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5章 合縁奇縁
国会
しおりを挟む悪態をつきながら気だるい身体を起こしむず痒い頭を掻く。伸びをして顔を洗った後鏡に映る自分の顎を撫で回す。
カシムは相棒のエジークに叩き起こされて不機嫌だった。第6師団の療養とは名ばかりで、首都フォンテベルフに到着してからはずっとこき使われている。脇腹に受けた傷もまだ癒えきっていないというのに、己の主の人使いの荒さには溜息が漏れる。
とは言っても今が主にとって大変な時期なのはカシムも重々承知している訳で。
第6師団長直轄隊の兵であるカシムが、師団長ハーラージス・ゾエフを“指揮官”ではなく“主”と仰ぐのは、単に軍人としての上下関係に留まらないからである。
「エジーク、何故俺たちが会議に同行する必要があるんだ」
カシムの呟きは疑問というよりは愚痴に近いものだった。
エジークもそれを理解しているのか、扉に身体を預けて腕を組んだまま首をすくめて見せるだけだった。
「さっさとしろ」
髭を剃った後、水色の髪をかきあげて後ろに流す。薄い灰色の瞳と両目尻のほくろを眺め、顔の角度を変えて顔映りを確認していると、エジークが面倒くさそうに悪態をついた。
「猪のようなお前には俺の美意識など分からんだろう」
仮面魔具を装着して手をひらひらと煽る。
「女みたいに飽きもせず毎日鏡を眺めているお前の事など分かりたくもない。鏡を抱いて寝たらどうだ?」
ふっと笑ってエジークの肩を小突く。
「最近随分口数が増えたなエジーク」
「ほら、行くぞ。お前の大好きな護衛の仕事だ」
ふたりは互いに悪態をつきながら部屋を後にした。
カシムとエジークは基本的に外で会話をすることはない。彼らの主には敵が多く、誰に聞かれているか分からないからだ。主に充てがわれた執務室の扉を数回叩き名前を告げると、中に招かれる。
別の師団の仮面魔具を身に着けている兵士もいることから、既にこの執務室まで手が回っていることが伺える。
書斎机に顔を落としたハーラージスが顔を上げると、瞳に映していた静かな怒りが僅かに和らいだように見えた。ハーラージスがこの数日苛立っている原因をカシムは理解していた。
お気に入り、いや腹心とも言えよう混血のミュレアン・ダリが、第2師団の後釜のドレグに抜擢されたからだ。一見喜ばしい知らせだったが、内情は指揮系統の荒んだ師団の押し付けと、ハーラージスへの牽制であり嫌がらせだ。ダテナン人との混血が師団規模を統率するなど不可能に等しく、もし今の休戦が解かれ北側を指揮することになるミュレアンがその能力を疑われるような指揮をとれば、ミュレアンは罰せられる上にハーラージスも恥をかくという魂胆だろう。見せしめのようなものだ。
カシムにしてみれば、敵を見誤り自国内での立場や見栄を最優先とする貴族は、己の無能を晒しているようなものだと思ってしまうのだが。
ハーラージスに程近い者にしか知られていないが、ミュレアンは赤子の頃にハーラージスの父であるヴァリア・ゾエフが連れて来たらしい。ハーラージスは幼い頃からミュレアンを年の離れた弟のように可愛がっていたと聞く。
(主はさぞ腸が煮えくり返っているだろうな。)
「お前達は次の会議までの護衛だ」
カシムとエジークと交代する形で、師団長直轄隊員の2名がハーラージスに敬意を表して部屋を出ていった。
短く恭順の意を示し、立ち上がったハーラージスの両脇を守るように半歩下がった位置に立つ。
「カシム、脇腹の具合はどうだ?」
部屋を出ると、小さな声でハーラージスが尋ねる。
「殆ど治りました。運ばれた神殿に聖女が現れたので。重体の者も随分助かってましたよ」
カシムの言葉に苦笑した雰囲気のハーラージス。
「まさかあの癒し魔法の使い手か」
「えぇ」
主であるハーラージスを魔力酔いに陥れた癒し手、メルルーシェの穏やかな微笑みを思い出して口がほころぶ。彼女は神殿で脇腹を負傷して意識朦朧としていたカシムに治療を施した。
緩やかに弧を描いた優しげな淡い紫の瞳に見つめられて、彼女の魔力が身体に染み渡ってくるのは心地良かった。カシムがあえて声を出さなかったため、普段仮面魔具越しでしか接したことのないメルルーシェはカシムに気付くことはなかったが。
“ゆっくりお休みなさい”
そうかけられた声に、瞼に触れた冷たく柔らかな指に、顔も知らぬ母を思い起こした。
「彼女の魔力で酔うなんて、人生損してますよ。あんなに気持ち良いのに」
ハーラージスが馬鹿にするように鼻で笑った。
「それで、あの親子はまだ軍を離れていないのか?」
「どうでしょう」
「あれはいい戦力だ。国外に逃がすのは惜しいがな」
主は何だかんだと言って混血児のラミスカを気にかけている。
カシムがラミスカの身体の成長が異常に早いことを報告しても、ハーラージスは眉一つ動かさず“そうか”と返し、周りに勘付かれないように情報を刷り込むよう命じた。カシムの好奇心などハーラージスの命令の前では無も同然。早々に考えることを止めて命令に従った。
会場である議事堂の大きな扉と多数の兵士が見えてきた。
軍の一介の師団長であるハーラージスが国会に出席するのは、その高位の家門を背負う立場にあるからだ。
到着して入口の兵士に身分を告げると、魔法の使用を厳重に禁止され、携帯している武器の有無を確認される。まぁこんな身体検査では暗器を全て取り除くことは出来ない。魔法の使用を口頭で禁じられずとも、議事堂には魔力を抑制する魔具が設置されているのだが。
扉が開かれると、既に席についている貴族たちがハーラージスの登場にざわめき立つ。
「これはこれは、ごきげんよう閣下。遅い登場、最近のご活躍といい注目の的ですな」
席についたハーラージスに小声で嫌味を飛ばす隣の男は、ゾエフ家と同格のファーメリー家の当主だ。
「アムス、今にもはち切れそうだが…新調したらどうだ?」
ハーラージスが前を向いたまま机の下で腹鎧を指し示した。
笑いそうになったのを堪える。全く子どもじみた返しだ。
カシムはハーラージスという男の、一見冷徹で感情を持ち合わせなさそうに見えるのに、負けず嫌いで人間臭い部分が好きだった。
押し黙ったアムス・ファーメリーを眺めるも、主の言うとおり少々腹が出過ぎている。
新種の魔鉱石の発掘が原因で始まったこの戦争について、国の方向性を固めるために有数の貴族が集まって意見を交わす。カシムの興味の及ばない話ではあるため話は半分に聞きながら、ハーラージスに対して敵意を向ける者を見分け、観察することがカシムの行うべきことだ。
広い円卓に座る貴族たちの背後には各々の護衛が2名ついている。
全員が起立し神への祈りと宣誓を行って、その会議は幕を開いた。
徐々に白熱する空気はいつもの事だが、発言の頻度と様子を窺う視線の先を辿っていれば、どの家がどこと事前に話を通していたのかが見えてくる。
「そんな条件に従うなど、属国も同然ではないか」
「少なくとも魔兵器の製造技術をこちらに渡すように交渉するべきでしょう」
様々な声が飛び交う様にあくびを噛み殺していると、隣に立つエジークに足を踏まれた。
この勢いで周辺国が手を組むことを恐れて、大国ピシュドに助けを求めようとする派閥、即刻ロズネル公国に強い姿勢で挑み周辺国を牽制するべきだと主張する派閥、ロズネル公国の要望を呑んで穏便に済ませるべき、など僅か少数の上位の貴族たちの集いですら反応は多岐に渡る。
「しかし大国であるピシュドがあってこそのベルへザードですぞ。
今まで資源豊富なベルへザードが周辺国に潰されずに済んできたのは、我が祖国ピシュドの圧力があったからに他ならない」
大国ピシュドから遣わされている大使が尊大に告げると、明らかに主の機嫌が悪くなったのを肌で感じた。
「一つ、よいですか」
それまで黙っていたハーラージスが口を開いたことで注目が集まる。
「ジザ卿が仰るとおり、長きに渡って戦争を続けてきたこの国が結託した周辺国に襲われることがなかったのはピシュドという大国があったからでしょう。
だが今回、ロズネル公国が宣戦の布告も無しにケールリンの採掘場を襲ったのは何故だとお考えですか。公国に鉱物資源を奪われてしまえば、卿の母国へ納める魔鉱石の量も下がりましょう。なのに何故ピシュドは公国に圧力をかけないのです?」
「それは…。貴様は、己の国の未熟さ故に陥った出来事で、我が祖国ピシュドを愚弄する気か」
口籠もった壮年の男が結局言葉が見つからなかったのか、勢いに任せて捲し立てた。カシムの立つ位置からは見えないが、きっとその顔は真っ赤に染まっているのだろう。それを歯牙にも掛けないハーラージスの声が響く。
「大国のピシュドへ助けを求めろとは仰るが、この窮地は何故生まれたのですか?後がない状況で助けを求めて、靴を舐めろと言われればそれに従うおつもりですか」
ハーラージスの全員に語りかけるような静かな剣幕に圧され、ジザ卿は口を噤む。
「第6師団長の言葉も一里あるが、何とも確証もないことだ。我々は国にとっての最善を尽くすためにも、ジザ卿の言葉に耳を傾けなければならん」
この場でゾエフ家のハーラージスを“第6師団長”と呼称するのは、“政治も分からん若造が黙ってろ”というような意図を感じるが、発言者が権力を持つ老練なマガト家の爺ということもあり、ハーラージスも抜きかけた槍を収めた。
カシムはマガト家の護衛を目ざとく観察する。仮面魔具をつけているものの、以前とは違う護衛だ。こういう場に連れてくる護衛をころころと替える貴族は少ない。別の家門の間者である可能性もあるのだ。
「何も資源は魔鉱石だけではない。干ばつの続くピシュドでは、水魔法を扱うベルへザード人も貴重な人材だ。交渉の条件は他にも考えられる」
マガト家の当主が身に纏う礼服もどこか違和感がある。飛び交う会話を聞き流しながら、違和感の原因を探っている内に、会議は締め括りを迎えた。
立ったまま後ろ手に、手に収まる大きさの紙に指を走らせ報告を綴る。席を立たせるときに主に渡すとゆっくりと瞬いた。目を通したのだろう、議事堂を後にするとすぐさま紙を水魔法で溶かした。
礼服の裾を揺らし歩く主の背中を見つめる。
敵の多い人生を意識してなのか、40を過ぎても終ぞ妻を娶ることはなかった。女性という生物を愛するカシムには到底理解出来ない生き方だ。
主の執務室に近付くにつれ、周りの騒がしい兵士の気配もなくなり窓から見える緑が濃くなってきた。
階段を登りきると、扉の前で待つ3人の人影が見えた。
(噂をすれば。)
「リメイ、と…何の用だ」
前を歩く主が残りの2人を見て心底迷惑そうに呟いた。
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