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4章 われても末に
藍色の夜空
しおりを挟む「代わります」
交代の癒し魔法の使い手が現れてサークレットを外した。全身に疲労感を覚えながら、寝ずに番をしているラミスカを探して、ひと気の少なそうな高台をまわる。
大型魔兵器を破壊してから、魔兵器の襲撃は明らかに収まった。方々に見える灯り杖の暖かな光を見つめながらぎゅっと胸元で指を組む。
(安穏の神よ、どうかもう戦が始まりませんように。)
目を瞑るとあの光景が蘇る。
異様な熱に息苦しさを感じて癒し場を出ると、悲鳴をあげる兵士たちが氷魔法を発動させていた。拠点に今にも到達しそうな大型魔兵器と、それを抑えようとするラミスカの姿に息が止まりそうになった。
師団長直轄隊が討伐する目前でもう大丈夫だと、あれほど兵士たちは声を掛け合っていたのに。魔兵器の装甲が溶けだす程の炎を身体に纏ったラミスカは、途中で義脚も失った。
ラミスカを攻撃しようと大型魔兵器の身体から幾つもの足が放たれたが、何れもラミスカの身体に届くことなく溶けていった。どうやってあれ程の熱を生み出しているのだろう。身体に影響がなければいい。そう願いながら見つめるしかなかった。
槍の一撃で大型魔兵器が完全に破壊されたと理解できたはずなのに、メルルーシェを含む拠点の兵士たちは言葉を発せないまま立ち尽くしていた。
拠点に顔を向けたラミスカを見て、近くに立っていた男がぽつりと言葉を溢した。
「まるでダテナン戦争の悪夢の再来だ」
「あ、あぁ…」
メルルーシェが拳を握りしめたとき、癒し場の近くから歓喜の声が上がった。顔を向けると、一緒にこの拠点まで来た兵士たちだった。
「倒れたぞー!!」
ラミスカが背負った兵士、庇った兵士たちだ。
その歓喜の声は徐々に広がっていった。やりきれない気持ちが少しずつ溶けていくようだった。身を挺して何かを守る背中に、石が投げられることは耐えられなかった。
「よくやった!!!」
大型魔兵器を伝って降りるラミスカに、大柄な男が外套をかけたのが見えて鼻の奥が痛んだ。
ーーーダテナン戦争の悪夢
10年前にやっと幕を閉じた長い長い戦争。
身体を溶かす程の熱を操ったとされる炎魔法使いのニアハが、ダテナン人の偽神を葬りダテナン戦争は終戦を迎えた。
その狂ったニアハの近くにいる者は、敵も味方も関係なく皆殺された。
心を持たないその男は、酷く醜い顔で片足がなかった。ベルへザード人が蔑むダテナン人から生まれ、ダテナン人が最も重く考える同族殺しの罪を犯した神に忌み嫌われる者の象徴。
名誉ベルへザード魔導兵たちによって処分されたが、宵の国に迎え入れられることもなくその魂はずっと狭間を彷徨っていると言い伝えられている。
その物語を知ったのは、第2師団に所属して他の町の神殿に足を運んだときだった。言うことを聞かない子どもを脅すために恐ろしい話として語り継がれているらしい。
メルルーシェにはその話がすぐにラミスカの過去の話だと分かった。
ラミスカが過去の話を吐露したときのことが、メルルーシェはずっと心に引っかかっていた。
ラミスカにどんな言葉をかけたらいいのか分からなかった。ラミスカのことを想っていることは事実で、それは過去に何があっても変わらないと頭では考えているのに、抱きしめてあげるべきだと分かっているのに。
“あなたはラミスカだ”と言うことしか出来なかった。
実際の所自分は、ラミスカが見ず知らずの人間で、自分の知らない人生を送っていたということをうまく吞み込めなかったのだ。
ラミスカが出て行ったのはそんな自分の感情を察したからかもしれない。メルルーシェはずっとラミスカに謝りたかった。
灯り杖が一つだけぽつんと寂しそうに立っている高台を見つけて階段を登ってみる。
かちゃかちゃ、と音を立てる場所に顔を覗かせると、ラミスカが義脚を弄っていた。外套の隙間から見える上半身が灯り杖に照らされている。
顔をあげたラミスカがメルルーシェを見て目を丸くした。
「ここにいたのね」
視線を逸らしながら隣に腰かけていいか尋ねると、外套を寄せながら場所を空けてくれた。
「寒くはない?」
「平気だ」
しばらく静寂がふたりを包んだ。
「「あの…」」
メルルーシェが話し出そうとしたのと同時にラミスカも顔をあげて口を開いていた。
「ごめんなさい、どうぞ話して」
「あぁ、俺はいいんだ。メルルーシェの話が聞きたい」
久しぶりに会ったときは戦場で常に緊張感があったこともあり、特に意識することなく会話していたが、いざ二人きりで話そうとすると同じくらい緊張していることに気付いた。
「まずは、顔を、よく見せて」
少し緊張しながら明かりに照らされたラミスカを見つめる。
ラミスカはどう見ても大人の男性だった。
低い響きの声、筋肉質な身体、大人びた輪郭。緩やかにうねった髪は昔よりも色が濃く、目にかかるくらいの長さで、長い睫毛が頬に影を落としている。目元はすっかり大人になって印象が変わったのに、口元は出て行く前の面影がしっかりと残っている。
「本当に、大きくなったわね」
微笑むと、口元を引き結んだラミスカが顔を逸らして呟いた。
「俺にも見せてくれるか?」
顔を見せて欲しいと言われているのだと気付いて、一気に羞恥心に襲われる。甘えん坊だったけれど、見た目が完全に大人なので激しく動揺してしまう。
まだ10歳なのだと考えると不思議ではないけれど、前の人生も合わせると子どもでもないはずだ。
「えぇ」
混乱しながら答えると藍色の瞳と視線が交わった。
灯り杖に照らされてほんのりと熱を帯びた瞳は、輪郭を辿っていくように視線を落としていき、肩辺りで動きをとめて口を開いた。
「体術はアルスベルに師事したのか?」
「そうよ」
「……そこまで鍛えるのに随分長い時間訓練が必要だっただろう」
首元で視線を留めて手が伸びてきた。
鎖骨に触れるように指が滑ってくすぐったさに身を引くと、首元でスファラ鉱石の首飾りが揺れた。ラミスカが首飾りを気にしていたことに気付いて外す。
「留め具はまだ直してないの」
掌に転がしたスファラ鉱石を見つめるラミスカが呟く。
「メルルーシェ、この戦争が終わったらアルスベルと結婚するのか?」
ラミスカは幼い頃、アルスベルが絡むと癇癪を起こしたことがある。何となくラミスカがアルスベルに抱いている感情は、母親を取られたくない子どものようなものなのだと感じていた。
「いいえ。アルスベル様とはそんな関係じゃないわ。
……貴方を見つけてからは国から出るつもりでいたの」
「国を出る?何故だ」
「戦争から貴方を遠ざけたかった。ゾエフ師団長にも話を通したし、危ない場所から連れ出したかったの。友達や恋人がいるかもしれないから無理に連れて行こうとは思ってなかったのだけれど」
よく考えると突拍子もないことを言い出していることに気付いて口籠る。
ラミスカが何度か瞬きをして「そうか」と呟いた。
「終わったら話そうと言ってた事だけど……私は、貴方に謝らないといけないことがあるわ」
ずっと胸につき纏っていた苦しい思いが溢れる水のように零れていく。
「私……貴方が過去の話をしてくれたとき、なんと言葉をかければいいのか分からなかったの。貴方を大切に想う気持ちは変わらないと頭では考えていたのに、確信を持って貴方に伝えることが出来なかった。貴方が出て行ったのは……私のせいよね」
顔をあげたラミスカが苦しそうな顔で頬に触れた。指で涙を拭われる。
「違う。メルルーシェのせいじゃない。
俺の身体は…メルルーシェの魔力を奪っていた」
ラミスカが話す内容は、意識を失っていたメルルーシェにとっては初めて聞く内容だった。
火事の事件の後からメルルーシェの体調が優れなかったのは、ラミスカの身体がメルルーシェの身体から魔力を吸い取っていたからだと気付いた、とラミスカが溢した。
拾ったばかりの赤ん坊だったラミスカが自分の魔力を吸い上げたこと。メルルーシェの魔力とラミスカの魔力が繋がりを持っていること。不調の感覚が確かに一致することに思い当たって納得する。
ラミスカはそれに気付いたときどんな思いだったのだろう。誰にも相談出来ずに。
「俺の存在はアルスベルとメルルーシェの邪魔になると、思ったんだ。育ててくれたメルルーシェには幸せになって欲しかった」
溢れる涙で視界が霞む中、鼻声で呟く。
「気を遣わせて私は母親失格ね」
「……違うんだ。メルルーシェすまない。
あんな事は言うべきじゃなかった。
何度も何度も、傷付けてきた。母親じゃないなんて……」
項垂れて言葉を探すラミスカは、捨てられて親を待つ子どものような、悲しそうな雰囲気を纏った幼い頃のラミスカそのものだった。思わず抱きしめてあげたくなるのを堪える。彼はもう子どもの姿ではないのだから。
「息子だとは、言われたくないんだ。
昔の記憶があったから、ずっと女性として見てきた。俺にとっては家族だ。ふたりきりの家族」
言葉をゆっくりと選ぶラミスカは随分と大人びて見えた。
「大丈夫よラミスカ。そうね……家族」
きっとラミスカも心の内にずっと悔やんできたのだろう。暖かい言葉に古い傷が塞がっていくようだった。
「話さないとお互いが思っていることは伝わらないわ。
とても久しぶりなんだもの、沢山お話しましょう」
メルルーシェの言葉にラミスカが柔らかく微笑んだ。
ラミスカのぎこちない笑顔を見たのは随分と久しぶりだった。また溢れる涙を優しく拭われて、照れ隠しをするように笑う。
ふたりは空いた時間を埋めるように互いの生活を語り合った。
身体の成長については、運よく移動が重なったり周りにいる人間が替わったことで特に不審がられていないこと。訓練学校での生活、初めて友と呼べる者が出来たこと。
ラミスカを探すために第2師団に入ったこと。ユンリーが突然亡くなったこと。アルスベルに稽古をつけてもらった日々。
同じ混血の上官にケールリンに連れていかれたこと。ロズネル公国と通じているダテナン人の指揮官を探すべく、町人の信頼を得るために奔走したこと。自分が他人の命を奪ってきたことに身体が焼かれそうな苦しみを感じたこと。
任務で最北の町まで向かったこと。ひと悶着あって賊を退けたこと。癒し魔法で貴族を含む多くを救えたこと。癒し魔法の使い手として少し名を立てたこと。ハーラージスに謁見が叶ったものの怒りで魔力を当てて魔力酔いさせてしまったこと。
メルルーシェはラミスカの話を聞きながら時に笑い、怒り、泣いた。そんなメルルーシェをラミスカは穏やかな表情で見つめる。
時間はあっという間に過ぎて、朝日が登るまでふたりは寄り添っていた。
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