年なのだ。もしもハーラージスが自分を裏切ってラミスカ諸共に消そうと動くならば、自分はこの人たちとも戦う必要がある。気を張っている必要があるのだ。

エジークがカシムに離れて座るように怒られているのを見つめながらゆっくりと息を吐いた。

この3年で死の間際に立たされることはなかった。夢に現れた死の神は、本当に夢だったのではないかと思ってしまうほど。ただ、あのとき歩いた踏み石の肌ざわりや、肌を撫でた風の匂いを、そして感じた神の圧を今もまだ感覚が憶えていた。

気を引き締めなければならない。ラミスカを昔の悲しみに引きずり込もうとする場所から遠ざけるまで。

(安穏の神よ、どうかお守りください)

そっと目を伏せた。



ケールリンに到着すると、湖と採掘場が広がっていた。

「わぁ」

崖下に広がる美しい青緑の湖に感嘆の声を漏らす。

湖の奥には雑木林が広がっている。メルルーシェたちが立つ湖の手前側は、段々になっている崖のような場所だ。窪んだ大地が広がっていて、所々に空いた穴がトンネルになっている。散らばった仮設小屋の近くでダテナン人鉱夫が働いている様子が上からでも見えた。


第6師団が駐屯する大きな兵舎に到着すると、カシムがハーラージスの指示書を手に副官を探しに行った。

残されたエジークが腕を組みながら、メルルーシェは隣で立ったままカシムの帰りを待った。兵士達が物珍しそうにメルルーシェのことをちらちらと見ながら通り過ぎていく。

エジークは仮面魔具に手を当てて顔を露わにした。想像通りの厳しい顔つきが現れ、風を感じたかったのだろうか、少し目を閉じて深く息を吸い込んでいるようだった。

「本気で脅すつもりで手を出した。お前自身のためにな。
誰に師事したんだ?」

エジークがぼそりと呟いた。馬車で見せた動きについて尋ねられているのだと理解して、答えようか戸惑う。アルスベルは軍につてがある元軍人だと言っていたが、名前を告げても分からないだろう。

「名前を告げても存じ上げないと思います。
エッダリーの町の魔具技師のアルスベル・ロランという方に…」

「アルスベル・ロラン…だと?」

顔をあげたエジークの薄茶色の瞳が見開かれていた。

「その名前を知らない奴の方が珍しいぞ。ダテナン戦争の英雄と呼ばれる名誉ベルへザード魔導兵のひとりだ。お前知らずに師事していたのか?」

初めて饒舌に話すエジークに気圧されながらもこくりと頷く。アルスベル自身も話したがらなかったこともあり、軍にいたときの話は聞いたことがなかった。

「まぁ今の若い兵は知らない奴も多いが…呆れたもんだ。
自分の環境に感謝するんだな」

名誉ベルへザード魔導兵と呼ばれる称号はメルルーシェも知っていた。軍に入ってから学んだことだが、兵士は皆それを目指しているようなものだ。

具体的にアルスベルが行ったことについて尋ねようとして口をつぐんだ。

ダテナン戦争で英雄と呼ばれるということは、きっと沢山の死を乗り越えたのだろう。味方も、敵も。どんな経験をしたのだろう。どんな気持ちで、軍を辞めて魔具技師を始めたのだろう。


「お待たせしました!とりあえずこっちでは8隊に就くようにとの指示で、部屋も仮設じゃない所貰ってきましたよ。って…お前珍しく仮面を外して、何だ…もしかして口説こうとしてたんじゃないだろうな」

カシムが戻ってきて軽い調子で報告を始めた後、エジークに詰め寄り始めた。
軽口をうざそうにあしらうエジークと、食い下がるカシムのやりとりに流され、アルスベルについて尋ねる間もなく移動を開始することになった。


案内された部屋に荷物を下ろして大きく伸びをする。馬車を乗り越してきたとはいえ、新しいラミスカの義脚はずっと背負っているには重かった。

扉を叩く音に「どうぞ」と返事をする。

腹鎧を外して身体の柔軟をしながら振り返ると、カシムが口をぽっかりと開けて見つめていた。

常識的にははしたないことだったと思い出して、慌てて謝って取り繕う。

「ごめんなさい私ったらいつもの癖で。見なかったことに」

カシムが赤らめた口元をぱくぱくとさせて頷いた。


そして隊に挨拶を行い、癒しを行ったり兵士と採掘場を巡回したりと忙しい時間を過ごして、ケールリンに来て2日が過ぎようとしていた。

「採掘場の巡回に出ている可能性があるな」

「候補兵はどの隊についてるか分からないぞ」

カシムとエジークの会話を聞きながら夕食を取る。ふたりが待機してくれていたものの、結局ラミスカが戻る気配はないまま2日目の幕が閉じた。



夜明け前、ケールリンは突如戦場と化した。

けたたましい警鐘の音で起きたメルルーシェは、すぐに軍装を身に纏い部屋を出た。隊毎に集められて、未だ暗い色の空の下で方々に置かれた灯りが道を照らす中どよめきが起こる。

「何だあの数は」

崖を登ってくる魔兵器を見た兵士が、感情の籠らない声で呟いた。
既に見張りだった隊は崖側で戦闘を行っていて、今すぐにでも囲まれそうだった。

《第2拠点を緑方面に30ミュル四方とする…》

音波増強で聞こえてきた声には緊迫感が漂っていた。拠点の位置と向かう隊の指示が続けられ、師団長補佐官の指示が確定した隊はすぐに移動を開始した。第6師団は師団長不在にもかかわらず統率と連携が取れている。メルルーシェが見てきた第2師団とは動きの質が違っていた。

《5.6.7.8隊は第3拠点に移動》

指示がでた瞬間、各連隊長がてきぱきと自分の隊に陣形を指示する。

「拠点へ移動するまで癒し手を守るんだ」

軍で呼称される癒し手とは隊の薬類管理を含む衛生兵全てを指す。メルルーシェを含む10人程度を中心とした隊列が組まれて採掘場に向かって移動を開始した。

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