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序章 運命の夜
第一話
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「『存在感がない』という言葉はおそらく、私のためにあるんじゃないかな」と美美子は思う。「龍源寺美美子」というのが正式な名称なのだけれど、単刀直入にいって、どうしようないくらい名前負けしているような気がしてならない。
そもそも家は代々続くお寺や神社などでなく、ごく普通の中流家庭だ。会社員の父がいて、専業主婦の母がいて、少しばかりミーハーだけれど気前のよい姉がいる。ペットはいないが、家族仲はびっくりするほど良好だ。取っ組み合いの喧嘩はおろか、口争いだってほとんどしない。
つまり、──平和なのだ。龍源寺美美子の日常は。
しかし、ときどき困ってしまうことがある。
存在感があまりにもなさすぎるため、修学旅行先で点呼を受けられず、遠隔地で迷子になった。知り合いとスーパーマーケットに行った帰りも、店に置き去りにされた。クラスメイトからは、「龍源寺さんってさ、ほんと、ジミ子ってあだ名がよく似合うよね」とからかわれた。
そしてついには、教師からも「龍源寺ジミ子ー!」と呼ばれるようになった。彼女からしたら友好の証なのだろうが、あだ名をつけられた当人は、「すぐにでもやめてほしい」と毎日祈っている。
でも、「存在感がなくてよかったなあ」と思うことだって、たまにはある。たとえば、夜中、急に夜食が欲しくなって家を出たりしても、誰からも見とがめられない。両親は仕事で不在だし、姉は現在、隣町で暮らしている。
「真夜中に女子高生がたったひとりで外を出歩くなんて、危ないじゃないか」と困惑する者も、きっとどこかにいるだろう。
親や姉にばれたら、説教だけでは済まないだろう。
もしかすると、「夜間外出禁止令」を突きつけられるかもしれない。
危険ならば百も承知だ。
けれど、美美子は夜の散歩を大いに好んでいた。何者からも声をかけられぬこのひととき、──夢遊病者のようにあてどもなくさまようこのひとときこそが、美美子にとってもっとも価値ある時間であった。
学校や塾で数少ない友人たちと語らうのも悪くはないが、ひとりの時間を満喫する喜びには到底かなわない。
明かりを灯す住宅の窓をちらりと見やったのち、車道と歩道の分離された国道を南に下って、おはぎ屋さんの隣にあるコンビニにまで足を運んだ。
やはりというべきであろう。客の数はまばらであった。幸いにも、美美子の存在に気づいた者は若い店員ひとりだけのようだった。
夜出歩くとき、美美子は顔に化粧をする。マニキュアを塗って、飾り紐のついたミュールを履く。
もともと実年齢よりも大人に見られがちなので、いちいち着飾らなくてもよいのだが、習慣として定着しているのだから仕方がない。
店内をしばらく物色したのち、カップ入りのバニラアイスをひとつ購入し、店員の挨拶を背中で受け止めながら店を出た。
「すっごく楽しみだなあ。秋に食べるバニラアイスって、とってもおいしいのよね」
嬉しくて、つい、覚えたばかりの流行歌を口ずさんでしまった。もちろん、近所迷惑を考えて、声量をかなりしぼったのだけれど──。
「……ん?」
公園の前を通り過ぎようとしたそのとき、ジャングルジムの上に人影を見つけた。濃艶な金髪を腰近くにまで垂らした女の子が、黒くてぶよぶよした「なにか」と対峙している。
【続く】
そもそも家は代々続くお寺や神社などでなく、ごく普通の中流家庭だ。会社員の父がいて、専業主婦の母がいて、少しばかりミーハーだけれど気前のよい姉がいる。ペットはいないが、家族仲はびっくりするほど良好だ。取っ組み合いの喧嘩はおろか、口争いだってほとんどしない。
つまり、──平和なのだ。龍源寺美美子の日常は。
しかし、ときどき困ってしまうことがある。
存在感があまりにもなさすぎるため、修学旅行先で点呼を受けられず、遠隔地で迷子になった。知り合いとスーパーマーケットに行った帰りも、店に置き去りにされた。クラスメイトからは、「龍源寺さんってさ、ほんと、ジミ子ってあだ名がよく似合うよね」とからかわれた。
そしてついには、教師からも「龍源寺ジミ子ー!」と呼ばれるようになった。彼女からしたら友好の証なのだろうが、あだ名をつけられた当人は、「すぐにでもやめてほしい」と毎日祈っている。
でも、「存在感がなくてよかったなあ」と思うことだって、たまにはある。たとえば、夜中、急に夜食が欲しくなって家を出たりしても、誰からも見とがめられない。両親は仕事で不在だし、姉は現在、隣町で暮らしている。
「真夜中に女子高生がたったひとりで外を出歩くなんて、危ないじゃないか」と困惑する者も、きっとどこかにいるだろう。
親や姉にばれたら、説教だけでは済まないだろう。
もしかすると、「夜間外出禁止令」を突きつけられるかもしれない。
危険ならば百も承知だ。
けれど、美美子は夜の散歩を大いに好んでいた。何者からも声をかけられぬこのひととき、──夢遊病者のようにあてどもなくさまようこのひとときこそが、美美子にとってもっとも価値ある時間であった。
学校や塾で数少ない友人たちと語らうのも悪くはないが、ひとりの時間を満喫する喜びには到底かなわない。
明かりを灯す住宅の窓をちらりと見やったのち、車道と歩道の分離された国道を南に下って、おはぎ屋さんの隣にあるコンビニにまで足を運んだ。
やはりというべきであろう。客の数はまばらであった。幸いにも、美美子の存在に気づいた者は若い店員ひとりだけのようだった。
夜出歩くとき、美美子は顔に化粧をする。マニキュアを塗って、飾り紐のついたミュールを履く。
もともと実年齢よりも大人に見られがちなので、いちいち着飾らなくてもよいのだが、習慣として定着しているのだから仕方がない。
店内をしばらく物色したのち、カップ入りのバニラアイスをひとつ購入し、店員の挨拶を背中で受け止めながら店を出た。
「すっごく楽しみだなあ。秋に食べるバニラアイスって、とってもおいしいのよね」
嬉しくて、つい、覚えたばかりの流行歌を口ずさんでしまった。もちろん、近所迷惑を考えて、声量をかなりしぼったのだけれど──。
「……ん?」
公園の前を通り過ぎようとしたそのとき、ジャングルジムの上に人影を見つけた。濃艶な金髪を腰近くにまで垂らした女の子が、黒くてぶよぶよした「なにか」と対峙している。
【続く】
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