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6章 宵の国と狭間の谷底

援軍

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転送酔いで床にへばっている兵士を足で小突いたカシムは、到着したばかりのハッセルの時計台に顔を向ける。色ガラスはすでに日暮れを示す赤色の余韻を僅かに残して、宵の入方を表す紫を映し出していた。

「床に這いつくばってる時間はない。さっさと立て野郎ども」

エジークの喝によろよろと動き出す兵士たち。

転送直後には多少の休憩を取らせるものだが、この後馬車での移動を控えているためそれも必要ないだろうとカシムは考えていた。

一刻も早く南のモナティに向かって主の甥であるリメイ・ユールトの安全を確保し、最南端の防衛に当たらなければならない。

カシムは焦りが入り混じった主の指示を思い出す。


『最南端には一切防衛網を張っていない。お前たちが行け』


護衛に付き添った国会の閉会後、休戦の均衡が崩れるまで1日もかからなかった。
既に誰よりも早く休戦が解かれることを警戒していた主でさえ、各地のダテナン人の暴動と同時に国会からたった1日で休戦が破られることになるとは予想していなかった。

リメイがいるはずの最南端のモナティにまでは敵勢力が及ばないと判断した軍は、南へ割く兵力の殆どが南西に偏っていた。そこで動き出しが遅れたものの、南の警戒に当たるようにカシムとエジークを筆頭とした部隊を送り出した。

主の懸念が杞憂に終われば一番だが、今まで主の勘がてんで外れていたというためしはない。ごく少数の部隊だとしても、カシムとエジークを本隊の戦力から外すほど主の懸念は深いものだということだった。


馬の手配に向かっていた兵士が戻ってきてカシムに耳打ちする。

「ご命令の通り、装着魔具付きの馬車を1台と乗合馬車を2台手配しました」

装着魔具付きの馬車は先鋒のカシムとエジークが、速度の落ちる乗合馬車は兵士たちの移動に手配されたものだ。

火急の用ならば単体で馬を駆ることもあるが、基本的には馬を戦火に巻き込む訳にはいかないため、複数の馬を御者が連れ帰ることができる馬車での運用が望まれる。

エジークが小隊長に指示する様子を眺めながら装着魔具付きの馬車に乗り込むカシム。


暗くなってから馬車を走らせることは大抵の御者は嫌がる。軍の命令で駆り出されることになった顔色の悪い御者が先頭につくと馬車は動き始めた。

馬車に取り付けられた灯り杖のせいで、窓には仮面魔具を装着した自分とエジークの姿が反射している。煌々と照らされているはずの外を、目を細めて見入る。


「なんだあれは…」

南の方角で赤く染まる空に息を呑む。
カシムの視線を追って窓に近付いたエジークがぼそっとぼやく。

「既に交戦しているのか?まさかな」

仮面魔具を収納したため、その眉間に深い皺が寄っているのが見てとれる。
続け様に爆発音が起こって、カシムは唸るように呟いた。

「いや、そのまさかだな」

恐ろしさのあまり、灯り杖に照らされていても顔の白い御者に向かって速度を上げるように命じる。

モナティの町で既に襲撃が起こっている。
暗闇に紛れて魔兵器に襲撃されているのが、時折上がる火の玉に照らされて見えてくる。

「馬車を止めろ、ここで引き返すように後続に伝えろ」

カシムが声を張って御者に伝えると、エジークと共に地面に降り立つ。

「エジーク、俺は先に様子を見てくる。後の奴らを引き連れて来い」

「あぁ」

エジークの投げた灯り杖を掴んで脚力を上げて走り出したカシムに、岩石が飛んできた。後ろでエジークが現れた魔兵器に大剣を叩きつけている姿が小さく見えた。

町から少し離れたこの場所にも魔兵器がいる。爆音の範囲からしても、町は既に魔兵器の襲撃に晒されているのだろう。

思いのほか数の多い魔兵器に焦りを抑える。
町の門を潜ろうとしていた魔兵器に向かって凝縮した水魔法を放つ。中心部に穴を開けて倒れたその魔兵器を飛び越えて、他の魔兵器が向かっている方向を見定める。

一番高い建物で攻防が繰り返されているようで、どの魔兵器もその場所に向かって攻撃を仕掛けている。

(神殿に人が集まっているのか。)

そして恐らく交戦しているのは炎魔法の使い手であるラミスカ。

近くの木に登ったカシムは仮面魔具で神殿を注視した。
神殿付近にはカシムでさえ近づくことを躊躇うほどの数の魔兵器が蠢いている。幸い神殿の人々の魔力に意識が向けられているためカシムの存在は気付かれていない。
そこここに横たわる魔兵器の残骸の数に枝を握りしめる。既にこんな数と交戦しているなら体力は相当消耗しているはずだ。

助けに向かわなければいけないが、自分1人で突っ込んでも勝機はないことは明白だ。エジークと兵士たちの到着を待つしかない。

腹鎧に挟んでいた小筒を二つ取り出して水魔法で後方の空へと飛ばす。水玉がそれぞれ広範囲の地面に黄色と赤の模様を残す。エジークはすぐに理解するはずだ。


『動くな。控えた魔兵器の数が見えるな?
リメイ・ユールトを差し出せば神殿に手出しはしない』

突然魔兵器から拡張された耳どおりの良い男声と、その要求に冷や汗が流れる。

(あなたの勘はどうしてこう、外れないのですかね。)

『裏切り者のお前に関係はない。黙って差し出すんだ』

カシムのいる距離からは会話は聞こえない。拡張された声だけが聞こえる。

(早く。エジーク、頼む気を引いてくれ。)

木から降りたカシムが魔力を最小限に抑え平常心を保ちながら神殿の門まで近づく。魔兵器はまだカシムを知覚していない。

「お前が隠したとて、神殿にいる町人たちはどうだろうな」

話している男の姿を見て一瞬で繋がった。
ヤロン・ハニ。首都で拘束されている罪人アイラ・ハニの弟だ。主ハーラージスへの復讐か、いずれにせよ人質にするために甥のリメイを狙っている訳だ。

神殿の扉から数人の男が手を上げながら出て来た。
この状況なら町人もそうせざるを得ないだろう。
なんて後がない状況なんだ、と自嘲するように口元を緩めたカシムは、いつ加勢に向かおうかとラミスカの動向を見守った。下手に前に出ては邪魔になることもある。ラミスカの魔法は周りに人がいると真価を発揮できないものだとカシムは理解していた。

ヤロンが何かを小さく呟いて、魔兵器が何故か町人たちの方へ向いた。

魔兵器の足が町人たちに向かって勢いよく伸ばされた。

ラミスカは足に向かって走りながらヤロンに槍を投げようと振りかぶったが、何かを目にして動揺したように軸がぶれた。

(くそっ!まずい!!!)

あの槍はヤロンには当たらない。

すんでの所で町人の前に立ちふさがったラミスカの重心を見て理解する。受け身は取れない。魔法を使わなければ魔兵器の足を食らう。

カシムは凝縮した水を魔兵器の足めがけて放ったが、その軌道は変わることがなかった。ラミスカの鳩尾に魔兵器の足先が深く刺さっていく様子に息を呑む。

(どうなってるんだ、魔兵器を操作してるなんて。)

舌打ちをして魔兵器の足をかい潜りラミスカの元に駆ける。隠密に動くために魔力で身体強化は出来ない。自分に気付いたらしい一体の魔兵器に最速で短槍を振り抜く。

「あなた達は人質。アイラを開放してもらうためのね。
リメイ・ユールトの居場所を教えてちょうだい」

魔兵器に隠れて見えないが、女の声でそう聞こえた。

「この人はそのままにしておいて。とどめを刺すまでもないわ」

魔兵器ごと後ろから魔法で片付けたい所ではあるが、生捕にする必要があるため殺してしまう可能性がある選択肢は取れない。魔兵器の横を走り抜けて魔兵器の前に躍り出る。

主へ報告する問題が多すぎることに苛立ちを隠せないカシムだった。
一番の問題点は、問題の正確な報告が出来ないことだ。


大きな爆発音と共に視界が土煙で覆われる。
中から現れたがたいの良い男が魔兵器から大剣を引き抜いた。

(やっとか、エジーク。)

ラミスカの鳩尾に深々と刺さった魔兵器の足を短槍で裂く。ラミスカを背にヤロン・ハニに向き直った。隣に立っている先程までの会話の相手の女性はラルシェ・ハニ、アイラの奥方だった。

(こんな戦場まで出てくるとは余程切羽詰まっていると見える。)

「援軍だ。そいつを早く中へ運べ」

ラミスカの背後で腰を抜かしていた数人の男たちに、有無を言わさぬ声で命じる。カシムの声の鋭い響きに、まだ動ける男が引きずるようにして神殿内へと引っ込んで行った。

「さぁ次の相手は俺とそいつだ」


****


神殿内に運び込まれたラミスカの姿に、神殿司は言葉を失った。
鳩尾に深々と刺さった魔兵器の足は、本体から切り離されているのに音を立てて弱々しく動いている。その様子に礼拝堂内でも悲鳴が上がる。

暴走する町人の論争を止めることができなかっただけではなく、自分たちを守って戦っていた若い兵士が瀕死の状態に追いやられてしまった。

「援軍が来たみたいだ」

動揺した様子で外の状況を捲し立てる男に、鋭い視線を送る。

「オウレット卿、ここは神殿。次に勝手なことをした場合には、取り巻きの方々と共に外に出てもらう」

神殿司は氷で作り出した杖で地面を叩きつけた。
深く刻まれた皺から覗く鋭い光を秘めた瞳で見つめられて、オウレット卿と呼ばれた男、ロナードは背筋に冷たいものが流れた。

神殿内を守っているのは神殿司だ。何度も氷の壁を作り出して降りかかる瓦礫から町民を守っている。神殿から一歩でも出ようものならすぐに命を落とすことになるだろう。


神殿司が寝かされたラミスカの身体を癒し場に運ぶように指示し、数人がその身体を抱えたとき、癒し場の方から耳通りの良い声が聞こえてきた。

「誰か、手の空いている神官セティスたち、神の庭で倒れている私の付き人を運ぶのを手伝ってくれないかしら?」

リエナータだった。後ろにはリメイが付き添っている。

その身に纏う美しい純白の薄着は酷く汚れ、外で人に見せるような姿では決してない。後ろに立っていたリメイがすかさず近くにあった目隠し用のとばりをリエナータの肩にかけて全身を覆う。

リエナータは礼拝堂に集まった町人の数に驚いて固まっていたが、すぐに状況を理解したようで神殿司を目で探す。


神殿司を見つけて歩み寄ろうとしたリエナータとリメイの2人は、その手前で抱えられている血まみれのラミスカに目が止まった。

「ラ、ラミスカっ」

リメイが前につんのめりながら男たちに支えられているラミスカの傷を確認する。

ラミスカからひゅっひゅっと掠れた短い息遣いが聞こえる。リエナータが口元に手を当てて瞳を揺らしていた。

神殿司が神殿の状況をふたりに手早く伝える。
魔兵器に神殿が取り囲まれているため、神殿司の魔法が及ぶ範囲である礼拝堂に人々を集めていたようだった。

癒し場の魔具無しではあまりに痛むはずだと、ラミスカの状態を見たリメイは顔をしかめた。慰めるようにリエナータの肩を抱いた神殿司に、リメイが顔を向ける。

「傷があまりにも深い。急いで僕が治療を。
癒し魔法の使い手の方はいらっしゃいますか?」

裏門を通って癒し場の入り口を通って来たリメイたちだったが、メルルーシェを寝台に寝かせていたときもまわりに人の気配はなかった。リメイの声に1人手が上がり、神殿司の指示でリメイと共に癒し場に向かう。

「何人も彼の邪魔をすることは、この私が許可しない」

リメイと担がれたラミスカが去った礼拝堂で、傷を負った兵士の名に僅かに動揺した神殿司の重い声が響いた。



メルルーシェの隣の寝台に降ろされたラミスカは、既に意識はなかった。魔兵器の足を抜くことは出来ないため横に寝かせることが出来ない。寝台に座り斜めに壁により掛かるように固定した。

隣に寝かされたメルルーシェを見て心底驚いた顔で固まっていた癒し魔法の使い手に、リメイが柔らかく声をかけた。

「僕はリメイ・ユールトと言います。軍の薬類管理を担当、しています。あなたのお名前は?」

「ヘンリックです」

ヘンリックはすぐに切り替え、危険な状態であるラミスカに向き直って状態を確認しはじめた。

「ヘンリックさん、治療は僕が主導します。無茶をさせてしまうかもしれませんが、できるだけ言うとおりに従ってください」

リメイの顔を数秒見つめたヘンリックは、その真剣な眼差しに黙って頷いた。
ヘンリックに癒し魔法をかけ続けるように指示をすると、リメイは薬の調合を始める。

(君をこんな所で失いたくないよ、ラミスカ。)

魔兵器の足先が突き刺さっているため止血されていた部分から、とめどなく血が流れてくる。止血のためのコアトコの葉をすり潰して鳩尾に刺さった足のまわりに塗っていく。

「これはもう手の施しようが…」

魔力の流れを見たのだろうヘンリックが、集中を切ってそう漏らした。

「いいや、僕の薬とあなたの癒し魔法で何とかするんだ。そのまま円状に癒し続けてくださいヘンリックさん。大丈夫、僕の言う通りに進めて」

リメイは貫かれた部分から一度も目を離すことなく、淡々とそう告げた。リメイの気迫に言葉を失うヘンリック。

邪魔をしないように後ろで立ち尽くしていたリエナータに声をかけて、内蔵の再生を促す刻んだトメパムを瓶から出すのを手伝ってもらい、ヒュッセラの鱗粉と混ぜ合わせた。仕上げに魔力操作で光る性質を持つアヴァカンの粉を足す。

本心では泣き出しそうだった。ラミスカの膝にすがって、目を開けてくれとただただ頼みたかった。けれどラミスカを救えるのは自分しかいない。震える手で魔兵器の足に手をかけた。

「リエナータさん、抜くのを手伝ってください」

リエナータは震えながらも、リメイの言う通りに足を引き抜いた。

ラミスカの苦痛に喘ぐ弱々しい声と共に、噴き出した血がリメイの顔にかかる。
リメイは瞬きすることなく手をかざし続けて、自分の魔法で作り出した水で空いた穴を塞いだ。すぐにラミスカの血と混ざったリメイの水が穴にずっと留まっている。

穴に留まる血溜まりに、左手で調合した薬を流し込んでいく。流し終わると、ヘンリックの腕を掴んで中断させるリメイ。

「ヘンリックさん、次は生まれた血管を順に繋いでいきます。この部分です。ここから順にこう繋いでください」

リメイの指が動くのに合わせて光が細い糸を描く。驚きながらも頷いて集中し始めるヘンリック。

リメイの細かい指示に合わせてヘンリックが癒しを施し、薬が臓器を生成する手伝いをする。癒し魔法と薬を使えば、希望はある。


(ラミスカ、君を死なせたりなんてしない。)


集中するあまり身体から魔力がにじみ出るリメイのふわりと浮き上がった髪を、鋭い眼差しを、その横顔をリエナータは黙って見つめていた。


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