【完結】雇われ見届け人 婿入り騒動

盤坂万

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工藤家の件

急転

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 この日は夜も更けたことから、又之丞の妻女には森邸の客間に引き取ってもらうことになった。
 又之丞の遺骸はそのまま、上野の森邸で治療を偽装することと決まり、又之丞の妻女も決着するまで玄蕃げんばの屋敷で過ごしてもらう。妻女が部屋に引き取った後、彼女の座っていたあたりをぼんやり眺めたまま新三郎は煩悶を口にした。

志津しづどのは、家を遺すことについてどう考えているのか。俺にはそれの方が大事なことだと思うのだが……」

 志津というのは先ほど部屋に引き取らせた又之丞の妻女の名だ。それは新三郎が話の初めから心配に思っていたことだった。

「武家に生まれた者のさだめというものだ。何よりもそのことを考えて当然だろう」
「そうだろうか。俺には理解しにくい話だ」

 玄蕃の言葉に新三郎はにわかに首肯しがたい感覚を持っている。武家の常識と言われればそうなのだろうが、そこからはぐれて生きている自分のような者にとってはいささかの違和感がある。志津は伴侶に死なれたのだ。それも非業の死だ。まず悼むべきで家のことを考えるのが先に代わるのはいかがなものだろうか。
 そのようなことを言うと玄蕃は露骨に首を捻った。

「工藤の妻女に限ったことではないがな、そもそも家のために婚姻したのだぞ。お主の物の考えこそ後と先が入れ替わってはおらぬか」
「…………」

 新三郎が憮然としたまま堅く口を結んでいるので、玄蕃の方が仕方なく話の口火をきる。

「ところで先ほどのお主の案だが、本当に大丈夫か。しかしなぜ伊達だて様なのだ? 志津どのは憶えのないことだと言っておったが」

 新三郎は養子縁組の口添えを宇和島うわじま藩の伊達公にお願いする、と言い出したのだ。訳が分からなくては唐突に感じるのも無理からぬことである。
「ああ」と返事した新三郎は、一旦不納得な様子は置いて玄蕃に向き直った。「知らなくて当然だ」
 志津が持ち込んだ家譜かふには不自然な部分があった。家譜とは諸家に伝わる系図のことで、婚姻があったり子が生まれたりするごとに書き足していくものだ。
 新興の家だと辿たどれる先祖に限りがあるが、譜代の家であれば七、八代はさかのぼれる。諸侯に至ればどの家も源氏の流れだとか、藤原北家ほっけに繋がる家柄だとか、虚実は不明であるが出自をはっきりさせるものである。
 工藤家に至っても五代以上前になると怪しいものだった。だが新三郎が目をつけていたのは、もっと最近のことである。思った通り、と言うよりあるいはと目論んでいたことだが、志津の亡くなった母親、つまり又之丞の養母にあたる女性に出自が書かれていないのであった。ぽつんと名前だけが記してある。尭子……。
 出自が書かれない理由にはいくつか事情がある。農民や町民も出である場合や本当に出自が不明な場合、あとは事情があって記載ができない、もしくは記載を禁じられている場合だ。
 つまるところ、志津の母親は生家から絶縁されている可能性が高い。そして新三郎の記憶には、そのことに合致する情報があったのだ。

 工藤又之丞の養父は清藏せいぞうといった。若かりし頃の清藏はなかなかの放蕩者ほんとうもので、根岸の下町界隈では当時けっこう名の通った悪童だった。
 清藏が十八の頃、清藏らと普段から反目していた牢人者の集団が、血迷ったことにどこぞの武家屋敷に押し込みに入り、金子きんすや美術品などを盗むばかりか、高貴な身分の娘をさらって身代金まで要求したことがあった。
 公のことにしたくなかった屋敷の者は、町奉行所や火盗改メかとうあらためなどには届け出ず、手の者を使って解決しようとした。その屋敷の中間ちゅうげんに遊び仲間がいたことから清藏の耳に入ったのが事件を解決する端緒となった。
 話を聞いた清藏は、褒美の金が貰えることと、普段から気に入らなかった牢人集団を、天下御免に叩きのめせることが気に入り事件解決を引き受けた。そしてあっと言う間に解決して娘を助け出したのである。
 いよいよお屋敷の殿様が褒美をくれるという段になったのだが、清藏はなんと金を断り代わりに助けた姫様を嫁に欲しいと言い出した。
 自分は身分卑しからず、れっきとした将軍家旗本の跡取りであり、もし不承知とあらばこたびの仕儀を余すことなく天下衆目に披露目て戯曲のネタにでもしてもらおう、などと脅したのである。
 もちろんのこと、その後ひと悶着もふた悶着もあったが、姫が庶子であったことが幸いし、また姫様自身も憎からず清藏のことを想っているということから、いくつか付けられた条件をすべて飲むと清藏が引き受けたので落着することになった。もう三十年近く前の話である。


「その攫われた姫君と言うのが、宇和島の伊達様の娘だったということなのか」
「左様」

 新三郎は良い気分そうに頷いた。玄蕃の感心した口ぶりに満足している様子だ。むやみに頷きながら、さっき出してもらった饅頭をかじる。塩味の饅頭とは、これもまた何とも言えず旨い。
 次の一口で全部頬張ると、勢いよく茶を流し込んだ。

「だが志津どのは母君の出自のことを知らぬ様子」
「清藏が姫を嫁にもらう時に飲んだ条件のひとつだからな」
「なるほど、縁を切らされた訳か。しかし縁を切った家ならば養子縁組に力を貸してくれるものかどうか」

 玄蕃の心配に、新三郎は立膝たてひざにした自分の向うずねを指さす。

「宇和島の伊達公には泣き処があるじゃないか」
「ははあ、仙台家のことか」
「そうだ。安藤様の御名をほのめかすだけでよい。何かを約束する必要もない。互いに小さな傷ではあるが、舐め合うには程よいだろう」

 宇和島藩伊達家は、それだけで独立した十万石高の立派な大名だが、立藩時の経緯から本家筋にあたる仙台藩伊達家と大変に仲が悪い。仙台家の方では宇和島家の方を支藩だと言って憚らず、歴代の宇和島藩主は忸怩たる思いを持たされ続けていた。
 ささいなことながら、幕閣に顔を利かすことができるとなれば、多小なりと力を貸してよいと考えるに違いない。そのためには今回の件が落ち着いたなら、安藤老中と宇和島公をどこかで引き会わさねばなるまい。玄蕃は面倒ごとがひとつ増えたと思わないでもないが、これも領袖のためと思えば労の払い甲斐もある。

「まあその程度であれば安藤様も頓着されまい。ところで後ろ盾はともかくとして、肝心かなめの養子候補はどうするのだ」

 自分の思案はいったん押しとどめて、玄蕃はいまひとつの疑問を口にした。頼りの友人はもう四つ目の饅頭をつまみあげている。

「心配するな。うってつけなのがいる。血統的にも申し分ない」
「誰なのだ。勿体ぶらずに早く教えろ」
「志津さんの弟だよ」
「……弟? 弟がおるのか?!」

 唐突に出てきた候補者に玄蕃は瞠目したまま二の句を継いだきりでいる。幼馴染のしたり顔をしばらく見つめるばかりだった。
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