【完結】新説・惟任謀反記

盤坂万

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それから

帰還

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 山崎での合戦は結局、開戦から二時間ほどの短時間で雌雄が決した。総括すれば、明智勢に倍する羽柴勢が順当に兵力差を活かして勝利を得たということになる。
 光秀は戦場から落ち延び、秀吉が明智軍の兵站基地であった勝竜寺城を抑えたことで決着がついた、というのが後世に至るまでのこの戦の評価である。天下分け目と称されるこの戦に、明智は十分な準備をする時間があったにも関わらず、中国から大返しをしてきた羽柴勢に敢え無く敗れた。なぜだろうか。
 羽柴方はこの一戦で、光秀は無論のこと明智方の主要人物をことごとく取り逃がしている。五家老と呼ばれる重臣の、誰ひとりをも討ち取れず、また捕らえることもできていない。その事実が物語るのはいったい何だろうか。そしてそれは羽柴方の戦後の空気を重苦しいものにした。
 戦況も思わしくなかった。終始光秀の策に翻弄されたと言って憚りないだろう。数で劣る光秀は地形を利用し、策を弄して最終局面では秀吉本陣を衝くと言う離れ業をやってのけた。戦場での中入りは亡き信長が好んだ採った戦術である。まざまざと見せつけられた秀吉の舐めた苦渋は想像するのに難しくなかった。
 そして更に秀吉を敗北感の奈落に突き落としたのは、光秀が彼を見逃し、自ら戦場から逃走したということである。その頃には明智軍は既に瓦解してい、光秀の採った作戦は乾坤一擲を狙った一か八かの自滅戦法だった。大勢では羽柴方の勝利は動かなかったが、結果として光秀は賭けに勝ち秀吉をあと一撃で屠れるところまで手を進めたのである。秀吉の首を、獲る寸前まで、だがそれは他ならぬ光秀の意志によって留められたのだった。
 光秀は伸ばせば秀吉の首をもぎ取れた。だがそうはせずに秀吉の虚を突いて撤退した。もし、秀吉の首を獲っていればどうなっていただろうか。勝利は明智方のものになっただろうか。
 冷静になった秀吉は「否」と首を横に振った。もしそうなっていれば、四方八方を復讐心にかられた羽柴勢に囲まれ、その渦中で分断されていた明智勢は、その時こそ完全消滅するまで叩きのめされたであろう。
 秀吉を延命させたために彼らは逃げおおせることができたのだ。戦略的には秀吉が勝ったが、戦術的には光秀が終始圧倒した。それがこの戦の評価の落としどころだった。
 戦後、勝竜寺城で諸将を集めた秀吉は、陰鬱な表情を被ったままの鉄兜に隠し低い声で言った。

「おのおの方、まずはご苦労じゃった。決戦には勝利したが、いまだ惟任は存命。首を挙げるまではゆめゆめご油断なきよう」

 称揚のない声音に、秀吉股肱の臣らは密かに震え上がった。
 諸将に背を向けた秀吉は、半日ほど書院に引きこもり誰をも近付けさせなかった。時間に立つにつれ、彼が光秀に譲られたものが戦の勝利だけではないことに思い当たり始めていたのである。明智に譲られたもの、それは恐らくこの先の政そのものである。

「何から何まで気に入らぬ。常に前を行き先を見据えたような面をしおる……」

 秀吉はその手にその肩に、とてつもなく重い物を押し付けられたことを理解した。そして憎悪をまた、新たにするのだった。

 ◇◆◇

 その後秀吉は京に入り諸方に惟任討伐を大々的に報せた。信長の後継者たる地位を確固たるものにするためである。
 光秀の首が秀吉の元に届けられたのはそんな中でのことだった。
 地方ぢかたの民から届けられたという首級は、顔面が斬られ目鼻立ちもはっきりしないものだった。だが、自ら首実検をした秀吉は、まじまじとじっくり検分した後、もとどりを掴んで「まさに惟任日向守」と一言残し、近侍の者にその首を放り投げたという。その後すぐに、謀反人明智光秀の死亡が各地に知らされたのだった。
 日が改まり六月の十四日、秀吉は摂津衆を丹波に派兵するのと同時に、近江平定のために堀秀政を坂本に送り込んだ。安土に別働していた明智左馬助光春を討って、この騒乱に終止符を打つためだ。

 その左馬助は山崎での開戦を知ると、これに加勢するため全軍で安土を出た。しかしその行軍中に敗戦の報に触れるや、進路を坂本へ変え今はこれに立て籠る様相を見せている。
 迫る軍勢は堀秀政率いる一万五千と伝え聞き、どうしたものかと左馬助は頭を悩ませている最中だった。

「何を思い悩む。殿も討たれ首が猿めの陣に届けられたと噂に聞く。城を枕に最後の一兵まで戦い抜くが忠義ではないか」
「さて、それでよいのやら」

 怪我の重い身体を引きずって言う次右衛門を、左馬助は気遣ってやりながらも気のない返事をする。
 次右衛門光忠は左馬助と同じく五家老と呼ばれる重臣の一人で、左馬助とは父親同士が兄弟だから従兄弟同士という関係である。年も一つしか変わらないため、互いの関係は気安いものだった。
 本能寺に信長を討った際、次右衛門はその子信忠を討つ組におり流れ弾に当たったのである。鉛球を取り出す時にかなり肉を削ったせいで、先の山崎での戦いには参陣できなかった。開戦の直前に、療養していた知恩院を引き払い、坂本城の守りに入っていた。

「お主の連れ帰った四千、山崎から逃げ帰ってきた兵が二千。坂本の守兵二百を合わせて六千二百、まだちらほら帰還する兵らがおる。一万五千を迎え撃つに不足はない。堀久などにそうそう遅れはとらんぞ」

 山崎に参陣しなかった次右衛門の戦意は旺盛だった。自身も戦えなかった分、左馬助も滾った血がまだ体内に熱いまま流れている。次右衛門の言い分も判るのだが、どうも戦前の光秀の様子を思い出すに、ここで玉砕することが正解だとは思えないのだった。

「もう少し待ってみようじゃないか」
「何を待つのだ。堀めはもうそこまで来ておるのだぞ」

 二人が押し問答を始めると、山崎から落ち延びて来た兵らがまた戻ってきたと言う報せが入った。
 昨日からこうして逃げ帰って来るものが多々ある。その中の数名が報告すべきことがあると言うらしいので、左馬助と次右衛門は本丸の書院までその者らを呼び入れることにした。
 案内された兵は泥まみれで歩くごとに床板に汚泥が足跡をつけるほどだったが、まったく悪びれる風もなくどかどかと左馬助らの前まで来ると、許しも得ないのにどっかりと座った。
 二人は呆気に取られて咎めるのも忘れるほどだったが、泥まみれの男が「申し上げる」と口を開いたところで、ようやく「あっ」と驚きの表情を顔中に広げた。それで満足したらしく、斥候の兵はその時ようやく破れのひどい陣笠を取って顔を見せた。

「壮健そうで何よりだな。左馬助、次右衛門」
「なんと、殿か」

「悪戯が過ぎるわい」
「まあいいではないか、次右衛門」

 兵を装っていたのは光秀本人だった。つまり秀吉に届けられた首と言うのは偽物だったのである。無論、筑前は気付いているはずだが、と光秀は後に述懐している。

「と、こうなると話が変わってきますな」
「どうすると言うのだ。殿、どうされるおつもりなのか」

 二人を前にして、光秀はふふんと嗤った。

「無論、逃げる」

 次右衛門は苦り切った顔で「他に言い様があるだろうに」と言い、左馬助は大口を開けてかっかっと嗤った。
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