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第二章 恋に落ちた日
第十話
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「龍源寺さんは優しいね」巴が言った。
「昔、この手の話を先生に──中学校の先生にしてみたら、思いっきり否定されたよ」
「……いじめを受けたときに、聞き取り調査でもされたの?」
うなずきが返ってくる。
「よくわかったね」
「だって、上月さんが自分から先生に話しかけるところなんて、想像がつかないから……」
実際、巴はいつもひとりでいた。クラスの誰かに会話を持ちかけられても、曖昧な笑みで交わすのみで、自分のことを喋ろうとはしない。他人の話に関心を持つこともないから、相手に質問を突きつけたりもしない。
いつだって頼りない足取りで教室に現れ、淡々と授業を受けて、少しの間教室に残ってから──絵をしばらく描いてから学校を出る。居場所を失った幽霊のようにぼんやりと時を過ごしている。
そんな彼女が、自分のほうから教師の元に行くとは思えない。
──このように推理したことを率直に告げたところ、巴は「……なるほど」と短くうなずいた。
「龍源寺さんって、人のことをちゃんと見ているんだね。観察眼の鋭い人って、私、嫌いじゃないよ」
燃えるように輝く太陽が、教室の外より強い光を投げかけてくる。
上月巴の黒い瞳が、獲物にありついた野良猫のように妖しく光る。
「上月さんって猫みたい」美美子はぼそりと呟いた。「それも飼い猫じゃなくて、人になかなかなつかない野良猫ってかんじがする」
抱いた印象をそのまま声に出して伝える。
すると、巴が──声を上げて笑った。
まったく珍しい反応だった。普段の彼女からは想像もつかない笑み方であった。
「野良猫か……。うん、わかるよ。すごくよくわかる」
「わかるよ」といま一度繰り返したのち、彼女は画材をカバンにしまいはじめた。
「帰っちゃうの?」
「うん。そろそろ時間だし」
「いっしょに帰る?」
「遠慮しとく。これ以上、龍源寺さんの優しさには甘えるわけにはいかないし」
「別に甘えてきてもかまわないんだけどなあ」と思ったが、あえて口を閉ざした。上月さんには上月さんの考えというものがある。無理強いはよくない。上月さんが乗り気でないのなら、ここはおとなしく引き下がるとしよう。
「ありがとう、龍源寺さん。今日はいろいろ楽しかった」
学校指定の黒い通学カバンを持って、巴が席を立ち上がる。そしてゆっくりとした足取りで、教室の外へと出ていく。
ひとり室内に取り残された美美子は、「……夢でも見たんじゃないかしら」と呟いた。もちろん、返る声はなかった。
けれども、先刻巴が見せてくれた笑顔はいまだ、脳裏に根強く残っている。「人間は、暴力という病気に生まれつきかかっているんだよ」という声も。
上月巴と長話をしたのは、これが最初で最後だった。
だから、一年を過ぎたいまでも鮮明に覚えているのだ。彼女の声も、目じりに刻まれたかすかな笑みも、話の内容も、全部。
【続く】
「昔、この手の話を先生に──中学校の先生にしてみたら、思いっきり否定されたよ」
「……いじめを受けたときに、聞き取り調査でもされたの?」
うなずきが返ってくる。
「よくわかったね」
「だって、上月さんが自分から先生に話しかけるところなんて、想像がつかないから……」
実際、巴はいつもひとりでいた。クラスの誰かに会話を持ちかけられても、曖昧な笑みで交わすのみで、自分のことを喋ろうとはしない。他人の話に関心を持つこともないから、相手に質問を突きつけたりもしない。
いつだって頼りない足取りで教室に現れ、淡々と授業を受けて、少しの間教室に残ってから──絵をしばらく描いてから学校を出る。居場所を失った幽霊のようにぼんやりと時を過ごしている。
そんな彼女が、自分のほうから教師の元に行くとは思えない。
──このように推理したことを率直に告げたところ、巴は「……なるほど」と短くうなずいた。
「龍源寺さんって、人のことをちゃんと見ているんだね。観察眼の鋭い人って、私、嫌いじゃないよ」
燃えるように輝く太陽が、教室の外より強い光を投げかけてくる。
上月巴の黒い瞳が、獲物にありついた野良猫のように妖しく光る。
「上月さんって猫みたい」美美子はぼそりと呟いた。「それも飼い猫じゃなくて、人になかなかなつかない野良猫ってかんじがする」
抱いた印象をそのまま声に出して伝える。
すると、巴が──声を上げて笑った。
まったく珍しい反応だった。普段の彼女からは想像もつかない笑み方であった。
「野良猫か……。うん、わかるよ。すごくよくわかる」
「わかるよ」といま一度繰り返したのち、彼女は画材をカバンにしまいはじめた。
「帰っちゃうの?」
「うん。そろそろ時間だし」
「いっしょに帰る?」
「遠慮しとく。これ以上、龍源寺さんの優しさには甘えるわけにはいかないし」
「別に甘えてきてもかまわないんだけどなあ」と思ったが、あえて口を閉ざした。上月さんには上月さんの考えというものがある。無理強いはよくない。上月さんが乗り気でないのなら、ここはおとなしく引き下がるとしよう。
「ありがとう、龍源寺さん。今日はいろいろ楽しかった」
学校指定の黒い通学カバンを持って、巴が席を立ち上がる。そしてゆっくりとした足取りで、教室の外へと出ていく。
ひとり室内に取り残された美美子は、「……夢でも見たんじゃないかしら」と呟いた。もちろん、返る声はなかった。
けれども、先刻巴が見せてくれた笑顔はいまだ、脳裏に根強く残っている。「人間は、暴力という病気に生まれつきかかっているんだよ」という声も。
上月巴と長話をしたのは、これが最初で最後だった。
だから、一年を過ぎたいまでも鮮明に覚えているのだ。彼女の声も、目じりに刻まれたかすかな笑みも、話の内容も、全部。
【続く】
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