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4章 われても末に

家族と夫婦の違い

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『一時休戦だ。我がベルへザード国とロズネル公国は現在交渉を続けている』

ゾエフ第6師団長からの通信が届いたのは夜が明けてからだった。

西側の守備に割かれた第4.5.6師団の中でも、ケールリン防衛戦を担って最初に敵と交戦した第6師団の被害は甚大で、ハーラージス・ゾエフ率いる第6師団は休戦中の療養を言い渡された。

メルルーシェはラミスカを見つけるためケールリンに出発していたので知らなかったが、第2師団はファリス第2師団長の悪事が暴かれ、師団は混乱を極めていたらしい。新しいドレグ選びにもまた論争が巻き起こっているそうだ。

兵役を終えられる予定だったラミスカだが、その後の事は特に考えていなかったらしい。エッダリーに少しメルルーシェたちの様子をうかがいに行きたいとは考えていたらしいけれど、会って話す気はなかったらしい。二人揃って同じようなことを考えていて苦笑してしまったメルルーシェだった。

退役する間もなく、ロズネル公国からの本格的な襲撃で始まった戦争に巻き込まれてしまったのはメルルーシェも同じだった。

昨夜は、このまま国を離れるかという話で意見が割れた。どれだけ話し合ってもふたりの意見が交わることはなかった。ラミスカはメルルーシェだけ戦場から遠ざけて、自らは戦争に身を投じようとする。メルルーシェはラミスカが一緒でなければ国は離れない、という一点張りだった。


取り合えずふたりは、療養のためにケールリンの南にあるアガテナという街に向かった。ケールリンに程近いウダルやオクルには別の師団が駐屯しているので、第6師団の多くはアガテナで療養することになったからである。

ラミスカは前に一度この街に来たことがあると話していた。

ロズネル公国の攻撃から防衛に成功したとあり、街はお祭りのような雰囲気に包まれていた。いつ開戦するかも分からない不安を誰もが抱えているはずなのに、街は明るく賑わっている。

北の軍用宿舎はもう満員だと断られたため、ふたりはしばらく寝泊まりが出来る宿屋を探していた。

「宿屋なら何処でも休ませてもらえるはずよね」

「そのはずだ。協力要請が出ているからな」

最低限の荷物を背負ったラミスカが、きょろきょろと周りを見渡しながら答えた。エッダリーから持ってきたアルスベル作の新しい義脚を装着している。とてもしっくりくるらしく、渡したときは目を丸くして驚いていた。

「お兄さんたち、お疲れ様」

ふくよかな女性が通り際にラミスカを見上げ、メルルーシェに目を向けて微笑む。

ふたりとも療養のため仮面魔具は装着していないが、いざという時に備えて軍の腹鎧を装備しているからだろう。アガテナの街はウダルと同じようにダテナン人も多く生活しているが、誰もが皆兵士を見ると称え労った。

通り過ぎる人々が同じように声をかけてくれるので、ラミスカが戸惑っていた。

「こんなに感謝されるのは初めてだ。
国を救った気になるな」

小声で告げるラミスカと顔を見合わせてくすくすと笑う。エッダリーでは考えられなかった光景に少し胸がじんわりとする。


しばらく歩いていると人の流れが多い市場に着いた。懐かしい匂いが漂ってきて匂いの元を辿るように鼻をひくつかせる。

「ねえ、懐かしい匂いがしない?少しお腹が空いてきたわ」

ムチ焼き串に違いない。
甘辛い肉で挟まれた焼き色の付いたムチの実を想像して唾を呑み込む。

「探してみよう」

ラミスカが何故か少し笑っている。

(この子は少しずつ笑えるようになったんだな。)

ラミスカの変化を見つけて、少し寂しいような嬉しいような複雑な気持ちになってばかりだった。変わったところもあれば変わらないところもある。自分のことを“俺”と言うようになったし身体も信じられないほど大きくなったけれど、小さい頃から不愛想なりにも優しい心根が見える所は変わっていない。

人を避けて歩く内に目当ての屋台を見つけた。列が出来ていてふたりもそこへ並ぶ。

「ムチ焼き串を2本ください」

順番になってメルルーシェが注文すると、人の好さそうなダテナン人の店主がにこにこと3本目の串を取り出した。

「はいよ、可愛い奥さんにはおまけでもうひとつつけよう。こっちはダテナン産のコニカを使った酸味のある焼き串だよ」

自国産のお勧め串をうまく試食させる店主。食べてみて気に入ったら次回から買ってくれる客が増えるのだろう。

「まぁ、ありがとう。だけど奥さんじゃないわ」

一々否定するのも気が引けたが、ラミスカは誤解を嫌がるかもしれない、と考えて一応否定する。

「おっと恋人だったかな」

悪戯っぽく笑う店主から串を受け取って困ったように笑う。ラミスカは否定することなく無言で串を受け取ってお金を払った。ラミスカにお礼を告げて場を後にする。

初めてラミスカに買ってもらった串焼きだ。ほくほくしながら串にかぶりつこうとするも、人通りが多く肩が当たったりして危険なのでやめた。

「落ち着いて食べられないし移動しましょうか」

頷いたラミスカと共に歩いていると様々な屋台から声をかけられて、結局手にいっぱいの食料を持って市場を抜けたふたりだった。

噴水のある広場に出て、座れそうな場所を見つけて一息つく。

「張り切って沢山買ってしまったわ」

身体の大きなラミスカがお腹を満たせる量を考えて多めに買ったのだが、よく考えるとどれも自分が食べたいと思った物ばかりだった。いい歳をして恥ずかしさで俯いていると、ラミスカが串焼きを差し出した。

「食べて」

受け取ってかぶりつくと、甘辛い肉汁とムチの実の果汁が口の中で広がって思わず笑みが漏れてしまう。

「おいしい」

もちもちとした食感を楽しんで、次から次へとぱくぱくと口に運ぶ。

「あぁ、薬屋の帰りによく食べた」

ラミスカが頬張りながら横向きに串を引っ張る。

「あっ。外で食べるときはいつもお祈りを忘れてしまうのよね」

メルルーシェが慌てて手を合わせると、ラミスカも倣って手を合わせた。

「「日々の糧を与え給う恵みの神リディーヴィエに感謝いたします」」

こうしているとふたりで生活していた毎日を思い出して、しんみりとしてしまった。今は自分の家を持たないけれど、戦争が落ち着いたら湖の近くにでも家を持とう。


ある程度お腹を満たしたふたりは、残りの食料は夜に回すことにして宿屋を探すために歩き始めた。歩き出してすぐに見つけた宿屋でも満員で断られ、ラミスカの提案で東側に近い方面へと向かった。3軒ほど回ってもどの宿屋も満員だと断られて肩を落とす。

裏通りに質素な宿屋を見つけて、食料をラミスカに持ってもらって外で待っていてもらうと、空いているかどうかを聞きに中に入った。

鈴の音で、頬杖をついた中年の男性が顔をあげた。首から下げていた軍のプレートを見せて2つ空き部屋があるか尋ねるも、首を横に振る。

「1人部屋は皆あんたのお仲間に使われちまってる。空きは2人部屋が一室しかないんだ」

「分かりました。少し待ってください」

頷いてラミスカに聞こうと外に顔を出すと、眉間に皺を寄せたラミスカが誰かと話していた。豊満な身体の女性で色気が凄い。

「あの方はお元気?」

耳をそばだてると女性は知り合いのようだった。扉から出てラミスカに近付くと、女性がメルルーシェに目を留めた。

「メ、メルルーシェ」

ラミスカが珍しく慌てた様子でメルルーシェから女性を隠すように立ち塞がる。

「お知り合い?」

微笑んで女性に会釈をすると、ラミスカが気まずそうに顔を背ける。

「奥さんがいたのね」

そんなラミスカを見て少し驚いたように女性が呟いた。女性がメルルーシェに向き直って妖艶に微笑む。何となく何をしている女性なのかを察して妙な気まずさを感じる。

「これは、違うんだ、メルルーシェ」

何故か弁解しようとするラミスカに首をかしげる。ラミスカも大人の男なのだ。詮索はしまい。何となく寂しい気持ちを感じつつ、うんうんと頷く。

「ふふ、ごめんなさい。以前危険な所を助けていただいただけなの。奥様、誤解しないでね」

女性が面白そうにラミスカの様子を見て笑いながら「まぁ。奥さんと一緒だと雰囲気が随分と違うのね」と呟く。

女性は私達の邪魔をしたくない、という風にすぐに去っていった。肩を落とすラミスカは「任務中に会っただけだ」と何度も弁明を図っていた。

ラミスカは私に娼館に行ったと思われたくなかったのだと理解してくすっと笑う。

「いいのよラミスカ、それよりも部屋が一つしか空いてないそうなの。
この調子だと別の宿屋も一人部屋が空いてなさそうだけどどうする?このまま別の宿屋を探してもいいし、今日は疲れているだろうしここに泊まってもいいわ」

事情を説明すると、ラミスカは首をかしげた。

「部屋は一つでいいだろう。ここに泊まろう」

自分の身体が成長した自覚があるのだろうか。
言葉につまりながら「分かった」と告げて宿屋の中に入って、部屋をひとつおさえてもらった。

「夫婦かい。なら問題ないね」

軋む階段を登って通された部屋の扉を開けると、簡素な空間が広がっていた。一人用よりは気持ち大きめな寝台、小さい椅子と机、上には花瓶が立ててある。

机に食料を置いて、荷物は扉近くの床に置く。ベルへザードの一般的な宿屋と同じ造りで、小さな浴室があり中には古い浴室魔具が置いてある。

2日ほどケールリンのごつごつした地面で寝たこともあり、部屋の寝台に倒れ込むと一気に疲れが癒やされていくのが分かった。寝台はふたりでぎりぎり眠れるくらいの幅しかなく、ラミスカが横になれるように端に寄った。

まだ陽は登っていたが、ラミスカも腹鎧を外して隣で横になった。隣で人が寝ていることが懐かしくて口元が緩む。たとえ存在感というか圧が違っていても隣にいるのはラミスカなのだ。

お腹に手を回してくっついていた小さな頃のラミスカを思い出して懐かしい気持ちになる。

「よく夫婦に間違えられてしまうわね」

この街ではダテナン人とベルへザード人の結婚も珍しくないのだろう。市場で呼び止められるときは大抵“奥さん”だった。同じ軍の同僚と見られないことが不思議だ。

「別に問題ない。同じ家族だ」

ラミスカが上体を起こして果実を口に運びながらしれっと呟いた。寝台の上で何かを食べるなんて教育に良くない、と考えつつもラミスカはもう大人なのだと口を閉じる。

(同じではない気がする。)

ラミスカに楽しみに取っておいたおまけの串焼きを手渡されて、自分もかぶりつく。

認識について突っ込もうか悩んでいると、口元に手が伸びてきた。

口の端を指ですっと拭われて呆然としていると、ラミスカは無表情で指を舐めた。とてつもない羞恥心に襲われて固まる。まるで自分の方が子どものようである。

「かっ家族だけれど夫婦というのはまた別よ。
恋人同士が夫婦になって子どもを授かって家族になるの」

照れ隠しで半ばこじつけのような認識をまくし立てると、ラミスカは首をかしげる。

「夫婦と家族は別なのか?」

「夫婦っていうのはね、手を繋いだり一緒の寝台で寝たり、く、く口づけをしたり互いに触れ合ったりする相手のことよ」

メルルーシェの言葉に果実を頬張っていたラミスカが固まった。

「確かに私と貴方は家族だけれど、貴方はいずれ恋人を作って夫婦となり、その人と家庭を築くのよ。だから夫婦だと勘違いされるのは良くないわ」

ラミスカのためにも、自分のためにも言っておくべきだ。ちくりと痛む胸に気付かないふりをして淡々と告げる。

「そうか。だが俺はメルルーシェとずっと一緒にいる。
だから恋人は作らないし勘違いされても問題ない」

ラミスカは素っ気なく呟いて顔を背けた。心なしかラミスカの耳が赤いのも、自分の鼓動が早いのも気のせいだろう。身体だけ立派になっても心はあの頃の、子どものままだ。見た目が大人な分、自分だけがどぎまぎさせられるのだ。

この先成長したラミスカと共に暮らすということは頭にはなかった。頭の中で散らかった考えを放り投げて目の前の食べ物にかぶりついた。


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