かけがえのない君に告ぐ

春原しずく

文字の大きさ
103 / 103
終章 かけがえのない君に告ぐ

かけがえのない君に告ぐ

しおりを挟む
自宅の縁側えんがわに美美子は座ると、青く澄みわたる空を仰いだ。
公園での闘いから三週間が過ぎたが、いまだ学校には行かずにいた。
ジュエルの精神世界に侵入したため、気力も体力も限界近くまで使ってしまった──それが理由で、しばらくの間、療養生活りょうようせいかつを送る羽目はめになったのである。
久永ひさながたちが治療に当たってくれたおかげで大事には至らずに済んだのだが、それでも目を覚ますまでに二週間ほどかかった。


朝、自室のベッドで目覚めた美美子が最初に見たのは、涙を浮かべる両親の姿だった。二人とも大粒の涙をぼろぼろこぼしては、
「よかった……!」
と呟き、美美子の体を抱きしめてきた。
部屋には姉の姿もあった。その日も仕事があったそうなのだが、早退して、美美子の看病をしてくれたのだ。
「あんた、無茶しちゃ駄目じゃない」
そう言って、彼女はにこりと笑った。瞳に涙をにじませながら、
「お父さんとお母さんに心配かけたら駄目だよ」
とも告げてきた。
室内をぐるりと見回して、その場にいた人々の顔を確認した。家族の他に、久永と狭霧さぎりがいた。
新町しんまちさんも来たがっていたみたいだけれど、急用きゅうようができたから来れなくなったの。でも、あなたのことをとても心配していたわ」
と、狭霧は言った。
部屋の中に、ジュエルの姿はなかった。やはり気力と体力を使い過ぎたために、呪宝会系列じゅほうかいけいれつの医療施設にて治療を受けているとのことだった。
「ありがとう。……それから、ごめんね。嫌な役をやらせてしまって」
家族が部屋を出たあと、久永が言った。
その日の彼は、珍しいことに、白いシャツと細身のジーンズを着ていた。ラフな服装なのに、それでも俳優のようにさまになっていた。
「美人はなにを着ても美人なのね」と美美子は思った。
その久永が言うに、上月巴こうづきともえは学校を休んで実家に戻ったとのことだった。学籍がくせきはそのままになっているが、しばらくの間休学するとの話であった。
親族会議しんぞくかいぎに出席するため、ふるさとに戻ったそうよ」
と、久永は言った。そして、ふ、と息をつき、声なく笑った。
それから、狭霧から一通の手紙を渡された。
「上月さんからよ」
と、彼は言った。
「どうしても、龍源寺りゅうげんじさんに読んでほしいんですって」
美美子は浅くうなずいた。

「必ず読むわ。上月さんが書いてくれた手紙だもの」
その言葉に嘘はなかった。


いま、美美子は縁側で手紙を読んでいる。
午後の日射しが暖かに降る空のもと、上月巴の綴った言葉たちに目を通している。
──白い便せんに記されたその手紙には、彼の本音があった。真実があった。
言い回しこそ単純なのだが、彼の書いた文章には、真実を語る者ならではの凄みと重みがあった。うわつらだけを器用につくろった空疎くうそな文は、ひとつとしてなかった。
手紙を読みながら、美美子は思った。「上月さんは大丈夫だわ」と。「ひとりじゃないから、……須藤すどうさんがいるから大丈夫だわ」と。
それに、もしも彼がまた誤った道に行きそうなときは、全力で戻してやればいい。
何度でも声を上げて、彼を引き戻せばいいのだ。
──と。
「なんだか楽しそうだね」
なつかしい声が聞こえた。
美美子はいったん、その響きを幻聴げんちょうだと思い込み──、そして、次の瞬間、幻聴などではないと思い知る。
手紙を横に置き、顔を上げた。
そこには──、彼がいた。
無地むじのシャツとハーフパンツを身にまとった恋人が、満面の笑みを浮かべながら立っていた。
「ジュエル……!」
美美子は泣いた。泣きながらサンダルを履き、少し離れた位置に立つ彼に思いっきり抱きついた。
ジュエルだった。
生身なまみのジュエルがそこにいた。
戻ってきたのだ、彼は。死線しせんを越えて、自分のもとに戻ってきてくれたのだ……。
キスをする。唇を触れ合わせるだけの繊細なキスを、彼に与える。
「おかえり、ジュエル」
涙をぼろぼろこぼしながら、美美子は言った。
年上としてのプライドとか、もはやどうでもよかった。ジュエルが戻ってきてくれた──それだけで、なにもかもが報われるような気がした。
「……ただいま、美美子ちゃん」
彼が言う。
それから、ふふ、と軽く笑って、美美子の頬にキスをする。

恋しい人のにおいをいっぱい吸い込みながら、美美子はこの世にはびこる悪徳あくとくに思いをせた。
今日も誰かが泣いている。終わりなき悲しみが、誰かの上に降り注いでいる。
誰かが泣いている。声を殺して泣いている。

少しだけおびえを感じた美美子の心に、残酷な何者かの「声」が響く。
人は誰かを憎む。
人は誰かをおとしめる。
人は誰かを恨む。
人は誰かを呪う。
人は誰かをあなどる。
人は誰かを殴る。
人は誰かをののしる。
人は誰かを殺す。
人は誰かを裏切る。

──だけど、と美美子は思う。

人は誰かに優しくすることができる。
人は誰かを思いやることができる。
人は誰かを励ますことができる。
人は誰かを導くことができる。
人は誰かを許すことができる。
人は誰かに寄り添うことができる。
人は誰かを助けることができる。
人は誰かと分かち合うことができる。
人は誰かを愛することができる。
人は誰かを笑顔にすることができる。
人の心を持つ限り、人間としてのせいを選び続けるかぎり、人は誰かを幸せにすることが──できる。

この世には逃れられぬ病がある。「暴力」という名の宿痾しゅくあは、至るところにはびこっている。
けれど、いまは大丈夫だ。
愛する者を大切に想う気持ちがあるのなら、きっと、ずっと、──未来だって大丈夫だ。

美しく澄んだ青空の下、いとしい恋人に触れながら、美美子は優しく微笑んだ。
世界がまぶしく光って見えた。

【了】
しおりを挟む

この作品は感想を受け付けておりません。

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

彼の言いなりになってしまう私

守 秀斗
恋愛
マンションで同棲している山野井恭子(26才)と辻村弘(26才)。でも、最近、恭子は弘がやたら過激な行為をしてくると感じているのだが……。

愛しているなら拘束してほしい

守 秀斗
恋愛
会社員の美夜本理奈子(24才)。ある日、仕事が終わって会社の玄関まで行くと大雨が降っている。びしょ濡れになるのが嫌なので、地下の狭い通路を使って、隣の駅ビルまで行くことにした。すると、途中の部屋でいかがわしい行為をしている二人の男女を見てしまうのだが……。

教え子に手を出した塾講師の話

神谷 愛
恋愛
バイトしている塾に通い始めた女生徒の担任になった私は授業をし、その中で一線を越えてしまう話

極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です

朝陽七彩
恋愛
 私は。 「夕鶴、こっちにおいで」  現役の高校生だけど。 「ずっと夕鶴とこうしていたい」  担任の先生と。 「夕鶴を誰にも渡したくない」  付き合っています。  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  神城夕鶴(かみしろ ゆづる)  軽音楽部の絶対的エース  飛鷹隼理(ひだか しゅんり)  アイドル的存在の超イケメン先生  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  彼の名前は飛鷹隼理くん。  隼理くんは。 「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」  そう言って……。 「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」  そして隼理くんは……。  ……‼  しゅっ……隼理くん……っ。  そんなことをされたら……。  隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。  ……だけど……。  え……。  誰……?  誰なの……?  その人はいったい誰なの、隼理くん。  ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。  その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。  でも。  でも訊けない。  隼理くんに直接訊くことなんて。  私にはできない。  私は。  私は、これから先、一体どうすればいいの……?

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

屈辱と愛情

守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。

淫らな蜜に狂わされ

歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。 全体的に性的表現・性行為あり。 他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。 全3話完結済みです。

処理中です...