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6章 宵の国と狭間の谷底

治療

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リエナータはメルルーシェの頭をそっと膝から下ろして、神官に背後から殴られそうになっているリメイを加勢するべく水魔法を飛ばす。

「リメイ!後ろよ」

いきなり名前を呼ばれて驚いている暇はない。リメイは取っ組み合っていた神官を押し倒して、すぐに転がって背後からの敵に受け身を取る。が、リエナータの水魔法によって弾かれた神官はリメイを通り過ぎて地に手をついた。

「レイネス!エレーン!目を覚ましなさい」

リエナータが叫びながら複数の水玉を2人の神官へ投げつける。

「……サイオンはどこ?」

嫌な予感に振り返ると、今にも自分の首を掴もうと腕を振りかぶった男性神官に息を呑むリエナータ。魔法を放つ間もなく大きな身体がのしかかってきて、乱暴に地面に叩き付けられた。

「リエナータさん!」

立ち上がったリメイがリエナータの加勢に加わろうと足を引きずりながら駆ける。

痛みに呻いたリエナータの顔に水魔法を放つ神官にリメイが水弾を打ち込む。神官の背中で水が大きく弾け、神官の身体が吹き飛ばされた。リエナータの手を取って立ち上がらせる。

大きく肩を上下したリエナータが水浸しの髪をかきあげて、立ち上がって交戦の意思を見せる神官たちを睨んだ。

「何か拘束できるものはないの?」

「ありません。気絶させるしかないです。
急がないとメルルーシェさんの蘇生が間に合わない」

当初の予定では心臓が止まったことを確認してからすぐにメルルーシェの身体を清め湯に運ぶつもりだった。

リメイが走ってきた神官の足に向かって、大きめの水弾放った後リエナータに向き直った。

「少し、少し時間を稼いでください」

リエナータは意を決した顔で背を向けた。

「メルを頼んだわ」

リエナータを中心に水柱が立ち昇り、3人に向かって勢いよく一気に広がる。その隙にリメイはメルルーシェに駆け寄って、その干からびかけた手を取って脈を確認する。

弱々しい脈動に眉を寄せるリメイ。

(まだだ、まだ息がある。もう少し待たないと。)

「リエナータさん!まだだめだ!僕はしばらくメルルーシェさんについてないといけない」

三人の神官の相手をリエナータ1人に任せなくてはいけない現状に拳を握りしめる。蘇生が一刻でも遅れると蘇生の成功率が下がってしまう。それだけは避けなければならない。

リメイがメルルーシェの触診を行う一方で、錯乱状態の3人の神官にリエナータが何度も声をかける。

「サイオン!目を覚まさないならエレーンにあの事を話すわよ」

水柱に巻き上げられた男性神官が、距離を詰めていたもうひとりの神官にぶつけられ共倒れる。エレーンと呼ばれた女性神官がリエナータに向かって幾つもの氷のつぶてを放ったが、リエナータが右手で制すると水に包まれた氷のつぶては軌道を変えて木々に刺さった。

リエナータの魔力とその戦いっぷりに関心しつつも、リメイはメルルーシェの身体を清め湯に限りなく近い場所へと運ぶ。メルルーシェの体内の魔力の流れを見るためにゼリャニンの葉をすり潰して軟膏を調合する。

「失礼します」

小声で断りを入れて中心よりの胸元、心臓のある位置に塗り込み、集中して魔力の流れを確認する。殆ど固まったように動かない魔力と心臓の鼓動がゆっくり止まっていくのを感じた。

メルルーシェの胸元に力なく垂れ下がっていたラミスカのスファラ鉱石の首飾りが音もなく砕け散って驚いたリメイだったが、とりあえずメルルーシェの両脇を掴んで清め湯へ浸からせる。

おそらくメルルーシェ目掛けて放たれたであろう氷のつぶてに、リメイが咄嗟に水の渦を作って応戦する。自分が想像していたよりも魔法の威力が高かったのは、清め湯で魔力が常に回復しているからだろう。

メルルーシェに視線を落としたリメイは、その身体に魔力が流れていくように注意深く手助けする。殆ど魔力を吸わないことに焦りを感じ始めていた折に、その心臓が弱々しくも鼓動を再開するのを確認した。

気色に溢れた声で報告する。

「リエナータさん!心臓が動き出しました!!」

顔を上げると鋭い氷が自分たち目掛けて降りかかろうとしていた。

「ッ!あなたたちを優先して狙うの。
あなた軍の癒し手なのよね?気絶させてしまっても治療してくれる?」

メルルーシェに向かっていた氷の軌道を間一髪の所で変えたリエナータがそう叫んだ。

リメイは迷った。
正直絶対と言い切れる自信はない。けれどためらった返事をすればそれこそ仲間と対峙しているリエナータは踏み切れないだろう。自分が準備してきた薬草類を正確に組み立てて一番成功率の高い方法を考える。

「頭に衝撃を与えてください。魔力酔いを引き起こさせることが最も安全です」

「魔力酔い?分かったわ」

唇を噛み締めたリエナータが、一際大きな水柱を作り出して3人の神官を順番に巻き上げていく。渦の中で激しく回転させられる神官たちの様子に、リメイも転送酔いの感覚を思い出して気分が悪くなりそうだった。

「そこまでに!」

息ができなくなってからの秒数を考えてリメイが声を上げると、水柱が勢いよく霧散し神官たちが投げ出された。

力なく地面に倒れ込んで動かなくなった神官たちに、息を整えたリエナータが夜空を見上げてぼそっとつぶやいた。

「碌でもない男だったわ」

かすかに聞こえてきたその言葉が誰に向けて放たれた言葉なのか、リメイは理解して苦笑した。

「リエナータさん、メルルーシェさんをお願いできますか?
僕が神官たちの様子を確認します」

魔力を取り込んでいて淡い光を放つメルルーシェの身体を、清め湯に足を踏み入れてきたリエナータが優しく持ち上げる。

しわしわで生気のなかった肌が徐々に回復の兆しを見せている。
痛ましげにメルルーシェの顔を眺めるリエナータが小さな声で「しわしわでもメルは可愛いわね、どうなってるのかしら」と呟くのでリメイは吹き出してしまった。

「あなた、足が…大丈夫?」

清め湯から交代で上がったリメイに、心配そうな目を向けるリエナータ。
神官たちが心配なのは他でもないリエナータだろうに。そう考えたリメイは柔らかい笑顔で微笑んで答えた。

「まずは神官たちです」

リエナータが目を丸めて足を引きずって歩くリメイの背中を見つめていた。乱戦で散った花々がそっとリエナータに触れて流れていく。

リメイが難しい顔でメルルーシェの容体を確認して俯いた。

「どうしたの?」

「あまり経過が良くありません。
魔力を吸い上げる速度が想定よりも遅い。
心臓が動いていることが救いですが、早く身体を正常に戻さなければ」

「私たちで魔力を取り込む手伝いをしましょう」

「そうですね」

リメイとリエナータは自分たちの魔力を膨らませてメルルーシェの身体に沿わせると、魔力の流れを後押しし始めた。どれくらい集中していたのか、リメイの制止でふたりは魔力を収めた。

枯れ木のようにひび割れていた身体が膨らみを取り戻し始め、顔にも生気が戻ってきている。

「もう大丈夫。出来ることは全てしたはずです。
あとはメルルーシェさんの意識が戻るのを待つだけ」

リメイの言葉に安堵の色を見出したリエナータは全身の力が抜けていくようだった。


「やっぱりロズネル公国との休戦が破られたの?」


何度目かの爆発の音がした方向へ怪訝な顔を向けるリエナータにリメイが小さく頷く。

何度も爆発が起こったし、リエナータたちも何らかの出来事を確認するために住まいの外に出てきていたのだろう。

「その通りです。本隊も最南端のモナティまで敵の手が及ぶとは予想していないでしょう。しばらく増援は絶望的です。今はラミスカが…1人で応戦しているはずです」

「そんな…」

驚きと心配で表情を曇らせるリエナータ。

「ラミスカは凄く優秀で強いんです。
僕なんか爪の先にも及ばないくらい。
だけど、1人でなんて戦わせられない。
メルルーシェさんの容体が安定したら僕も加勢に戻らなくちゃ」

リメイがメルルーシェの首筋に指を当てて、瞼を引っ張って瞳を確認する。

「私の神官たちも癒し場に運びたいし、助けを呼びに行きましょう。
そして私も手を貸すわ。きっとあなたよりは戦力になるはずよ」

きりっと言い放ったリエナータに、がっくり肩を落としそうになるリメイだった。
そういえば名前を呼ばれた、と淡い感情を胸に閉まって。

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