七ツ国戦記

盤坂万

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エカチェリーナ・コスラン

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 ツハルスァルルの王城から、馬を走らせて二日の距離にコルトケロヌスの砦とそれを取り巻く都市がある。ほんの十日ほど前、魔王率いる一軍に蹂躙されたとされるその都市に向かう騎馬の一団があった。
 街道をひたすらに走る騎影は十騎ほどの小集団で、騎手はいずれも騎士の装いを纏っていたが、先頭を行く乗り手は他の者たちよりも一回り体躯が小さく、女性であることが見て取れる。収穫期を終え、冬に向かう北の原野は枯れ果てており、彼らの視界に映る世界はどこまでも荒涼としていた。一目にはなだらかに見える平原であったが、実際に街道を往くと起伏に富んでいることに気づかされる。小さな丘を登っては降りを繰り返している一団の前に、やがて堅牢そうな城塞とそれを取り巻く輪状の街の光景が広がった。

「……コルトケロヌスは陥落したのよね」

 一団の先頭を走っていた女騎士は乗騎の歩調を緩めさせると、手綱を短く持ち直して上半身を後方に少し倒した。いななきを残して停止した馬首から見下ろす景色は、魔狼の森に抱かれるように佇むコルトケロヌスの城塞とその市街である。街の至る所からは戦禍によるものではない日常の彩をにじませた煙が幾筋も立っていた。太陽を中天に頂くころ合いから、それらは街の住人たちによる炊事の煙とみられる。騎乗の女騎士は想像していた光景とは違う、日常の風景を目の当たりにして思わず小さく呻いた。
 次第に彼女の周りに集まってきた騎士の一団も眼下に広がる平穏な雰囲気に息を呑む。ここへは戦時における交渉のためにやってきたのである。
 魔王軍とされる一軍の手に、隣領のコルトケロヌスが墜ちたという知らせを聞いたのは十日ほど前のことだ。今では王都に同調して魔王軍と呼称しているが、実際のところコルトケロヌスを実効的に支配している一団は正体不明のままである。王都への参内で不在だった領主の父に代わり、情報収集に奔走していたエカチェリーナは、王都の神がコルトケロヌスの一軍を魔王軍と断定したことと、父のコスラン卿が五百の兵で威力偵察に出てそのまま戻らないという報に触れた。
 エカチェリーナは直感的に父の敗亡を予感していた。コスラン領に父の跡を襲う血統の保持者は彼女をおいて他にはおらず、今この領を導くことが許されているのはエカチェリーナただ一人である。
 領主不在を材料に領の公収をさせないため、エカチェリーナはまず臨時的に領の統治権を王都に対して主張した。旧知を種にサウクレーデ卿が後見に立ちエカチェリーナを擁立するなどという段取りを避けるためでもあった。父は長らくサウクレーデという連合王国随一の門閥と浅からぬ関係を保っていたが、エカチェリーナはどうもあの自信に満ち無闇に威厳を放つかの公卿が苦手であった。何故父はあのような男を領袖に担いだのか謎ですらある。人を惑わす魔性をつかうなどという噂も手伝って、サウクレーデ卿という人間を、エカチェリーナは胡散臭い男だと思っている。この際に王室の介入もサウクレーデの暗躍も甘受するつもりなどないエカチェリーナは、自分の足で立つことを決めたのだった。そしてその彼女が最初に下した決断は、王都にいる神に魔王と断じられたコルトケロヌスの実効的支配者と邂逅することだった。

「エカチェリーナ様、これは一体どうしたことでしょうか」

 馬首を並べた配下の老騎士がエカチェリーナと同じ感想を口にした。老騎士の名をダニールという。ダニールの目にも、コルトケロヌスの城塞都市は平和そのものに見えるようだった。少なくとも戦火に晒された様子は感じ取れない。

「とにかく砦まで行ってみるしかなさそうね」

 主人の意見にダニールは逡巡する気配を見せたが、すぐに承知と返事をすると背後を振り返り手下の者たちに進発を命じた。
 エカチェリーナを先頭に一団は坂を降り始めた。小隊の中央にはコスラン領の軍団を示す軍旗がはためいている。砦の物見からは近づく騎馬隊の姿が見えているはずだ。敵対しない旨を示す黒い流旗を軍旗の上部に配しているが、物見はそれを認識してくれるだろうか。
 矢や砲撃が届く距離になっても砦からの敵対的な反応はなく、エカチェリーナらはひとまず胸をなでおろした。やがて肉眼で確認できる距離に近づいたとき、城塞都市の外縁部にバラックやテントが林立しているのに一向は気づいた。
 それは戦が起こるとこうした砦や城の城壁によく起こる光景だ。城や砦と言うのはその周辺一帯を防衛する拠点となるもので、多くの農村や交易地をその防衛範囲内に擁している。農村は領地の人口を支えるのに必要不可欠な存在だ。そこで生産される作物は、食糧もたらすとともに税として納められる。それは領の力の源泉であるが、広大なその敷地に城壁を張り巡らせることなど到底できない。だから戦争が起こると、農村は必ず敵国の攻撃を最初に受けることになる。敵軍は農夫たちも容赦なく襲うから、彼らは襲撃に備え領の城や砦に逃げるし、城や砦側も食糧をもたらす農業従事者を蔑ろにはできず戦の間匿うことになる。そうしてなんとか戦乱を凌ぐことができれば、復興のために農夫たちは動き出すが、住居を復旧するまでの間、こうして城や砦の外縁部に一時的な集落を形成するのだった。その光景にエカチェリーナはじめ、コスラン領からやってきた一団は首を捻った。

「魔王が領民を保護している?」

 魔王というのは古今、只人を含むあらゆる種族の敵で、神に仇なす者の呼称である。魔王の軍が進んだ跡には草木も生えず、ただ血塗られた荒れ地が残るのみという。実際に史実として何度か訪れた魔王降臨という災厄は、そのたびにいくつもの国を滅ぼし世界を危機に陥れた。その魔王が民を殺さず保護しているのは大きな違和感がある。
 バラックの集落を横目に城門へ向かった一団は、開かれた門を目の当たりにして一層違和感を募らせた。城門には門衛がいたが、往来は自由に行われている様子である。それは流浪の民らにも同様に開け放たれていた。

(砦は堕ちていない?)

 やや困惑しつつ、エカチェリーナらは馬の歩みを緩める。開け放たれた門から伸びる石畳の街道に差し掛かると、門の中からエカチェリーナらとほぼ同数の衛兵が城内から吐き出されてきた。いずれも大盾を備えた騎士らで、盾を並べる一隊の後方に十騎ほどの騎馬が現れる。横一列に展開した騎馬隊の中央には、白銀の甲冑を纏った騎士が一際の光彩を放っている。あれが先方の最上位で間違いないだろう。
 エカチェリーナは騎乗したまま右腕を水平に胸の前で構えた。敵意を持たぬことを示す同格者かそれ以下の相手に示す礼節である。もし、相手が格上だと知れればその後に下馬し敬礼をすれば良い。エカチェリーナは完璧なしぐさでそれを行った。

「この身はエカチェリーナ・コスラン、コスラン領主である父に代わってコルトケロヌス城砦主へのお目通りを願いたく罷り越した」

 エカチェリーナが名乗り来意を告げると、白銀の騎士は配下に無言のまま指図して隊の中央を開けさせた。街道に沿って両脇に整列し直した騎士らが、さきほどエカチェリーナがしたのと同じ仕草で、右腕を水平に胸の前に構える。

「ご案内いたします。エカチェリーナ・コスラン殿」

 白銀の騎士はそう応えるとエカチェリーナらに背を見せて先に城門をくぐった。騎馬の五名ほどがそれに続き、エカチェリーナらは彼らの先導を受けてコルトケロヌスの中に入った。街道脇に展開していた騎士らは素早く隊列を整え、この突然の客人らをその両脇と後方から重厚に取り囲む。平然を装った甲冑の下で、エカチェリーナの動悸と流れる汗は一向に収まる気配がなかった。
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