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第二章 恋に落ちた日
第十二話
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体育の時間、体操服に着替えて外に出た。
風は涼しく、日は暖かい。天をゆく雲は一朶とてない。抜けるような青空が一面に見える。平穏な景色を阻む要素はここにない。
美美子らの通う初海高は住宅街のど真ん中にあるが、幸いなことに事件事故とは無縁な学校であった。数年前、新聞に記事が大きく掲載されたことがあるのだが、その内容は不祥事などではなく、「吹奏楽部が全国大会への出場を果たした」という名誉あるものであった。
樹齢百五十年ほどの大木がどっしりと地に据わっている。青々と色づいた葉やたくさんの細枝を茂らせたその木の名前は、コナラという。
「へえ、すご~い! あの子って球技も得意なんだぁ」
大樹の木陰に座った美美子の左隣で、新が大声を上げた。
「さすがは神だね。勉強だけじゃなく、ソフトボールもできるなんてびっくりした」
美美子はマウンドに立つジュエルを見た。
いま、目の前ではM性たちによるソフトボールの試合が行われていた。M性もF性も元は同じ「女性」であるのだが、体力や腕力に大きく差があるということで、体育の時間は分かれるのが通例となっていた。
多くのF性が運動場を走る中、美美子と新は、コナラの木の下でジュエルの活躍を見守っていた。長距離走を走り終えた者は休憩をとっていい──体育教師がそう告げたため、木陰で休んでいるのであった。
M性たちの姿を見守る者なら、他にもいた。その中には、制服姿の上月巴も含まれている。彼女はもとより体が弱いらしく、毎回、体育の授業は見学しているのだった。
ジュエルが腕を回転させる。白球が横に大きく弧を描いて、ミットに吸い込まれていく。
審判役のソフトボール部員が高い声で「アウト!」と叫ぶと、キャッチャーを務めていた狭霧がにこりと笑った。
「神城さん、すごーい!」
「かっこいい!」
「私の彼氏になってほしーい!」
試合を見物していたF性たちが、黄色い声を上げる。彼女らの視線は、マウンド上のジュエルに釘付けだ。
「……」
──一瞬。
一瞬だけ、胸の奥が痛んだ。激痛でなく、針の先で刺されたような微細な痛みだったけれども、その感覚はいつまでも尾を引くように残った。
(……なによ)
美しいフォームで投球をする婚約者に、鋭い視線を向ける。
(わかってるわ。ジュエルはなにも悪くないの。私が勝手にすねただけなの……)
そうだ、悪いのは彼でない。彼の活躍に惹かれたF性たちでもない。勝手に嫉妬して勝手に落ち込んでいる自分だ。ジュエルからたくさんの愛をもらっているのに、まだまだ欲しがっている自分自身だ──。
(欲しがっている……? そうなんだ。ということは、私、ジュエルのことが──)
それから先に続く言葉は、あえて形にしなかった。そんなことはせずとも、答えは出てしまったのだから。
もし彼のことを「年下のかわいい友人」だとしか考えていないのならば、妬むことはないはずだ。落胆したりもしないはずだ。多くのF性が彼を見て大歓声を上げたとしても、笑って見守ることができるはずなのだ。
「ねえ、新」
美美子は、マウンド上のジュエルの姿から目を逸らさぬまま、隣にいる友人へと声をかけた。
「私……。
ジュエルに恋しちゃったみたい」
美美子は本音を口にした。
「はじめて誰かに恋をした」と自覚した瞬間でもあった。
【続く】
風は涼しく、日は暖かい。天をゆく雲は一朶とてない。抜けるような青空が一面に見える。平穏な景色を阻む要素はここにない。
美美子らの通う初海高は住宅街のど真ん中にあるが、幸いなことに事件事故とは無縁な学校であった。数年前、新聞に記事が大きく掲載されたことがあるのだが、その内容は不祥事などではなく、「吹奏楽部が全国大会への出場を果たした」という名誉あるものであった。
樹齢百五十年ほどの大木がどっしりと地に据わっている。青々と色づいた葉やたくさんの細枝を茂らせたその木の名前は、コナラという。
「へえ、すご~い! あの子って球技も得意なんだぁ」
大樹の木陰に座った美美子の左隣で、新が大声を上げた。
「さすがは神だね。勉強だけじゃなく、ソフトボールもできるなんてびっくりした」
美美子はマウンドに立つジュエルを見た。
いま、目の前ではM性たちによるソフトボールの試合が行われていた。M性もF性も元は同じ「女性」であるのだが、体力や腕力に大きく差があるということで、体育の時間は分かれるのが通例となっていた。
多くのF性が運動場を走る中、美美子と新は、コナラの木の下でジュエルの活躍を見守っていた。長距離走を走り終えた者は休憩をとっていい──体育教師がそう告げたため、木陰で休んでいるのであった。
M性たちの姿を見守る者なら、他にもいた。その中には、制服姿の上月巴も含まれている。彼女はもとより体が弱いらしく、毎回、体育の授業は見学しているのだった。
ジュエルが腕を回転させる。白球が横に大きく弧を描いて、ミットに吸い込まれていく。
審判役のソフトボール部員が高い声で「アウト!」と叫ぶと、キャッチャーを務めていた狭霧がにこりと笑った。
「神城さん、すごーい!」
「かっこいい!」
「私の彼氏になってほしーい!」
試合を見物していたF性たちが、黄色い声を上げる。彼女らの視線は、マウンド上のジュエルに釘付けだ。
「……」
──一瞬。
一瞬だけ、胸の奥が痛んだ。激痛でなく、針の先で刺されたような微細な痛みだったけれども、その感覚はいつまでも尾を引くように残った。
(……なによ)
美しいフォームで投球をする婚約者に、鋭い視線を向ける。
(わかってるわ。ジュエルはなにも悪くないの。私が勝手にすねただけなの……)
そうだ、悪いのは彼でない。彼の活躍に惹かれたF性たちでもない。勝手に嫉妬して勝手に落ち込んでいる自分だ。ジュエルからたくさんの愛をもらっているのに、まだまだ欲しがっている自分自身だ──。
(欲しがっている……? そうなんだ。ということは、私、ジュエルのことが──)
それから先に続く言葉は、あえて形にしなかった。そんなことはせずとも、答えは出てしまったのだから。
もし彼のことを「年下のかわいい友人」だとしか考えていないのならば、妬むことはないはずだ。落胆したりもしないはずだ。多くのF性が彼を見て大歓声を上げたとしても、笑って見守ることができるはずなのだ。
「ねえ、新」
美美子は、マウンド上のジュエルの姿から目を逸らさぬまま、隣にいる友人へと声をかけた。
「私……。
ジュエルに恋しちゃったみたい」
美美子は本音を口にした。
「はじめて誰かに恋をした」と自覚した瞬間でもあった。
【続く】
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