【完結】雇われ見届け人 婿入り騒動

盤坂万

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梅雨入りの件

陰謀の中の陰謀

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 新三郎らが上野で名張行きの準備を進めている頃、当の名張では三人の若い重職たちが額を寄せて関での一件について話をしていた。
 三人を取り仕切っているのは横田太右衛門よこたたうえもんで、最年長だが今年二十八になる若い家老である。名張に三人いる家老職では末席にあたるが、いずれは筆頭になる家柄だ。領主の命により隠居した老父に代わって新座したのが昨年のことだった。
 この中での最年少は七條喜兵衛しちじょうきへえで二十三歳、番方組頭ばんかたくみがしらの要職にある。これも昨年、領主藤堂宮内くないの命で致仕した父親に代わり任官したばかり。そして三人目は小沢喜兵衛といい本年二十七歳。こちらも近習頭という要職にあり、いずれは側用人に進む。やはり領主宮内の命により代替わりをして間がなかった。
 三人は言わずと知れた独立派の急先鋒で、もっとも宮内の信任篤いとされている一派である。揃って任官したのは、領主の親政を取りやすくしたいがために宮内が画策したことで、保守や中立の派閥からはことあるごとに苦言や反目がわいてくる。
 その三人がいまもっとも手間をかけているのが、名張家の悲願とも言える藤堂家からの独立である。そのためこの一年彼らは身命をとしてこの一大事業に尽力してきた。ようやくすべての段取りが整い、あとは決行するのみという段になって問題が生じたのである。

「昨日の関での一件、すでに左近めに漏れているとみて間違いあるまい」
「せっかくここまで穏当に進めて参ったというのに何たることだ」

「過ぎたことを論じても仕方あるまい。殿にこのことをなんとお伝えすべきか……」
「……伝えたところでお耳には届くまい」
「ああ、そうだったな……」

 昨日、関まで判元見届け人となる幕府公用人を迎えに出かけたのは横田である。決して本藩の者に気取られてはならぬため、三人のうち誰かが直接動く必要があったのだが、そこで大きなしくじりがあった。
 久居の藩兵との間に小競り合いを発生させた上、死傷者まで出してしまったのだ。末期養子判元見届の秘事を守るための不可避な事故であった。先方は小競り合いの相手が名張家であるとはまだ気づいていないはずだが、このことはいずれ明るみになるだろう。

「ことが成るまではなんとしても隠しとおせ。多少無理があっても押し通すのだ」
「うむ、見届けが済めばあとは何とでもなる」

 七條が言って小沢ががくがくと頷く。
 本藩は二歳になる宮内の実子が既に夭折ようせつしていることをまだ知らない。知らせていないのだから当然だ。だから末期養子の願いを出していることも知らぬし、そのことで公用人が見届けに名張へやって来ることも知らない。知られてはならなかった。
 はじめ世継ぎ死亡のことをすぐに本藩へ報告しなかったのは、単純に弱味に付け込まれたくなかったがためである。二歳で死んだ子のほかに、宮内には実子がなく、今は名張の分家にもめぼしい男児がいない。ことが知られれば本藩はこの機に乗じて藤堂家の養子を送り込んでくるのに違いなかった。それを危惧して次善策を探っていたが、いたずらに時が過ぎていた。
 その頃である。宮内は、二本松の丹羽本家からあることを入れ知恵された。それは、このことを逆手にとって、一気に独立立藩を幕府に認めさせる陰謀だった。
 名張藤堂家が藤堂を冠しながらも、その血脈に藤堂家の血は一滴も流れていないのは先述した通りだ。祖は元来藤堂家のすべてを継ぐはずだった藤堂高吉で、高吉は丹羽家から入った養子だ。男児に恵まれなかった藤堂高虎が、数奇なめぐりあわせから織田家の重臣であった丹羽長秀の三男を養子にとったことから始まっている。
 高虎の跡継ぎになるはずだった高吉だが、後年にいたって高虎に実子高次が生まれた。高吉が得るはずだったものはすべて高次のものになり、高吉は二万石ばかりを与えられて家中で飼い殺しになった。当時幕府では、高吉に一家を立てさせようとする動きがあったが、高次がこれを封じてしまった。
 以来、高吉の血統が、藤堂一族の中にあって、異質に脈々と続いている。独立立藩は名張あげての悲願だった……。
 宮内はその策謀にすぐに乗ることにした。丹羽本家からとある幕閣の要人を紹介され、立藩の内諾を得るために決して額の小さくない資金を注ぎ込んだ。そしてあとは跡継ぎ問題を解決するだけという段になった。
 名張藤堂家の血を引く女子おなごを自分の養女に据え、丹羽本家から婿養子をとる。さすれば二本松藩は名張の立藩を強力に後押ししてくれるという約束だった。いずれにしても家祖、高吉公の血が濃くなるのだ。ますます津藩の支配を受けるいわれがなくなる。
 養女候補は必死に探してようやく見つけた。百数十年前野ことになるが、高吉公の跡を二代長正が継いだ時、他に三人いた弟らに併せて五千石を分知している。それらの後裔は江戸で旗本として家を立てているのだが、先年そのうちのひとつ、藤堂宗右衛門家が、娘はあったが跡継ぎなく死に改易となっていた。
 妻女と娘が一度伊賀の領知に戻ってきており、今は伊勢にいるという。宮内は横田らに命じて名張の屋敷に娘を召し出した。名は塔子といい、当世風の美人で宮内は大いに満足した。その場で養女となる誓詞を交わし、交換に半年間の猶予付きで宗右衛門の墓のある江戸で暮らすことを許したのである。
 だが娘は約束の半年を前に伊賀へ連れ戻されていた。状況が大きく変わってしまったためである。そのせいで予定を大幅に巻いて実行することになった。おかげでいろいろと支障が起こっている。なんとか元の路線にことを戻そうと横田ら三人はもがいているのだった。

「それで、お主どうするつもりなのだ」
「なんとしても判元見届の公用人を抱き込む。なに、相模守様の名を出せば従わざるをえまい。その後はその者を伴って江戸へ直行すればことは成る」

 気脈は通じてあるのだ。形式さえ整えば、藤堂本家に名張の統治能力なし、以後は自立せよとの幕命を得られる手筈だ。言うことを聞かぬようなら手籠めにしても良い。
「ならば早い方がよい」
「あるだけの手の者を放って公用人をここへ連れて参るのだ」
 三人は暗がりの中で脂汗をたらしながら頷き合った。
「殿には?」
「ことが成ってからご説明すればよい。しばらくは目を覚まされまいし」
 気まずい沈黙を味わった後、三人はそれぞれがそれぞれのするべきことのために散会した。
 横田は突然気がかりになって宮内の寝室のある奥へと向かった。当番の見張りに様子を聞くと眠ったまま変わらぬという。襖を少し開けて中を覗くと、女子が一人臥せった宮内の世話をしているのが見えた。形ばかりの養女であるにも関わらず甲斐甲斐しいことだ。横田にはその致しようがあてつけがましく見えて、開けた襖を静かに閉めた。
 宮内急病。ことを急がなくてはならなくなった大きな状況の変化とはこのことである。これもまた、本藩へは伝えていない秘事であった。
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